第21話
翌日の朝。
俺はワークスペースのミクスコクーンを使い、ミクスへ訪れ、今日の夜に出場する《コントラクト・ヒーロー》の練習をしていた。
負ける気はしないが、念には念をだ。それに今夜の大会で優勝しないと、事件もゲーム製作も進まないし。
「練習捗っておりますかなぁ」
桃愛が映るモニターが目の前に現れた。
「おう。まぁな」
「まぁ、集合時間はとっくに過ぎておりますけどもね」
「え、噓」
アルケーウォッチで時間を確認する。午前10時8分。集合時間の10時をゆうに過ぎている。
「なんで、言わなかったんだよ」
「え、だって集中されてるし。真珠ちゃんは来てないし」
「真珠、来てないのか?」
今日は12時にサイバー・スクワッドに行かなければいけない。別々だと誰かが遅刻する恐れもあるからワークスペースに10時集合にした。
「うん。来てないよ」
「連絡してくれ」
「りょ。ただいま連絡させていただきやす」
桃愛は真珠に電話を掛ける。
モニターからは着信音が聞こえてくる。いつもなら、すぐに出るのにな。どうしたんだ。
「あれ、電話繋がらないな」
「もうちょいしたら繋がるじゃねぇか」
「うーん。もうちょい待つ」
着信音が鳴り続ける。出る気配すらない。何かあったのか。考えすぎか。アルケーウォッチの充電を忘れて寝てしまったのか。……真珠がそんな凡ミスするはずがないよな。
「ただいま電話に出る事ができません。ピーと言う……」
留守番電話になった瞬間、桃愛は電話を切った。
「どうする、もう一度掛ける?」
「もう一度掛けてくれ。俺も現実に戻るから」
「りょ」
「もし、これで電話に出なかったら。女子寮の真珠の部屋に行こう」
「その時は寮母さんに連絡する」
「頼んだ」
モニターに映る桃愛は頷いた。その後、また真珠に電話を掛け始める。
……なんだろう。少し不安になってきた。普段なら気にしないが、魔王ボルボの事件もある。もし、魔王ボルボの事件に巻き込まれていたら……いや、考えるな。本人に会えば済む話だ。
赤茶のレンガ造りの大聖堂のような建物。この建物こそがエルシスタ学園女子寮。男子寮とは違い敷地内に噴水やベンチがある。なんだ、この格差はと、見るたびに思う。
結局、真珠は電話に出る事はなかった。
桃愛が寮母さんに連絡して、特例で男子の俺も寮の敷地内に入ることを許された。まぁ、寮母さんが付き添う事が条件だけど。そんな悪い事しないんだけどな。
女子寮の建物の中から、エプロン姿のふくよかな中年女性が出て来た。きっと、あの人が寮母さんだな。男子だから女子寮の寮母さんに会う事はまずない。だから、顔も見た事かない。
「佐知子さん」
桃愛が手を振っている。やはり、あの人が寮母さんなんだ。
佐知子さんは桃愛に気づき、手を振りながら俺達が居る門に向かって来ている。
「桃愛ちゃん、今日も元気ね」
佐知子さんは言った。この人の方が元気そうに見えるが。
「はい。元気いっぱいはつらつです」
「それはいいことね。それで貴方が秋葉君」
「はい。始めまして、秋葉遊喜です。よろしくお願いします」
俺は頭を下げた。始めて会う人の前ではちゃんとしないと。俺以外の人の評価にも繋がる。礼儀やマナーは。
「しっかりしてる子ね。津守佐知子(つもりさちこ)です。よろしく」
佐知子さんは頭を軽く下げた。
第一印象は悪く見えていないはず。これで真珠にも桃愛にも迷惑はかからないな。
「いきなりで申し訳ないんですが、宝条さんの部屋に行かせていただきたいんですが」
「そうだったわね。行きましょう」
俺と桃愛は女子寮の敷地内に入った。
男子が女子寮に入るって変な感じだな。普通はありえないからな。
女子寮の建物に入り、靴からスリッパに履き替える。その後、階段で二階に上がり、真珠の部屋に向かう。
廊下には紅色のマットが敷かれており、壁には絵画などが貼られている。
寮じゃないな。ホテルだ。俺達男子寮はただのマンションと言っても過言ではないのに。
この格差は酷すぎる。抗議する為に立ち上がるか、男子生徒達よ。いや、俺がここで住んでいたら、何か綺麗過ぎて逆にストレスが溜まって吹き出物とかいっぱい出来そうだ。
真珠の部屋の前に着いた。
ブラウンの木製のドアには《1201》と部屋番号が刻まれている。
「寝ているかもしれないから、私が調べるわね」
佐知子さんは俺達に言った。
俺と桃愛は頷く。桃愛はとにかく俺は男子だ。真珠が普段どんな服装で寝ているか分からない。もし、裸に近い服装で寝ている所に俺が行けば色々と問題になる。
佐知子さんはドアを三回ノックした。
部屋の中から返答はない。もしかして、居ないのか。でも、そんなはずない。部屋から出ていたなら、ワークスペースに来ているはず。
「真珠ちゃん。佐知子よ。部屋の中に居るなら返事して」
佐知子さんはドアをドンドン叩きながら言う。しかし、部屋の中から何も音がしない。
……もしかして、いや。そんな事あるはずない。あり得て欲しくない。真珠が意識誘拐されているなんて。
俺と桃愛は視線が合った。
桃愛は不安そうな顔をしている。きっと、俺と同じ事を考えているのだろう。頼む、俺達が思う事が現実にならないでくれ。
「私が部屋の中を調べるわ」
「お願いします」
佐知子さんはエプロンのポケットから鍵を一つ取り出して、ドアの鍵穴に差して、回した。
カチャっと、音が鳴る。部屋の施錠が解除されたようだ。
佐知子さんはドアを開けて、部屋の中に入る。
俺と桃愛は佐知子さんの報告を待つしかない。この待つ間がとてつもなく不安を煽ってくる。不安からか心臓の鼓動が早まっている。
「真珠ちゃん。起きて、起きて」
部屋の中から佐知子さんの焦っている声が聞こえる。
真珠が部屋の中に居るのは分かった。でも、「起きて」と言う事は寝ているのか、気を失っているかのか、どっちだ。
「ふ、二人とも入って来て」
部屋の中から佐知子さんが俺達を呼んだ。
「は、はい」
「わ、わかった」
俺と桃愛は部屋の中に入った。
「真珠ちゃん。起きて、起きなさい」
佐知子さんは蓋の開いているミクスコクーンの前で膝を着いて、必死に呼びかけている。
俺と桃愛は佐知子さんのもとへ向かう。
「……真珠ちゃん」
「いや、そんなはず」
蓋の開いたミクスコクーンの中には目を閉じたままで居る真珠が居た。
「ど、どうしよう」
「まず生死確認だ。佐知子さん。すいません。ちょっと場所を開けてもらえませんか」
「わ、わかったわ」
佐知子さんは立ち上がり、場所を開けてくれた。
俺は真珠の左腕を掴み、脈を測る。
「どう?遊ちゃん」
「大丈夫。脈は動いている」
……脈は正常だ。死んではない。よかった。でも、あれだけ佐知子さんが呼びかけても起きなかったと言う事は意識がない。意識誘拐だ。
「よかった」
「でも、これはきっと意識誘拐されている」
「そ、そんな」
桃愛は驚いているような表情をしている。
「どう言う事なの?」
佐知子さんが訊ねて来た。一般人の佐知子さんは意識誘拐事件については知らない。
「説明は今から呼ぶ人達から聞いてください」
説明はできるがどこまで言っていいかの判断ができない。だから、亜砂花さん達から言ってもらった方がいいはず。
「今から来る人?」
「はい。桃愛、亜砂花さん……サイバー・スクワッドを呼んでくれ」
「わ、わかった」
桃愛はアルケーウォッチの画面をタッチして、亜砂花さんに連絡しようとしている。
「サイバー・スクワッドって。あのサイバー・スクワッド?」
「はい。そのサイバー・スクワッドです。これは事件なので呼びます」
「そ、そうなの」
「お願いがあります。この階で住んでいる生徒達を他の階に連れて行ってもらって、この階を封鎖してください」
「……わかったわ。でも、一つだけいいかしら」
「なんでしょうか?」
「貴方は何者?」
「サイバー・スクワッド、ゲーム犯罪課の秋葉遊喜です」
「……サイバー・スクワッドの人なの」
佐知子さんは驚きを隠せていない。仕方ない。普通に考えて、高校生がサイバー・スクワッドに所属しているなんて思わないだろう。
「はい。真珠と桃愛もです」
「え、そ、そうなの」
佐知子さんは腰を抜かした。驚きの許容量を超えてしまったのだろう。
「だ、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ。でも、ちょっと、受け入れる時間をちょうだい」
「分かりました」
俺は周りを見渡す。真珠の事だ。何か手掛かりを残すはず。
学習机の上の二つ折りにされた紙が目に入った。
俺は学習机へ行き、学習机の上の二つ折の紙を手に取り、開く。紙には《ノワール・ネージュ・イリュジオン》に招待される条件は思っていた通り、ノーマルシティーのゲーム大会で優勝者。ごめんなさい。勝手な事して」と書かれていた。
「……真珠」
この紙が書かれている事が事実なら、昨日、俺達と分かれてからゲーム大会で優勝した事になる。
俺はアルケー・ウォッチの検索エンジンで「宝条真珠 優勝」と入力した。画面には昨夜行われた《ドラゴン・ライダー》の大会で優勝した真珠の姿が映った記事が表示されている。
「……馬鹿野郎。何、勝手な事してんだよ」
紙に書かれている文字が滲んでいく。そして、視界がどんどんぼやけていく。もしかして、俺は泣いているのか。
俺は手で目を擦る。手には水分が付いている。あ、俺は泣いているんだ。
ふ、ふざけるなよ。自分を犠牲にして確証を得るなんて。自分の事を大事にしろよ。真珠、お前が居なくて困る人間はここに居るんだぞ。1人じゃなくて、2人も。俺達はチームだろうが。
「遊ちゃん。亜砂花さんと連絡繋がったよ」
桃愛のアルケーウォッチを壁に向ける。すると、壁に亜砂花さんが映る画面が現れた。
「どうしたの?何かあったの?」
画面に映る亜砂花さんが訊ねてくる。
「真珠が意識誘拐されました」
「……今、なんて言ったの?」
亜砂花さんは聞き直してきた。俺が言った現実を信じたくないからだろう。
「……宝条真珠が意識誘拐されました」
「……そう」
「はい。今、事件現場のエルシスタ学園女子寮の真珠の部屋に居ます」
「わかったわ。古道君と一緒にそっちに向かうわ。じゃあ、切るわね」
「……了解しました」
壁に映っているモニターが消えた。
「遊ちゃん」
桃愛は心配そうな顔をしている。
「大丈夫だ。桃愛は大丈夫か?」
「うん。平気。まだ遊ちゃんが居るから」
桃愛が無理をしているのがよく分かる。普通なら冗談でも言うはずだから。けれど、今はそんな冗談を言う余裕もないのだろう。
「そっか」
「私は指示通りに動きますね。もし、何かあったら呼んで」
佐知子さんは立ち上がって、言った。
「ありがとうございます」
「それじゃ、失礼」
佐知子さんは部屋から出て行った。俺の指示通りにしてくれるはずだ。
さすがに今回だけは精神的にきつい。今までと違い近しい人間が被害を受けた。もしかしたら、一生目を覚まさないのではないかと言う考えが脳裏を過ぎる。それをどうにかして、振り払おうとする。しかし、振り払おうとすればする程、その考えが頭を覆い尽くし
ていく。
――30分程が経った。
桃愛は真珠の手を握って、座っている。
亜砂花さんと古道さんと鑑識の人達が真珠の部屋に入って来た。
「待たせたわね」
亜砂花さんはそう言ってから、目を覚まさない真珠が居るミクスコクーンのもとへ向かう。そして、桃愛の頭を軽く撫でた。
「いえ、全然」
「ちょっと休んだ方がいいんじゃないか」
古道さんは俺の顔を見て、心配をしてくれている。それほど疲れた顔をしているのだろうか。
「大丈夫です」
「そうか。しんどくなったらいつでも言ってくれよ」
「はい」
古道さんも目を覚まさない真珠が居るミクスコクーンに向かう。
「ほ、本当ね。噓だと思いたかったけど」
「自分の目で見ると堪えるものがありますね」
「そうね」
「桃愛ちゃん。休みなよ」
「……はい。でも、もう少しだけこうさせてください」
「あぁ。わかった」
古道さんは優しく温かい声で言った。
鑑識の人達が作業を始める。
ドラマや映画で被害者が警察の親族だった場合、捜査から外されると言うものを見て、なんでそんな酷い事をするんだろうと思っていた。でも、今は捜査から外すのが妥当だと分かる。真珠は家族ではない。けど、昔からずっと一緒に居る幼馴染。魔王ボルボに対する怒りや殺意が芽生えているのが自覚できる。正常の判断が出来る気がしない。でも、真珠を一秒でも早く助けたい。
俺は亜砂花さんのもとへ行く。
「亜砂花さん、ちょっといいですか?」
「なに?」
「……俺がこの事件を解決させます」
「……遊ちゃん?」
亜砂花さんは困惑しているような表情をしている。
「ノワール・ネージュ・イリュジオンを攻略して、真珠を、被害者達を助けます」
「サイバー・スクワッドに一度戻ってから考えましょう」
「今日の晩にあるコントラクト・ヒーローの大会で優勝します。そして、魔王ボルボから招待状をもらい、そのままノワール・ネージュ・イリュジオンをプレイします」
俺は亜砂花さんの提案を無視して、自分の気持ちを述べている。こんな事は許されないと思う。でも、言わないといけないと、俺の心が言っている。
「ちょっと、話を聞きなさい」
「お願いします。俺しか居ないんです。真珠を救えるのは」
「秋葉遊喜、話を聞きなさい」
亜砂花さんは怒って言った。遊ちゃんと呼ばない時は本当に怒っている時だけ。でも、そんなの関係ない。
「嫌です。はいっと言ってもらうまでずっと言い続けます」
「貴方ね。自分が言っている事が分かっているの」
「はい。分かっています」
「分かってないわ」
「……好きにさせてあげましょうよ。亜砂花さん」
古道さんは言い争っている俺と亜砂花さんの間に入って来た。
「古道君?」
「考えても見てください。今、ノワール・ネージュ・イリュジオンを攻略できる人間がこの電界島に遊喜君以外いると思いますか?」
「……それは」
「ですよね。だったら、彼に賭けましょう。遊喜君が攻略できなかったら、僕らもクビなんですから」
「……そうね」
「そうですよ」
「言われてみたらそうだわ。遊ちゃん以外攻略できそうな人は居ないわね」
亜砂花さんの表情が少し和らいだ。
「でしょ。だから、彼を思うようにさせてあげましょう」
「……古道さん」
古道さんがここに居てくれてよかった。もし、俺と亜砂花さんだけだったら、こんなふうにはならなかった。
「遊ちゃん。これは指令ではなくて命令よ。今夜のコントラクト・ヒーローの大会に優勝して、ノワール・ネージュ・イリュジオンを攻略する事。分かったわね」
「……はい。ありがとうございます」
これで退路は断たれた。あとは自分で言った事を全て現実にしていくだけだ。失敗は許されない。
「えぇ。やってもらわないと私達のクビが飛ぶからね」
「はい。分かってます」
「遊喜君。一つだけ約束してくれるかな」
「なんですか?」
「……今から事件が終わるまでは何があっても冷静である事。それを約束してほしい」
「……分かりました。約束します」
そうだ。感情を制御しないと。熱くなればなる程、視野は狭くなるし、上手く考える事
もできなくなる。今の俺みたいに。でも、冷静になれば物事を俯瞰で見ることが出来るし、
色々と考えが生まれるはず。言われるまで気づかなかった。このまま、コントラクト・ヒーローの大会に出たら足元をすくわれる可能性があった。
「じゃあ、頼んだよ」
古道さんは微笑んで、俺の肩を叩いた。
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