第2話 料理人

 そもそも、なぜ料理人を選び、そしてこんな無謀な戦いに挑むことになったのか――俺は迫る来る猛き猪に向かいながら、ここまでのことを思い返していた。


 このVRMMORPG「アナザーワールド・オンライン」は、「現実とは違う世界でもう一人の自分を生きる」という謳い文句で発売されたゲームだ。

 選べる職業はこれまでのゲームで選択できる職業の比ではなく、戦士や白魔導士などの戦闘職だけでなく、鍛冶師や農家といった生産をメインとする非戦闘職まで数多く用意されている。ひたすら強い敵との戦いを追い求めるプレイヤーがいる一方で、中には戦闘を一切せずにただひたすら釣りだけをしているようなプレイヤーさえいる――それがこのゲームの魅力でもあった。


 そして俺は、その数ある職業の中から「料理人」を選んだ。


 俺の実家は田舎町の小さな洋食屋だった。父と母はいつも忙しそうに働いていたが、俺はそんな両親を誇りに思っていた。料理人になりたいという漠然とした夢も抱いていたものだ。

 しかし、中学に上がる頃、近くに外食チェーン店ができると、もともと地元の人が来てくれるおかげで成り立っていたのに、家族連れを中心に客の多くは安くてメニュー豊富なそちらに流れていってしまった。うちの店の味を好んで通い続けてくれた人もいたが、もともと十分な儲けを出せるような経営状態でなかったこともあり、店の経営は一気に厳しくなった。そして、俺が中学を卒業する前に、両親は泣く泣く店を畳むことを決めた。


 そんな苦労をした両親から会社勤めを勧められたこともあって、俺は料理とは無縁の会社にプログラマーとして入社した。だけど、人のいい両親に育てられたこともあってか、俺もそれを受け継いだようで、会社でもいいように人に利用されてしまうことばかりだった。困難な仕事や問題が発生すれば、なぜか責任は俺に押し付けられ、信頼できる仕事仲間の一人もできず、結局体を壊して退職し、今は実家で絶賛ニート中だ。

 それでも心が壊れる前にあの会社を辞めたのは正解だと思っている。


 そんな俺が、心の癒しを求めて始めたのがこの「アナザーワールド・オンライン」だった。

 現実の自分とは違う自分を生きられる――その言葉に魅了されて、俺はこの世界に飛び込んだ。


 とはいえ、キャラクターを作る段階で、どうしても現実の自分に似たキャラを作ってしまった。ヒョロガリの体形に、前髪で片目が隠れる黒髪の目隠れキャラ。

 まぁ、顔だけ美形顔を選んだから、そこは現実とはだいぶ違うけど、そこはゲームなんだから、それくらいは許されるだろう。


 そうやって、美形なところ以外は自分に似たキャラを作ってしまった俺は、キャラクターの職業選択の段階になって、昔の憧れを思い出した。

 それが「料理人」だ。

 もし子供の頃の憧れのまま料理人を目指していたらと今の俺はどうなっていたのか――そんな思いは俺の中でずっとくすぶっていた。そんな心のもやもやを解消するのに、料理人という職業はベストの選択だと思った。少なくともその時は……。


 しかし、ゲームを始めてしばらくすると、俺はその選択が間違いだったことに気付かされた。

 別世界を生きられるゲームとはいえ、このアナザーワールドの魅力の一番大きな部分は、世界の探索とそこに住むモンスター達との戦闘にあった。実際、このゲームを始めた人の9割は戦闘職を選んでいるらしい。

 非戦闘職でも戦闘はできるが、当然ながら戦闘職に比べて効率が悪い。おまけに街でちまちまモノづくりをするよりも、モンスターを倒すほうが金も経験値も上ときている。

 その結果、この世界では職業によるヒエラルキーが生まれ、戦闘職は勝ち組、非戦闘職は負け組と呼ばれるようになった。それでも、鍛冶屋などの戦闘に必要な武器・防具を作れる職業や、錬金術師のように戦闘に使えるアイテムを作れる職業は例外で、戦闘職以上に重宝されることさえある。


 だが、残念ながら俺が選んだ「料理人」はそうではなかった。

 料理自体はNPCの店でも買える上、そういった料理でも様々な食事効果を得られる。料理人による料理がNPCの料理より勝っているのは、食事効果がちょっとだけ上なことと、食べた時に美味しいということだけだった。

 このゲームでは、脳に電気信号を伝えることで、ゲーム内でも味覚を感じることができるという画期的な要素があるものの、味を感じられても実際に腹が膨れるわけではない。結局、味覚を再現しても、趣味の領域を出ないのだ。


 そういったことがわかった時点で、負け職業を選んだプレイヤーの多くは、キャラクターを作り直すことを選んだ。このゲームでは、サブ職業は自由に選べるし変更も可能だが、メインの職業は変更できず、やり直したいならキャラを削除するしかない。だが、俺は料理人ショウとして過ごすうちに、このキャラに愛着が湧いてしまい、作り直しの決断をくだせないままダラダラと続けてしまい、完全にそのタイミングを逸してしまった。

 今更やり直してもほかのプレイヤーに追いつけるわけもなく、どっちみち負け組だ。だから、俺は今もこの料理人ショウとして、このアナザーワールドの世界を生きている。


 この日も、俺は自分の店で客を待っていた。とはいえ、NPCから借りた店であり、自分の店と呼べるほどのものではない。金を貯めれば、特定エリアにある建物を自分の店として購入することもできるが、今の俺にはそこまでの資金力はない。NPCにテナント料を払って借りているだけの店で、内装の変更もできず、シンプルなキッチンとカウンターがあるだけだ。


「ショウ、いるか?」


 低い声とともに、大きな影が店に入ってきた。この店の数少ない常連のクマサンだ。俺は体の大きな熊の獣人キャラだが、意外と目がクリクリしていて、顔だけ見れば結構可愛くも見える。もっとも、キャラの大きさがその可愛さをすべて台無しにはしてしまっているが。


「お、クマサン、いらっしゃい!」

「また肉を持ってきた。いつもの作ってくれるか?」

「もちろん!」


 俺がうなずくと同時に、目の前にシステムメッセージが表示された。


  クマサンがトレードを申し込んでいます。受けますか? はい/いいえ


 リアルを追求したVRゲームなので、手渡しでもアイテムの受け渡しは可能だが、多すぎたり大きすぎたりする物をやりとりする場合には不便である。そのため、直接のやりとりなしのアイテム交換方法も用意されている。それが、今クマサンから申し込まれたトレードだ。この方法を使えば、実物を出さずに、お互いのアイテムボックス同士で物のやりとりができる。

 俺は頭の中で「はい」の選択肢を意識した。コントローラーのないこのゲームでは、答えを頭でイメージするだけでいい。

 俺の思考に反応して、トレードボックスが開いた。


  バッファローの肉×5

  グレーターバッフローの肉×1


 クマサン側のトレードボックスにアイテム名が表示される。

 物々交換や売買をする場合は、俺の方のトレードボックスに交換品やお金を入れるのだが、もらうだけなら空のままで問題はない。

 お互いがOKをしたことで、2種類6つの肉は俺のアイテムボックスへと移った。


「グレーターバッファローの肉とは、なかなか良いものを手に入れたじゃないか。自分で狩ったのか?」

「ああ。ようやくソロでも勝てるようになってきた」

「ソロ!? まじかよ」


 効率よく経験値やアイテムを稼ぐにはソロでモンスターを狩るのが一番だ。しかしながら、その分リスクは高い。複数の敵に囲まれる危険や、状態異常、特に行動不能系の異常を食らいでもすればあっという間に致命的な状況に陥る。

 死んでしまえば、数時間稼いだ分くらいの経験値はデスペナルティで消えるし、アイテムやお金だってランダムで失いかねない。そのため、多くのプレイヤーは多少の効率を犠牲にしても、安全性を求めてパーティを組んでモンスターと戦うものだ。

 クマサンは俺と同じくギルドに所属しておらず、常に特定の仲間とパーティを組むことはない。しかし、彼は、料理人の俺と違って、パーティに一人は欲しいタンク役ができる重戦士だ。パーティ希望でも出しておけばすぐにでも仲間を見つけられるだろう。それなのに、わざわざソロで挑んでいるのは意外だった。


「グレーターバッファローの肉でいつものを作ってくれれば、あとの肉は手間賃としてとっといてくれてかまわない」

「いや、それだともらいすぎだ。しばらくはただで料理するから、また店に来てくれよ」

「そうか、すまないな」

「いつもみたいにここで食べていくんだろ?」

「ああ」


 ゲーム的には、食事を取ることの最大のメリットは、体力やスキルを使用するのに必要なSPの回復、そして一時的なステータスアップなどの効果だ。食事効果によるステータスアップなどの効果は24時間続くものの、体力やSPの回復は食事した瞬間に発生するため、この店で食べるメリットは特にない。そのことも料理人が負け職業と言われる要因の一つなのだが、クマサンは何故かいつもこの店でとる。


 以前、なぜこの店で食べるのか尋ねたことがあるが、その時にクマサンは「料理は作りたてがうまいだろ」と答えた。

 確かにこのゲームでは味覚が再現されているが、作りたてとアイテムボックスに保存してから食べる場合の味は変わらない。それは俺自身も試して確認済みだ。それでも彼はこだわりを持ってここで食べる。そういうプレイヤーが俺は好きだ。


 キッチンに立った俺は、アイテムボックスからグレーターバッファローの肉を取り出す。

 まな板の上に再現された赤身のブロック肉は、見事にリアルだ。

 ここからが料理の開始だが、現実世界のように本当にすべての工程を行うわけではない。ここはあくまでゲームの世界であり、料理には「切る」と「焼く」の二つの動作だけで十分だ。フライ料理やシチューなども、「揚げる」や「煮る」ではなく、「焼く」という行動で出来上がってしまうことには疑問を感じるが、そのあたりはあくまでゲーム的な処理ということだ。


「そういえばクマサン、サブ職業で料理人をつければ誰でも料理ができるのに、自分で作らないのか?」

「……前に、包丁を買うのがもったいなくて、剣で肉を切ろうとしたが、肉に防御力が設定されていてうまく切れなかった」

「剣で肉を切ろうとしたのかよ!? まじかよ!?」


 俺はクマサンのダイナミックな行動に思わず吹き出す。

 アイテムとしての肉には防御力が設定されており、強引に剣で切ろうとして簡単にはいかない。だが、包丁を使い、料理スキルを発動すれば、固い肉も簡単に切れてしまう。この場合、防御力を無視した内部処理が行われているのだろう。


「せっかくのグレーターバッファローの肉だ。自分でやって失敗したらもったいないもんな。俺に任せたのは正解だ。ここは本職の料理人の腕をお見せしようじゃないか」


 俺はアイテムボックスから高級包丁【攻撃力5 切れ味20】を取り出して構える。


「スキル、みじん切り!」


 包丁がブロック肉に滑らかに入ると、システムメッセージが表示された。


  成功 成功度:10


 俺の「切る」という行動に対する結果が、システムメッセージとして表示された。

 成功した場合は、その出来具合が1~10の数字で成功度として表示される。

 つまり、完璧な成功だ。

 次に「焼く」作業に移り、フライパンで肉を焼く。


「スキル、火加減調整!」


 ここでもスキルを使ってフライパンを振る。ゲーム的には、このフライパンを振るアクションが焼くという行動になる。


  成功 成功度:10

  ハンバーグが完成しました

  料理効果

   体力回復50 SP回復10 被ダメージ10%減少 特殊効果1つ付与


 またしても完全成功。

 グレーターバッファローの肉は、料理難易度としては高めの素材だ。どちらも成功度10の完全成功するとは、自分でもちょっと驚きだ。

 素材のレア度が高ければ高いほど、そして成功度が高ければ高いほど、料理の効果は高くなるし、食べた時の味もよくなる。

 特に今回ついた料理効果の被ダメージ10%減少は破格だ。ハンバーグにはもともと被ダメージ減少効果があるが、ついてもせいぜい数%。10%は俺も滅多に見ない。グレーターバッファローの肉という素材と俺の腕が合致した結果だ。

 最高の調理でできた料理をクマサンに食べさせてやれると思うと、自分が食べるわけでもないのに、無性に嬉しさがこみあげてくる。


「できたぜ、クマサン! これがグレーターバッファローの肉で作れる最高のハンバーグだ!」


 俺は、香ばしく焼きあがったハンバーグを皿に乗せて、カウンター席に座るクマサンの前に差し出した。ジューシーな肉汁が皿の上に広がり、その香りが空気を満たす。あまりにリアルすぎる臭いの感覚に、これがゲームであることを忘れそうになることがある。


「おおっ、これはまたうまそうだな! ショウのハンバーグを食べるために俺はこのゲームをやっているようなものだ」


 クマサンは目を輝かせてナイフとフォークを手にした。

 その言葉が少々大げさなのはわかっているが、それでも心に響かないわけがない。

 俺はちょっと照れくささを感じつつも、クマサンがハンバーグに食らいつくのを見守った。

 この人は普段、不愛想で口数も少ないが、俺のハンバーグを食べる時だけは別人のように生き生きとしている。今もその表情からは、料理を楽しむ喜びが溢れ出していた。そんな彼を見ていると、俺まで幸せな気持ちになるのだ。


 そう、この瞬間があるから、たとえ負け職業と言われていても、俺は料理人をやめられない。

 俺はしばらく、黙々と食べ進めるクマサンを眺めていたが、ふと先ほどハンバーグを作った際に表示された「特殊効果1つ付与」のことを思い出した。

 特殊効果は、料理が高い成功度で完成したときに付与されるボーナスで、その内容は食べてみないとわからない。俺も過去に何度か特殊効果付きの料理を作ったことがあるが、それらは売り物にするため、実際にその効果を体験したことはなかった。今回はグレーターバッファローの肉を使ってあの成功度だ、かなり良い効果が付いたのではないかと、少し気になってしまう。


「そういえばクマサン、今のハンバーグに特殊効果がついていたよな? どんな効果だった?」

「ん? 特殊効果? ああ、そういえばさっき――」


 その時、クマサンの声をかき消すように甲高い声が響いた。


「あー、クマさん、やっぱりここにいました!」


 店の入り口に目を向けると、そこには白と赤の巫女服をまとったミコトさんが立っていた。長い黒髪が揺れるたびに、その姿がより際立って見える。


「ミコトさん、いらっしゃい」


 俺は新たな来客に声をかけたが、呼びかけられた肝心のクマサンは振り返りもせずに食事を続けている。まるで「食事中に邪魔するな」と言わんばかりのオーラを感じのは、気のせいだろうか?


「ショウさん、お邪魔しますね。ちょっとクマサンに用事がありまして」


 ミコトさんはクマサンの隣に立ち、礼儀正しく頭を下げた。


「食事中ごめんなさい。これからうちのギルドのアタッカー3人とレベル上げに行こうと思うんですけど、もしよかったらクマサンも一緒に来てくれませんか? 盾役がいてくれると、私がすごく助かるんですけど……だめでしょうか? もちろん、食事が終わってからでいいので」


 どうやら、ギルドメンバーと一緒にレベル上げに行こうという誘いのようだ。

 離れていてもフレンド同士ならボイスチャットで誘うこともできるはずだが、この様子ではクマサンがボイスチャットを拒否設定にしているのだろう。彼はきっと、食事に集中するためにそうしているに違いない。


 しかし、戦闘職のプレイヤーだとこうやって頻繁にパーティに誘われるものなのだな、と少し羨ましく思った。

 俺なんて誘われたことすらないのに……。


「……ショウも一緒なら行ってもいい」


 クマサンが口にしたその言葉に、俺は驚きを癖なかった。

 自分でも知らないうちに、羨ましそうな顔をしていたのだろうか?


「え、でも、ショウは非戦闘職の料理人ですよ?」


 ミコトさんが疑問を投げかけるのも無理はない。レベル上げに料理人を連れて行くのは非効率だ。もう一人ヒーラーを入れるか、あるいはアタッカーを入れたほうが、はるかに効果的なのは明白だ。


「サブ職業を回復系にすれば問題ない。……それに、ショウがいれば現地で料理が作れる」

「確かに、サブ職業で私の回復をサポートしてもらえれば、私も動きやすくなりますし、私がSP回復中に回復を任せれば、戦闘が途切れることなく続けられますね。……意外と悪くないかもしれません」


 ミコトさんは黒髪清楚の可愛いキャラでありながら、ギルドメンバーにちやほやされるしか能のない姫プレイヤーではなく、どちらかと言えば効率を重視するガチ系のプレイヤーだった。クマサンの提案を真剣に考えている姿が、それを物語っていた。


 ……というか、二人とも俺の意志を無視して話を進めてないか?

 俺は一緒に行くなんて一言も言ってないんだけど……。

 まぁ、パーティでレベル上げには興味があるし、行ってみたい気持ちも少しあるんだけどさ。


「……確かにショウさんなら、下手な人を誘うよりいいかもしれませんね。わかりました。ショウさんも一緒にお願いできますか? サブ職業を回復系職業にして、あと調理道具も忘れずに。私もショウさんの料理のファンですから」


 そう言ってミコトさんはウインクしてみせた。

 その可愛らしい仕草に、俺は一瞬ドキッとしてしまう。


 こうして、俺は、クマサン、ミコトさん、そして彼女のギルドメンバーのアキラ、ジャッキー、クロと一緒に、街から離れたところにある森へとレベル上げに出かけることになった。


 もちろん、この時の俺は、そんな森の奥深くで、ランダムポップする狂暴なネームドモンスター「猛き猪」に遭遇するなど、思いもよらなかったのだ。

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