干渉
メンタル弱男
干渉
『私はまた、同じ事を繰り返している。時が経つばかりで何も成長していない、いつも頭の中は後悔ばかり……』
「ねぇ、何してるの?」
『大事な人を裏切った。取り返しのつかないことをした、と気が付いた時には、悲しさとか虚しさとか、そんな感情はどこにもなかった』
「ねぇ、加藤? 聞いてる?」
『このまま私は、無感覚の中で過去の出来事ばかり見つめて生きていくのかもしれない。それはつまり、私が…………
「ちょっと、加藤!」
バンっ、と重く薄い金属が破裂したような音。ついさっきまで私がいた世界は、一気に収縮して、一枚の原稿用紙になった。視界の右隅、白く澄んだ手が私の机の上に置かれている。
「次の授業、体育だよ。そろそろ着替えに行かないと」
「え、また体育? なんか多くない?」
私は運動が嫌いという訳ではないけど、体育という授業が好きではなかった。グラウンドでは、一人でじっくり考え事をするのが難しい。教室での授業だったら椅子に座ってペンを持って、形だけとりあえず机に向かっていれば、周りに馴染んで紛れられる。
「運動会近いから仕方ないんじゃない? 確かに、ちょっと最近暑いから、汗かくのは嫌なんだけどね」
スカートをヒラヒラと揺らして、高坂は暑い暑いと項垂れる。奥の方で教室から出ようとしていた男子二、三人がこちらをチラチラ見て何か話している。私が頬杖をついて男子の一人と目を合わせると、風を切るように急いで教室から出ていった。さっきの男子、ちょっとだけ鼻の下が伸びていた気がする。いや、伸びていた。見逃すことはない、私は目がいいのだ。
「これって、新しい小説?」
高坂が机の上を指差す。黒鉛で半分ほど埋められた原稿用紙が呼吸を止めたように次の一文字を待っていた。
「そうだよ。さっきの数学の時間も書いてたの」
「それは、さすがにダメでしょ」
そう言って笑いながら、高坂は私が書いた物語を覗き込んだ。さっきまで忙しない様子だったのに、じっと目を凝らして文字を追っていく高坂。絹のような横顔と、甘く仄かに漂う彼女の髪の匂い、そして低く鳴った、唾を飲み込む音。その全てが私の歩む人生の波に入り込み、干渉する。やがて干渉縞は心の模様を織りなすように広がり、そして余韻を残したまま、すぅっと消えていく。ほんの一時的なもの。でも、何か大事なもののような気がして……
「暗いね」
高坂は座ったままの私を見て言った。
「いや、また暗い話書いてるんだなと思ってさ。この前の賞取った時の話もそうだけど、やっぱり暗いなぁ」
だって加藤はさ、全然こんな感じじゃないじゃん? そう言って、私の肩を三回叩いた。人が少なくなった教室。廊下を走る生徒達。どこか遠くでキィとドアが軋む音がした。
「賞って言っても、あんなの大したもんじゃないでしょ。中学生の暇つぶしみたいなもんだよ」
「そんなことないよ、加藤はすごい」
去年の夏休み。宿題で書いた私の小説は、市のコンテストで選ばれて最優秀賞を受賞した。なんでもない小説。指定されたテーマに沿って書いた、暗い小説。市役所に呼ばれて表彰式にも参加した。そこで市長は長い挨拶の後、「えー、今回応募のあった七作品の中から最優秀賞を受賞した加藤さんは……」
七作品……?
「だってあれ、市内の中学生全員が書いたわけでもなかったしさ」
表彰式を思い出しながら、呟いた。
市内の中学生なんて、一万人は超えているはず。真面目に書いてた人なんて、全然いないじゃん。真面目に書いてた人なんて……。
市長の言葉はそれ以降、あまり覚えていない。
「それでもすごいんだよ」
念を押すように高坂は繰り返した。そしてゆっくり確かめるように私の小説をもう一度眺める。グラウンドから塊となった笑い声が聞こえた。
「すごいんだけど、もっと明るく書いてよ」
「うーん、書けるかな? ていうか、そこまで言うなら高坂が書いてみたら?」
開いた窓から風が吹き込み、高坂の長い髪がふわりと舞う。書きかけの原稿用紙が不規則な軌跡を描いて床に落ちた。
「びっくりした……」そう言いながら高坂は小説を拾ってくれた。
「ありがとう」高坂の目を見る。一瞬だけ、彼女が遠くを見つめるように目を細めた。何を見ていたのか分からないけど、そんな気がした。
「私には、できないよ」
「え?…………」それは小さな声だった。
さぁ、早く行くよ。と、私の手を取り前を走る高坂の背中は、不思議と惹きつけられるものがあった。なぜだろう? 考えてみたものの、走りながらでは何も思いつかない。
「ちょっと待ってよ」笑いながら駆ける私の声は揺れている。返事のない高坂の背中。少し汗をかいて制服が濡れているように見えた。
干渉 メンタル弱男 @mizumarukun
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