第4話 黒猫になった剣豪

 ここは、一体……?


 意識を取り戻した朱鷺常ときつねの視界に、見慣れぬ木造もくぞうの小部屋が映りこむ。

 はめ殺しの窓から差し込む三日月の光が一人分の寝台だけが置かれた簡素な室内を灯すなか、朱鷺常はその寝台しんだいの上でうつ伏せに寝転がっていた。

 窓の外を見れば、隣に立つ建物の三角屋根に積もった雪が月光に反射して煌びやかな光を放つ。

 程なくまどろんでいた意識が鮮明になり、朱鷺常はこの場所をようやく思い出す。

「ここは、キロが手配してくれた宿部屋か」

 浜辺から[シュダール]に移り、酒場へ行くまではこの部屋で冷えた体を癒していたから間違いない。

 その後のことも鮮明だ。

 酒場でキロから仕事の話を受け、そして眠らされたことを……。

 この宿部屋へ運んだのは、おそらくキロだろう。

 しかし、拙者をどのようにしてここまで運んできたのか?

 小柄な体なのは認めるが、細っそりとしたキロが朱鷺常を抱えて宿部屋まで運ぶ光景がどうにも思い浮かばない。

 何かしらの魔術で拙者の体を浮かせたのだろうか?

 疑問に思いながらも朱鷺常がベッドの上で体を起こそうとした、その時。

「うん? なんだ……?」

 朱鷺常の体に強烈きょうれつな違和感が走る。

 上体を起こしたはずなのに、頭上の天井がやけに高い位置にある。

 いや、それだけじゃない……。寝台から今度は真下を眺めると、部屋の木床がかなり深い位置に敷かれていたのだ。

 宿部屋の窓もよく目を凝らすと、心なしか一回り大きく見えなくもない。

 目に見えるもの全てが巨大に……。いや、感覚的には、自分の体が小さくなっている感じだ……。

 どうなっている? 違和感を抱いたまま朱鷺常はなんとなく地面につけていた右手を見つめた。

「にゃ!?」

 自身の右手に、朱鷺常はギョッとしながら目を疑った。

 毛の目立たなかった右手の肌が、今や無数の黒い被毛ひもうで隙間なく覆われていたのだ。

 それだけじゃない……。手指は極端に短い三本指へと変わり、各々の指先から鉤爪状かぎづめじょうの爪が細くとがっていた。

 極めつけは、てのひらでぷにぷにと膨れた薄紅色うすべにいろの肉球だ。

 人間ならばあるはずのないものが、今や朱鷺常の手中にある。

 人間より一回り小さな手は、まぎれもなく猫の手そのものだった。

 まさか……。

 寝台の上で朱鷺常は、部屋に取り付けられた嵌め殺しの窓ガラスに自身の全身を反射させてみた。

「どういうことだ……。この姿は?」

 窓ガラスに、自分の姿はない。

 ガラス面で代わりに映っていたのは、一匹の黒い猫だった。

 黒の体毛を生やし、四つ足で地面に立ち、臀部より尻尾をニョキニョキと揺らす。

 そんなどこにでもいる、普通の黒猫だった。

「どうなっている……。何が起こっているのだ……?」

 夢を見ているのか?

 しかし、立っている感覚も意識も鮮明で、とても現実離れしているとは思えない。

 なら、この姿は一体……?


「あなたがトキツネさん、ですか?」


 唖然とする中、不意をつくように背後から声をかけられる朱鷺常。

 澄んだ女子の声音は、キロのものではない。

 誰だ? すぐさま後ろを振り向くと、宿部屋の入り口に金髪の女子が立っていた。

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