老兵は死なず、若返るのみ

笹塔五郎

第1話 老いと病

 ルヴェン・フェイラルはかつて『最強』と謳われた傭兵であった。

 戦場に立てば負けを知らず、個の戦力において彼女を超える者はいない――だが、彼女も老いと病には勝てなかった。


「ごほっ、ごほっ――ったく、いよいよ起き上がるのもしんどくなったね」


 咳き込みながら、ルヴェンは窓の外に視線を向けた。

 齢七十を超え――すでに傭兵としては現役を退いている。

 今は、人里離れた場所で静かに暮らす身だ。


「リエナ、いるかい?」


 何とかベッドから起こして、ルヴェンは扉の向こうに声を掛ける。

 リエナ・セウロス――十年以上前に、ルヴェンが拾った獣人の少女だ。

 独り身のルヴェンにとって、リエナに身の回りの世話をしてもらうことは、非常にありがたいことだ。

 無論、そんなことをさせるために拾ったわけではないのだが。


「……ったく、こんな時にどこに行ったんだが……ごほっ」


 ルヴェンは何とか力を振り絞り、立ち上がろうとする――だが、それすらも叶わなかった。

 脱力し、そのままベッドに横になる。


「……私の人生も、ここまでか」


 ルヴェンはどこか納得するように呟いた。

 おそらく、次に眠りに就くとき――ルヴェンが最期を迎える時だ。

 自分の身体のことだから、よく分かる。

 自由の効かない身体では、どのみち長く生きたいとも思わなかったから、それでいい。

 ゆっくりと、瞼を閉じようとしたところで、うるさい足音が耳に届く。


「――師匠、ただいま戻りました!」


 バンッと勢いよく扉を開けたのは、髪の色と同じ猫耳と尻尾が生えた少女――リエナだ。

 年齢は十五、六ほどで、まだ幼さの残る顔立ちをしている。

 正確には誕生日が分からず、彼女は捨てられた孤児であった。

 たまたま、ルヴェンが当時ねぐらとしていた場所にふらりと姿を現したのが、出会いである。


「どこに行っていたんだ。まったく……大事な話をしようって時に」

「実は、ある物を取りに行ってまして……!」

「ある物?」

「はい、これですっ!」


 そう言って、リエナが差し出したのは――小瓶に入った宝石のように青白く輝く液体であった。


「……何だ、それは?」

「ふっふっ……聞いて驚かないでくださいよ? 何と、これはどんな病でも治すことのできる秘薬――『万能薬』と呼ばれる代物だとか!」


 万能薬――確かに、存在すると聞いたことはある。

 この大地のどこかにあるという、生命の泉から手に入れたという話から、現実的には過去に実在したという賢者のこの世に遺した物、とも。

 だが、そんな物は偽物ばかりで――ましてや、リエナが一朝一夕で手に入れて来られるような代物ではないはずだ。


「……ったく、どこに行っていたかと思えば、詐欺にでも引っかかったのか」

「さ、詐欺なんかじゃないですよ! これはきっと本物で――」

「まあ、いい。それより、私の話を聞きなさい」


 ルヴェンはそう言いながら、懐から一枚の紙を取り出して、リエナに渡す。


「これは?」

「私の全財産――在処は全てそこに記した」

「……え?」

「私が死んだ後は全部やる。ただ、こんな万能薬なんていう、ふざけた物に引っかかって金を使わないように――」

「何で、そんなこと言うんですか!?」


 リエナはルヴェンの言葉を遮った。

 ――彼女は、泣きそうな表情を浮かべていた。


「師匠は、まだ元気になれますよ……。今寝込んでいるのだって、病気のせいなんですから」

「……だとしても、医者にも助からないと言われている」

「だから、この万能薬があるんじゃないですかっ」

「そんな都合のいい物があると考えるんじゃない」

「……っ」


 リエナは涙をこらえたまま、手にした小瓶を投げようとして――ルヴェンの傍に置いた。


「……わたしは、諦めませんから……っ!」

「リエナ――」


 踵を返すと、リエナは振り返ることなく部屋を出て行ってしまう。

 もう、これが最期の会話かもしれないのに――


「……心残りはないと思っていたが」


 唯一、リエナのことは心配だった。

 十五歳――十分、独り立ちできる年齢にはなっていると思う。

 ルヴェンに拾われた彼女は幸運な方なのかもしれないが、性格も何かと騙されやすいタイプであった。

 ――万能薬などという物に頼ってしまうくらいには。


「……まあ、どうせもう終わる命だ――あの子もこれで現実を受け入れるだろう」


 ルヴェンは小瓶を手に取ると――中にあった液体を一気に飲み干す。

 すると、急激な眠気に襲われた。


(強い睡眠薬か……それとも、毒か。リエナ――)


 そこで、ルヴェンは意識を失った。

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