第2話 イグニッション


 運転手、日野ひのはこぶ、28歳、彼女いない暦=年齢。


 家庭の事情で否応無く高校中退、かつそれなりの収入を求められた結果、数度の転職を経て最終的に流通業に就職することになった青年。


 性格は真面目で温厚、精力的に仕事に取り組み、働きながら大型免許を取得し、長距離ドライバーとして流通を支えていた。


「どうやら俺は本当に異世界に来てしまったようだな」


 運は目を擦ったり、頬を抓ったりするだけで状況を受け入れた。


「積荷が無くて良かった。罪にならない」


 それを聞く者はいない。


「とは言え、もう人を轢き殺してしまったけどな……」


(彼女は、無事に異世界転生が出来たのだろうか)


 運は恐る恐るフロントの下を覗いて見るが、見える範囲に死体は無かった。


「一応、降りて確認しておくか……」


 ドアに手をかけた時、トラック右窓の先に何かが見えた。更に良く目を凝らせば、それが人間で、しかも戦国映画さながらの軍隊であることが解った。


「軍隊!? マジかよ。行軍の邪魔になる前に早く逃げなきゃ」


 運はエンジンを掛けようとするがトラックは何ら反応しなかった。


「おおい、何でエンジンかかんないんだよ、さっきまで動いてただろ」


 何度試しても結果は変わらなかった。


「ヤバイヤバイ、早く退かないと。良く見れば隊列組んでるじゃん。まさか……?」


 運はその反対、左窓の先を見た。右窓側同様に隊列を組んだ軍隊が並んでいる。


 広大な荒野に向かい合った大軍勢。その中心にトラックの構図である。


「これ、今から戦争ですか……?」


 運は青ざめながらもエンジン掛け直しを試みた。


「退きます! すぐ退きますからちょっと待って!」


 その声は誰にも届かない。そして運は燃料メーターが0になっていることに気付いた。


「嘘……だろ……満タン近くあったはずなのに……」


 その顔は益々蒼白になっていく。


「頼む! せめてこの場から離れるまでだけで良い! 動いてくれ!」


(トラックを捨てて逃げるか? いやこの状況で身体一つになったら殺られる!)


 そしてトラックに何ら反応が無いまま、やがて両軍から鬨の声が上がった。それが間もなくの開戦を意味することを運も解っていた。


(戦場の真ん中に意味不明のトラック。でも大軍勢の中にたった一台のトラック、そりゃ何の意味も無く開戦しちゃうよなあ)


 やがて、両軍から先鋒部隊が飛び出した。運のトラックを挟み込むように。


(殺、される……)


 運の脳裏には窓を割られ引き摺りだされ、無残に殺される映像が浮かんだ。


「頼む! 動け、動け、動け、動けええええええっ!!」


 ポン、と車内に何かの音がした。


「何だ? エンジンが点いたのか?」


「いいえマスター。まだエンジンは点いておりません」


「誰だっ!?」


「私はトラックの精霊、ナヴィです。マスターの心の叫びにより一部アクセサリーが点灯いたしました。現在ナヴィは省力化のためオーディオ機能のみを利用しております」


「何でも良い。早くこの場から離れたい!」


「了解しました。しかしそれにはエンジンを始動する必要があります」


「それがさっきから試しているけど掛からないんだ!」


「分析結果、燃料枯渇が原因と思われます」


「ガソリンは入ってるはずなんだ!」


「申し上げます。現在このトラックはガソリン等と言った燃料で動く仕様ではありません」


 そうこうしている内に両側の軍勢はかなり近い位置にまで接近していた。そして両軍勢からトラックを挟み矢が飛び交う状況になる。


(ヤバイ! 窓が割れる! 殺される!)


「じゃあ何だよ! 何でも良いよ、何とかしてくれ!」


「お答えします。このトラックは、マスターの精神エネルギーを燃料として動きます」


「ああなるほど異世界って訳だな。それは解ったからどうやって燃料にするんだ」


「心を、燃やしてください。熱い気持ちが、トラックを呼び起こします」


「ふざけんなよ! 訳が解んねーよ!」


 運は両拳を強くハンドルに叩き付けた。戦場に鳴り響くクラクション。それは両軍の注目を引き付けるには十分だった。


(やべ、やっちまった!)


 迫り来る両軍の兵士がトラックに纏わりつく。サイドミラーを見れば荷台に槍を突き刺している兵が見えるし、とうとう運転席のドアを開けようとしだす兵もいた。


「マスター。叫んでください、イグニッションと」


「解ったよ! やってやるよ! イグニッショオオオオンッ!!」


 その瞬間、トラックが輝きを放ち、インテリアにおいても全ての機能が解放された。


 そして、運の瞳にも力が宿った。運はハンドルを握ると豹変する人種だった。


「テメエら、俺様のトラックに手ぇ出してタダで済むと思うなよ」

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