第2話 剣豪と、三角帽子の魔術士

「夢、か……」


 それも、なんとも心地の悪い夢か……。

 砂浜の波打ち際で、朱鷺常ときつねは仰向けのまま鈍色にびいろの空を見つめた。

 空から舞い落ちる雪が倒れた体を白く染め、ち引きをくり返す細波さざなみが痛いほどの冷たさを皮膚に残す。

 空の明るさして、巨大魚との戦闘からそう時間は経ってないか。

 横を振り向くと、白銀の雪に覆われた砂浜の少し先に街と思しき建物たちが見えた。

 赤や白といった明白色の壁や、雪が積もらぬよう急斜きゅうしゃに構えた三角屋根の民家は、いずれも"極東"では見ない。

 故郷の木造家屋もくぞうかおくより頑強がんきょうな造りは、大陸の建築技術によるものだろう。

「街の近くに漂着したのか……」

 縁も所縁もない土地だが、本来船が到着する予定だった街から離れてないように思う。

 朱鷺常はそのまま身辺整理をした。

 財布や衣服を入れた風呂敷や財布は落水の拍子で失くしたらしい。

 仰向けのまま慌てて腰下に手を伸ばすと、唯一失わずに済んだ代物を自身の前にかざした。

 眼前には、白糸で編まれた柄と黒い鞘に収まった打刀が一筋。

 柄の末尾である頭に、鉄で作られた小さな装飾具が紐で括られている。

 肘付きで横寝した等身大の猫と、ふざけた外観をした装飾具は、かつて"極東"へ来訪してきた魔術士がお守りとして渡してくれたものだ。

 師匠から譲り受けた大切な愛刀〈叢雲むらくも〉は、確かにあった。


「これだけは、失くさず済んで良かった……」


 ひとまず安堵を覚える朱鷺常だが、立ちあがろうにも両腕も両脚も寒さで完全に麻痺して動かない。

 真冬の海に落ちたのだから無理もない。むしろ、海に落ちてもなお生きているのは奇跡だろう。

「また、生きてしまったか……」

 落胆のまま吐いた白い溜め息が、灰色の空と降りしきる雪の中へ虚しく雲散した。

 帰る場所など、もはや何処にもない……。

 なら、いっそのこと、このまま海の底へ沈んでもよかった。

 この体は、本当に頑丈だ……。

 恐ろしいほど、頑丈なのだ……。

 自身の異常さを自覚するうち、沸きおこる遣る瀬なさから朱鷺常は両目を自身の腕で覆った。

 強すぎる体も、力も、いらなかった……。

 平和な世で、師匠と安らかに暮らす。

 ただその為に、数え切れぬほど戦場を駆け抜け、数多の人を殺めてしまった。

 そして、戦いの末に待っていたのは、師匠の死だけ。

 戦乱の終結直後、病魔はついに師匠の命を奪ったのだ。

 もう、全てがどうでも良い……。

 師匠の後を追おうと何度も自刃じとうしかけたが、、結局のうのうと今まで生き続けてしまった。

 師匠からの遺言を預かったからだと、朱鷺常なりに死を止めた理由を結論づけた。

 もうこのまま、浜辺で寝ていてもいいか。

 寒空で一人横たわり、朱鷺常は全てを諦めようとした。


「――かった、あらかじめ――いて、良かった」


 ふいに聞こえた、女人にょにんのような高い声調せいちょう

 誰かがこちらへ近づいてきているのか。


「ここにいたんだね、朱鷺常ときつね


 幻聴、いや……。

 はっきり自分の名前を告げた声に、朱鷺常は咄嗟に顔を向け、そして目を疑った。

 全身を包み隠す濃緑のうりょくのローブと、大きな三角帽子を身につけた男が眼前に立っていたのだ。

 三角帽子から背中へ垂れ下がる純白じゅんぱくの三つ編みに、ひょっこりとした長身。

 見間違いではない。

 その男は、"極東"でしばし共に過ごした魔術士の姿。


「キロ、なのか……?」


 名前を告げると、キロと呼ばれたその魔術士は爽やかな笑みを返してくれた。

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