第19話今、全く殿下に気持ちがないとわかりませんか?

 私は小説『アクアマリンの瞳』を思い出していた。今、考えると、まるで伝記のように客観的視点でかかれた不思議な小説だ。


 16歳になったクリフトは、自分を虐待して来た公爵邸の人間を惨殺する。


 彼には殺人容疑が一時はかかったが、彼自身も怪我を負っていたのと公爵邸にあった宝物『アクアマリンの瞳』が所在不明だった為に賊の仕業という事で片付けられた。


 彼はスタンリーが死んだ事で公爵位を授かり、怪我を治しにきた聖女マリナと出会う。


 2人は運命のように恋に落ちて、その時「呼吸が止まる瞬間まで、あなたのアクアマリンの瞳を見つめていたい」と彼女はプロポーズのような言葉を告げる。


 2人は結婚。


 クリフトは挙兵し、レイフォード国王を倒し、悪政に苦しむ民を救う。

 なんと、たった3ヶ月の出来事を描いた物語。


 私はこの話を天才クリフトのサクセスストーリーだと思っていた。


 クリフトは周辺諸国の強力を得て、クーデターを成功させている。


 今はこの小説が愛の物語のように感じる。


 人を追い詰め楽しんでいただけの少年が、聖女マリナと出会い愛を知る。


 彼女が力を使わなくて済む世を作る為、少年は初めて人の為に動く。

 

 クリフトと聖女マリナはお互いしか見えないように、静かに見つめあっていた。


「母上、先にお帰りください」

「え⋯⋯あ、はい⋯⋯」


 私の事を一瞥もしないで告げるクリフトの言葉に、私はそっと部屋を去った。


 以前、クリフトに口撃された時に彼をサイコパスだと決めつけた。


 彼を理解できなかった自分への言い訳を用意しただけだ。


 聖女マリナといるクリフトは、初めて恋をした男の子に見えた。


 彼は人一倍、人の心の機微に敏感な生きづらい子なのかもしれない。

 

 会場に戻ろうとした時に、私の前に怒りを抑えたようなレイフォード王子が立ち塞がった。


(勘違いじゃない⋯⋯付き纏われている⋯⋯)


「そなたと、しっかり話をしたい。僕を避けているだろう。こっちに来い」


 強引に腕を引かれて連れていかれる。

 すれ違う周りの人たちが私たちを、好奇の目で見ている。


「殿下、2人でしかお話できない事ですか? それならば、この辺のお部屋をお借りしましょう」


 今にも自室に連れ込まれそうな嫌な予感がしたので、私は近くにあった部屋を開けて入った。


(誰かの執務室? 理路整然としている)


 私が灯りのついていない薄暗い執務室を見まわしていると、急にレイフォード王子に壁に追いやられた。


 いつも余裕に見えた彼の瞳が焦っているように見える。

 私の手首を掴む手も少し震えている。


「どうして僕を避けるのだ」


「いえ、避けている訳では⋯⋯」

 私はこの3ヶ月以上の間、レイフォード王子から参内するように再三連絡があったが体調不良を理由に断っていた。


 スタンリーと離婚して、側室になれと再び言われるのが嫌だったからだ。


「体調不良とは妊娠のことか? 夫婦仲は破綻していると言いながら、やることはやっているのだな。まあ、それ目当てで公爵も15歳も歳下の平民などと結婚しているのだろうから当然か」

 

 どうやら、レイフォード王子は私の懐妊の噂を聞きつけたらしい。


「私の懐妊は誤報ですよ。それに、酷い侮辱ですね。そのように侮辱されてまで、お話しする事はございません」


「そなたを侮辱などしていない。公爵を若い女好きのおじさんだと言ったまでだ。そなたも同じような事を申していたではないか。僕の方が良いと口づけをしてきたのを覚えているぞ」

 

 あれは、演技だったとレイフォード王子も気がついているはずだ。


 彼とは会話が全く噛み合わない。


 一時は彼にときめいて恋をしたような気になった。

 それなのに、知れば知るほど今は彼を嫌いになっていく。


「レイフォード王子殿下、私はスタンリーと離婚をしません。聖女マリナを娶ろうという作戦もやめてください。人は殿下の道具ではありませんよ」


 キツイ言葉を言いすぎたかも知れない。


 それでも、レイフォード王子が何度も繰り返す時の中で、次はどの選択肢を選ぼうかという風に周りの人間をモノとしか見ていないのは伝わってくる。


 聖女マリナとクリフトも引き離したくはない。


 前世の記憶を呼び戻す前の私なら、平民である私を彼が下に見るのは仕方ないと思うだけだった。


 侮辱のような言動も、強引なだけだと片付けていただろう。


 それくらい私にとってレイフォード王子は、様々な事に目を潰れそうなくらい好みのルックスをしている。


「そうか、聖女マリナを正室にすると言ったのが、そんなに気に食わなかったのか。そのような駆け引きをしなくても、僕は十分そなたを大切にするつもりだぞ」


 首筋にキスをして来ようとするレイフォード王子を、無礼ながら押し返した。

 彼は驚いた顔をして私を見ている。


「レイフォード王子殿下、目の前の私を見てください。今、全く殿下に気持ちがないとわかりませんか?」

 彼を目で追ってしまっていた時があるが、私はもう彼の事を全く想っていない。私をしっかり見ていれば、気がつくはずだ。


「そうだな。本当に信じられなくらい、冷めた目をしている。僕が人を道具としか見てないって? このように何度も殺され、時を繰り返させられて、いちいち他人の気持ちなど考えていられるか。もう、今までやった事ない事をするしかないのだ。そなたなら、僕の気持ちを分かってくれると思ったのに⋯⋯」


 レイフォード王子の目は怒りと悲しみのような複雑な感情が溢れ出ていた。


 今まで彼が淡々として、妙に明るく見えたのは彼が自分の心を守る為だと分かった。

 人をよく観察できるようになったと自負していたが、まだまだだったようだ。


「殿下、申し訳ございません。離婚はできませんが、殿下の事をもう避けたりはしません。協力して生き残る道筋を探りましょう」


 私の言葉を聞いて、目をより潤ませた彼が胸に顔を埋めてくる。

 おそらく泣いているところを見られたくないのだろう。


 殿下の髪をそっと撫でていると、ふと、扉の方から灯りが差し込んでくるのが分かった。



「スタンリー?」

「ルミエラ、どうしてこのような場所に⋯⋯」


 私の胸に顔を埋めていたレイフォード王子は顔をあげると、私の体を反転させ後ろから抱きしめてきた。


「なんだ、叔父上か。どうやら、ルミエラと僕の関係がバレてしまったようだな。あえて、そなたの執務室で僕と睦みたいと誘われてしまってな」


 出鱈目な言葉を発するレイフォード王子は何を考えているのだろう。

 身を捩り彼の目を見つめると、まるで感情のないような目をしていた。


 (出鱈目を言われて私がどのような気持ちになるのか、考えるのも面倒そうね)


「レイフォード王子殿下、20歳の誕生日に王位を強請られたと聞きました。あまりオイタが過ぎると、今まで望むもの全てを叶えてきた殿下も躓きますよ」

 

 スタンリーは挑戦的な事を言いながら、私を自分の方に引っ張った。


 一瞬、レイフォード王子が悔しそうで悲しそうな顔をしたのを見て苦しくなった。

 彼は国王にできた待望の1人息子で、大切に育てられてきた。

 誰もが彼を何もかも叶えてきた恵まれた王子だと思っている。

 

 (確かに私だけは、彼が誰にも話せない苦しい時を過ごしている事を知っているわ⋯⋯)


「⋯⋯ルミエラ、行こう」

 私はスタンリーに強く手を引かれて部屋を出た。


 スタンリーは私に触れる時はいつも優しいのに、今は痕がつきそうなくらい強く手首を掴んでくる。


 彼は私の方を見ようともしない。


 彼とは信頼関係が築けたと思っていたが、彼の自宅不倫に対する当てつけにレイフォード王子と逢っていたと思われていたら悲しい。

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