シャーデン・フロイデ

刈葉えくす

シャーデン・フロイデ

 僕には、小さい頃から仲の良い幼馴染が居た。名前をK子としておこう。今のご時世的に相応しくない表現かもしれないが、K子は女子の癖に特撮ヒーローやSF的な要素のあるアニメを好む変わった奴で、男の友達以上に話の弾む、まさに親友と言える存在だった。


 その日、東南アジアへ旅行に行っていたK子一家が帰国したというので、早速僕はK子の部屋で、彼女が最近手に入れた自前のカメラで撮ったという写真の数々を見ていた。


 K子の両親は大の旅行好きで、定期的に世界中を飛び回っていた。まさにこの親にしてこの子あり。といった具合の変人カップルだったことを覚えている。


 透き通った海に、大自然に鎮座する巨大な仏像、エスニックな雰囲気漂う料理、異国情緒が満載な写真の数々には、K子の写真に対する強い『こだわり』のようなものが感じられた。


『リアルを撮りたいんだよねぇ』


 というのが当時の彼女の口癖であった。その信条は僕達の共通した趣味であるSFにも顕著に表れていて、この描写はリアリティに欠けるとか、考証がしっかりしていないとか、今度は逆に夢が無さ過ぎてつまらないとか、そういう忌憚のない感想を語り合うのが楽しかった。


「ちょっと飲み物を取ってくるから、好きに見てもらって構わないよ」 


 そう言って彼女が部屋から出て行った。僕はパソコンの画面いっぱいに表示された写真を1枚づつ確認していく。やがてが現れた瞬間、僕の手は静止した。異国の穏やかな情景が並ぶ中、その薄暗い写真だけが強烈な異物感を醸し出していた為である。


「……なんだ、これ……え?」


 そこに写っているのは、瓦礫の山と、そして、女の手だった。重力でぶらんとした掌は、まるでこちらを手招きしている様にも見える。この一枚から感じた、心臓が圧縮されるような息苦しさを、僕は生涯忘れないだろう。


 (何だよ……何なんだよこれ!)


 心臓が加速する、背筋に冷たいモノがつたう。この写真はまずい。何か説明出来ない『まずさ』がある。


 不意に、地響きがした。その数秒後、大地が音を立てて振動する。震度4くらいの地震だった。今思えばなんて事の無い、地震大国日本においてはだったのかもしれない。


 しかし、どういう訳か、あの時の自分は全く違う景色を見ていたような、そんな気がするのだ。


 黒い肌をした女性が、赤子をあやしている。それはきっと、柔らかい時間の流れる休日の昼過ぎだった。そうであったハズだ。 

  

 そして、この世の終わりのような、大地が割れるような揺れが始まる。女は地面に丸まって、ぎゅっと赤子を守ろうとする。


 どれくらいの時が経っただろうか、女は濁流に吞まれている。痛い、苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい。


 子は何処だ。子は何処だ。


 女は藻掻きながら手を伸ばし、身体の殆どは漂流物に擦り潰され……そして……


「おーい!〇〇〇君!〇〇〇君!返事してー!」


 K子の声がした。僕はのような安心感に包まれた。さっきのは夢だ。あの写真も夢だ。きっとそうだ。


「それにしても〇〇〇君、たかだか震度4でビビり過ぎだよー。マジで放心状態だったじゃん。これは意外な弱点発見?なんつって」


 気が付くとパソコンはスリープモードになっていて、あの画像は画面から消えていた。熱中症で幻覚でも見たという事にしておこうと思ったが、どうしても僕の頭からあの情景が頭から消えることは無かった。


 だから、決着をつけるという意味で、僕はK子に訊いてみた。正直に言ってしまえば、僕はK子の事が、K子と過ごす時間が心の底から好きだったのだ。日常の象徴であるK子に『そんな写真撮ってないけど』と、一言言ってもらう事で、この体験を無かったことにしようとした。


 ──願わくば、そうなって欲しかった。


「あーひょっとしてあの写真見た?やべ、入れるフォルダ間違ってたなー」


 ……え?


「あ、うん。そうそう。アタシが撮ったの。それ」


 ……


『えー続いてのニュースです。先日インドネシアを襲った大地震。現地で支援を続ける日本人ボランティアの方々を取材しました』


 ……


「いやー大変だったんだよ?パパとママにも協力して貰ってさー。まあそこそこイイ感じなのが撮れたから満足っちゃ満足なんだけどね」 


 ……


「はい。整理整頓っと。本当は〇〇〇君にはコッチのフォルダに入ってる奴を見せたかったんだけど、ちょっと勿体ぶり過ぎちゃったなぁ。失敗失敗」


 ……


「他にも色々撮ったんだけど、見る?もっとグロいやつとかもあるよ」


 K子は、あまりにも平然とした口調でそう言った。


 ──その後のことは余り覚えていない。ただ、いつも通り駄弁って、いつも通りに解散したんだと思う。そういうことにしておく。


 あのフォルダに封じられているのは『リアル』だった。それ以上でもそれ以下でもない。ただ恐ろしくて忌まわしくて度し難い、そういう『現実』を彼女は、いや、は世界中を回って収集しているのだ。


 ・・・


「あなたーご飯よー。なんつってね。にゃはは」


 ━━今、K子は僕の妻になっている。昔と微塵も変わらない姿でここに居る。たとえ彼女の『リアル』にどうしても受け入れ難い部分が有ったとしても、結局のところ、僕はK子を愛している。それが結論だ。


『シャーデン・フロイデ』


 それが、あの日K子が例の写真を収納したフォルダの名前だった。おそらく外国の言葉なんだろうが、意味は解らなかったし、解ろうとする気も無い。


 もしその言葉の意味を知ってしまったとき、多分、僕は、今度こそ彼女の全てを受け入れられなくなってしまう。そんな気がするからだ。

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