第9話クリフト⋯⋯お話してくれて嬉しいわ。

 目が覚めて、隣で寝ているスタンリーを見てホッとする。


 そして、彼をしっかり見つめてみると、いかに彼が私を見てくれていたのか分かる。

 本当に私を好きで結婚を申し込んで来た事も理解できた。

 

 クリフトに殺される運命を回避する為には彼と協力した方が良い。


 しかしながら、この世界が小説『アクアマリンの瞳』の中で16歳のクリフトが私たちを惨殺するという話は絶対にできない。


 私の頭がおかしくなったと思われるからだ。


 ミランダ夫人は自殺する前、異常なまでの被害妄想やおかしな言動が増えていた。

 それを目の当たりにしてきたスタンリーは、私がおかしな言動をすれば必ず彼女を思い出すだろう。

 (病気扱いされて、避けられるだけね⋯⋯)


 彼はとても冷たい人だ。

 政略的で愛のない結婚だったとしても、ストレスでおかしくなった妻を救おうともしなかった。


 浮気をした上にとんでもない言い訳をしてきた彼は最低だが、そのような彼に歩み寄ろうとしている自分の行動が自分でも理解できない。


 期待してはいけないと思いながら、スタンリーなら何とかしてくれるのではと考えてしまう。


 私は彼を起こさないようにメイドも呼ばず着替えて部屋を出た。


「母上、おはようございます。今日からアカデミーですよね」

 部屋の前にいたクリフトに動揺する。

(普通に話しかけてきた⋯⋯どういうこと?)


 突如、不安が押し寄せてきて今の状況を誰かに相談したくなる。

(そうだ、レイフォード王子殿下に相談を⋯⋯)


「母上、朝食はまだ食べていませんよね」

「ええ、クリフトは?」

「僕はもう食べました」

「そう、ならば少し早いけれどアカデミーに向かいましょうか」

 

 今、クリフトが何を考えているかを考えるだけで冷や汗が出てくる。


 食事なんて到底喉を通りそうもない。

 アカデミーでは寮生活になる。

 荷物はすでに送ってあるので、身軽に登校できる。


 長期休暇まではしばらく会えなくなるから、スタンリーを起こして挨拶した方が良いのか迷った。

(ダメだ⋯⋯余計な事をして、死亡フラグが立つかもしれない)


 外はまだ薄暗かった。

(かなり早く到着するけれど、クリフトはすぐに出発したそう⋯⋯)


 私は馬車にクリフトと乗り込んだ。

 クリフトは私をしっかりエスコートしてくれて、公爵家に隠されていた問題児とは思えない。

(彼が本当は問題児じゃないって、私が1番よく知っているじゃない)

 

 窓の外を眺めるクリフトの横顔は13歳とは思えないくらい大人びている。

 この間、私の部屋で一方的だが話しかけていた時にはない底知れない恐怖心が私を襲っている。


 (急に話をしだす⋯⋯どういう心境の変化?)


「クリフト⋯⋯お話してくれて嬉しいわ」

「ふっ」

 私が微笑みながら伝えた言葉は鼻で笑われた。

 

「そろそろ話し出した方が、面白くになりそうだったので」

「ふふっ、わざと何も話してくれなかったのね」


 私は、彼に無償の愛を彼に注ごうと思っていた。

 それに彼が意図的に言葉を発していない事なんて気がついていた。



 (なんなの、この込み上げてくる怒りは⋯⋯)


 今、私はどうしようもない怒りを感じている。


 話したくても言葉が出なかった健太は、いつも仕草や視線で私に気持ちを伝えてくれた。

 話せるのにわざと話さなかったクリフトの意図に気づいてしまうと、怒りが抑えられない。

 彼はミランダ夫人が自分のことで悩んで病んでいく様を見ていたはずだ。

 

「人を揶揄って楽しいのかしら?」

 恐怖で頭がおかしくなりそうだが、言わずにはいられなかった。


「楽しいに決まってますよね。僕が言葉を発さないだけで、周りは混乱していくのですよ。人の醜さ、弱さ、滅び、良い見せ物が見られました」


 私に微笑みながら醜悪な事実を伝えてくる危険な男の子を、このまま野に放って良いのか心配になった。

 アカデミーに行けば、彼はまた新しい意地の悪い遊びを考えるだろう。

 同年代の子と接すれば情緒が育まれるなんて考えは甘かった。

 

 彼はサイコパスだ。

 

「その中で1番人の醜さを見せてくれたのは、あなたですよ。ルミエラ」


 小馬鹿にしたような弾むような声で伝えられた言葉に頭がカッとなる。

 急に母親である私を呼び捨てにしてきた彼を注意する事もできない。


「私のどこが醜いって?」

「メイドが急に公爵夫人になったら、馬鹿みたいに調子に乗っていて滑稽でした。父上を軽蔑するように避けたのは自分の罪悪感から目を逸らす為ですよね。本当は母上が死んで自分が求婚されてラッキーだと思ってたんでしょ」

 クスクス笑いながら告げてくるクリフトが悪魔のように見える。


「そんなこと、思ってない!」

 自分が思っている以上に大きな声が出て自分でも驚いた。

 今、私は動揺しているし、下手な事を言ってクリフトの機嫌を損ねたら殺されるかも知れない。


「ルミエラは僕の人間性に疑問を持っているようですね。でも、メイドの時は僕に尽くしていたのに、継母の立場になったら虐待する。ルミエラ、あなたこそ相当問題のある方だと思いますよ」


 私を責めているクリフトはとても楽しそうにしている。

 自分でも自分の行動を振り返ると彼の言う通りな気がしてきた。


 スタンリーも私をよく見ていて驚いたが、クリフトは私自身が自分を守る為に隠している奥底に眠る感情まで掘り起こしてくるようで怖い。


「はぁはぁ」

「この程度で過呼吸になるんですか? ストレス耐性が無さすぎませんか? もっと頑張ってくださいよ」


 私が息が上手にできないのを喜んでいる彼が怖い。

 深い海の中に落とされて這い上がれないような感覚に陥る。

 

「そういえば、離婚はしないのですか?」

「はぁはぁ⋯⋯しないわよ。私はスタンリーと協力してあなたを育てていくの」

 息が苦しくなりながらも、出てきたこの言葉も私の本音だ。


「本当かな? 今は、レイフォード王子殿下を狙っているのかと思いましたよ。物欲しそうに彼を眺めていたではありませんか。ちょうど殿下も婚約を破棄したようですし、やはり歳の近い若い男の方があなたも満足できるのではありませんか?」

 

 目が霞んでいくのが分かる。

 目の前の男の子の言っていることが、本当の事のように感じてくる。

(違う、彼は私の反応を楽しんでいるだけだ! しっかり、しないと)


 部屋にこもっているはずだったクリフトが、先日マリソン侯爵邸で破棄されたレイフォード王子とタチアナ嬢の婚約の事を知っているのも変だ。

 クリフトには不可解な点が多すぎる。


「はぁはぁ、クリフト、あなたは時を何度も繰り返してない?」

 咄嗟に出た言葉に、クリフトは手を叩いて爆笑した。


 私の疑問はそんなにおかしいだろうか。

 彼の話す言葉の数々は13歳の男の子のものだとは思えない。


「ルミエラ、もう頭がおかしくなりましたか。母上はもう少し粘りましたよ。もう少し頑張って、僕を楽しませてください」


 咄嗟に頭に血が上り手を振り上げると、手首を掴まれた。


「頭が悪い人間ってすぐに暴力を振りますよね。もう、到着しました。見送りはここで結構ですよ。そのような状態では外に出られないでしょう」


 私は息苦しくなりながら、馬車の中のソファーに倒れ込んだ。


 どうやらアカデミーに到着したようで、クリフトは颯爽と馬車を降りていく。

「はぁはぁ、頭が悪い人間って、私のことを馬鹿にして⋯⋯気に入らない事があると人殺しをするあんたに言われたくないわよ」


 私は息苦しくなりながらも、王宮に向かうよう御者に告げた。

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