第10話私が手放してはいけないのは彼だ。

 王宮に到着するなり謁見申請をしたが、名前を告げるなり待機する貴族たちを飛ばしてレイフォード王子は私に会ってくれた。


 馬車にいた間に呼吸を整えることには成功した。

 深呼吸をし、レイフォード王子の執務室をノックする。

 

 窓際に立っていた、彼が部屋に入ってきた私を見るなり笑顔で迎えてくれた。

 窓から差し込む陽の光に照らされたプラチナブロンドの髪が美しい。

 


「レイフォード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」

「ルミエラ、よく来てくれたね」


 呼び捨てにしてきたのは、今この部屋に私と彼の2人しかいないからだ。

 そして、名前を呼ばれて違和感を感じつつも私の心臓が跳ねたのは彼に恋心を抱いているからだろう。

(クリフトの言う通り、私はスタンリーから彼に乗り換えようとしてるの?)


 言いようのない罪悪感に襲われる。

 話をしてくれたら、きっとクリフトとも分かり合えると思っていた。

 でも、その会話自体が私を今混乱させている。

 

「ルミエラ、顔色が悪いぞ。まあ、座ってくれ」

「ありがとうございます」


 私はレイフォード王子に促されるがままに、応接室の青いベロアのソファーに座った。

 体が沈み込み、このまま横になりたくなる。

 クリフトとの少しの会話で私の精神はすり減っていた。


「ルミエラ、実はそなたに話があって、こちらから伺おうかと思ったのだ」

「お話とは何でしょうか?」

「その⋯⋯婚約破棄の話なのだが⋯⋯」


「殿下、なぜ、昨日マリソン侯爵邸にいらっしゃったのですか?」

 私は咄嗟に殿下の会話を遮っていた。


 非常に無礼な行動だとわかっていたが衝動的にしてしまった。

(既婚者なのに、自分が求婚されるとでも思ったの?)

 


「タチアナに言いがかりをつけて婚約破棄する為だ。気が強い女だから、挑発して焚き付ければ乗ってくると思っていた」

「殿下⋯⋯まさか、わざとバルコニーで私に口づけをしましたか?」


 私の疑問を肯定するように殿下は頷いた。


 あのキスは私にときめきとスタンリーへの罪悪感を感じさせたが、殿下はただタチアナ嬢に見せる為にした事だと言っている。


 「失望」といった感情が流れ込んでくる。

 彼が私にキスしたくてしたのではなくてがっかりしたと言うより、私はレイフォード王子が思ったような方ではなくて失望している。


「タチアナと結婚した回は、僕が即位した際の民衆の人気が低くてな。なんだか王家が民衆の敵みたいなムードが盛り上がり、クリフトが僕を倒す流れになりがちなのだ」


  レイフォード王子は何度、時を繰り返したのだろう。

 もう、感覚が麻痺するような程、多くの時間を過ごしたようだ。


 明らかに時間の繰り返しや、周囲の出来事をまるでゲームのイベントのように捉えている。

 『アクアマリンの瞳』を読んだ限りでは、レイフォード王子の悪政により王家が支持を失っただけでタチアナ嬢に罪はない。


「あの、それで、殿下のお話とは⋯⋯」

 私と同じように時を繰り返しているのに、私は殿下を同志ではなく苦手な男と見做し始めていた。


 彼の見た目に惚れて、恋人の振りをして一瞬恋に落ちた気がした。

 しかし、どうやらその夢から覚めるのも早かった。


「実は、もう、この段階で聖女マリナが見つかったのだ。彼女は近々16歳になるし、彼女を正室として迎えようと思う。聖女を妻にすれば、民衆の人気を取ることなど容易い。クリフトもやっていた事を真似ようと思ったのだ」


 得意げに話すレイフォード王子は可愛らしい。

 でも、とても浅はかな考えを持っている。

 何度、時を繰り返しても彼は成長しないようだ。

 

 この世界では16歳で成人し結婚できる。

 事実私も16歳でスタンリーと結婚した。

 そして身分の上である人間からされた求婚を断るのは難しい。


 彼は国王の1人息子として大切に育てられ、20歳の誕生日プレゼントのように王の冠を受け取る。


「何を、しょげてるのだ。ルミエラは本当に可愛いな」

 突然、向かいから隣に座って擦り寄ってきたレイフォード王子にドレスの上から太ももを撫でられる。


 私はあまりの出来事に絶句してしまった。

(もしかして、私が彼に気があると勘違いされている?)


 確かに恋心を抱いた瞬間はあったが、今は完全に冷めている。

 自分の心の変化に自分でも驚いているくらいだ。


「おやめください」

「勿体ぶらなくても、そなたの気持ちは分かっている。公爵との離婚が成立したら、僕のところに来ると良い。そなたを側室として迎えるつもりだ」

「離婚はしません」

「公爵が拒否しても、この間のメアリア嬢との不貞行為の事実を使って離婚すれば良い。僕も力になるから」


 微笑みながら、レイフォード王子は顔を近づけてくる。

 私はそれを避けるように、立ち上がった。


「私はスタンリーと協力してクリフトを育てていきます。離婚はしません。お言葉ですが、レイフォード王子殿下、聖女マリナを手に入れたところで同じような道を歩むだけかと思います」


 結構、失礼な言葉を言ったつもりなのに、王子殿下はなぜだか笑っていた。

 とても美しい笑顔だが、全くときめかない。


「自分ではなく、聖女マリナを正室に迎えると言ったから拗ねているのか? でも、それは仕方がない事だぞ。公爵のお古を国王になる僕が妻に迎える訳にはいかないだろう。でも、僕は良い子ちゃんな聖女マリナより、そなたのような悪い女の方が好きなんだ。そなたを1番可愛がってあげるから、拗ねるでない」


 恋心を1度は抱いた相手だが、吐き気がした。

 話が通じないし、時を無駄に生きたせいか話す内容が年季の入ったセクハラ親父だ。


「殿下、私が共に生きていきたいのはスタンリーなのです。失礼します」

 軽く一礼すると、私は部屋を出た。


「スタンリーなんでここに」

 部屋を出た先にはスタンリーが立っていた。


 扉が分厚いから中の会話は聞こえないと信じたい。


 もしかしたら、ベッドに彼を置き去りにしてレイフォード王子に会いにきたと誤解されたかもしれない。


「午後から貴族会議があって王宮を訪れたら、君がレイフォード王子と謁見中だと聞いただけだ。顔が真っ青だぞ、ルミエラ⋯⋯何かあったのか?」


「いえ、特に何もないわ。無事にクリフトをアカデミーに送り届けて、レイフォード王子に挨拶に伺っただけよ」


「そうか、では邸宅に戻ろう」

 体が浮くような感覚がすると、私はスタンリーにお姫様抱っこされていた。


「1人で歩けるわ。それに、邸宅に戻るって貴族会議はどうするの?」

「今にも消えたそうな君を見て、会議なんて出ていられる訳がないだろう」


 スタンリーの言葉は私の心の奥まで届いた。

 私を惑わせようと言葉を紡ぐクリフト、会話が成立しないレイフォード王子。

 そして、私は今の状況から逃げ出したい、消えてしまいたいと思っていた。


 彼の首に思いっきりしがみつく。

「スタンリーは恋した相手が思ったような人ではなく失望した事がある?」

「⋯⋯あるよ」

 一瞬、迷って告げて来たのは、今の答えが私に失望した経験があると伝えることと同意だからだ。


 彼は冷たい人だけれども、私に対してだけは甘い。

 失望しても、見捨てずに一緒にいてくれた。

(今の私なら分かる⋯⋯私が手放してはいけないのは彼だ)


 前世を思い出す前なら、ときめきをくれるレイフォード王子の言葉にのっていた。

 でも、辛い時、ダメな時、側にいてくれる人を選ばなければならない事を私は知っている。



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