幼馴染が急に魔界の姫になったらしくて大層めんどくさい。

壱単位

第1話 魔界の姫、降臨しちゃった。


 にふふ。よく来たな。


 待て、どこへゆく。回れ右するな。ドア開けるな。

 まあまあ、ちょっと話を聞け。ちょっとでいい。お願い。聞いて。ね。


 こほん。

 にふふ。ふ。


 この草木も眠る丑三つ時、よくぞ我が招きに応じたのう。今宵はこの文芸部室、訪れる者のないよう手配したゆえ安堵せよ。


 なに、まだ午後六時だと。ふふ、おぬしの生きる世界とは時間の流れが違うのじゃ。わらわの世界では……ん、もう学校閉まっちゃう? え……いや、まだ大丈夫、ほら吹奏楽部もぷーぷー言ってんじゃん、まだいける、もうちょっといける。ね。ほら、ね。


 ……にふふ。


 そうじゃ、たしかにこの身体はおぬしの幼馴染で文芸部所属の、見目みめうるわしく気遣い細やかでたいそうしとやかでありながら元気で明るく笑顔の愛らしい、遠くない将来に和風異世界ファンタジーで大きな小説賞を取るであろうとの噂でもちきりの、将来有望清廉潔白品行方正な、あの娘のものじゃ。


 聞いておるか。もういちど言うか。いいのか。そうか。


 いや、違う。これは仮装ではない。仮装ではないからツノも尻尾も、引っ張っても取れぬぞ。だから触るな。触るなってば引っ張るなってばあ!


 ……はっ、はっ……いいから、そこに大人しく座れ。そうじゃ。それでよい。ふう。ようやくわらわの話を聞く気になったようじゃの。


 ふ。それほど知りたいというのなら、教えてしんぜよう。わらわの正体を、のう……にふふ。にふふふふふふ。


 横を向くな。こちらを向け。そうそのまま。動くな。聞け。


 いかにも、わらわはこの世界のものではない。そなたから見れば、異世界とでも言うのかのう。魔族が支配する、魔界。自由と力の世界よ。

 わらわは、そこの姫じゃ。魔姫まき、とでも呼んでくりゃれ。にふふ。

 

 そなたのことはの、実はずうっとみておったのじゃ。わらわの世界から、千里眼でな。そう、この身体の主の娘の目を通してのう。

 そなたが陸上の練習をずっとずっと、がんばっておったことも、ようやく大会出場のメンバー入りを勝ち取ったことも、そして……大会の直前に、怪我をしてしまったことも、の。


 友人たちも、この娘も、そなたを案じて声をかけたであろう。じゃがそなたは、いつも笑って、手を振っておったな。なんてことはないよ、大丈夫だよ、って。強がって、どんな言葉も励ましも、受け取ろうとはせなんだの。

 じゃが、の。


 わらわは、ずうっと、見ておったのだぞ。

 そなたが一人になったときに見せる、ほんとうの表情を。


 ……うん、それでな、そなたのその強い魂、乞い願う力を持つ心を、わらわは、魔界の一族は、どうしても欲しゅうなったのじゃ。

 その魂、我らが一族に迎えたい。

 じゃから、そなたを魔族に生まれ変わらせて連れてゆくため、わらわはこの娘の身体を乗っ取った。

 今宵から我が術にて、ゆっくり、ゆっくりと、そなたを魔族に変えていってやろう。人間としての心の疲れを、辛い記憶を、この魔姫の手で、洗い流すように溶かしていってやろう。そうしてやがて、すっかり魔族として生まれ変わったそなたは、わらわと共に……。


 結構ですとかいうな。

 話が終わってしまうではないか。

 腰を浮かすな座れ座れ。ただちに座れ。


 さて、では、始めてゆくぞ。

 はじ、めて、ゆく、ぞ。

 観念せよ。


 魔族の身体への改造しゅじゅちゅ……うう舌噛んだ……手術。まずは魔族の証たる爪と鱗の生成からじゃ。が、そう容易たやすくはゆかぬ。今宵は時間も限られるゆえ、まずは準備からじゃの。


 手を出せ。

 出せったら出せ。

 なんでそんな恐る恐る出すのじゃ。なにもせぬ。いやするけど、痛いことはせぬ。と思う。

 広げよ。手のひらを。そうじゃ。


 よし、触るぞ……触るぞ。本当に触るぞ。いますぐ触るぞ。待て引っ込めるな、こちらも心の準備が……ふっ、ふっ、ふう。よし。

 ……触った。触ったあ……。

 あは、久しぶり……小さい頃はあんなにたくさん、手、握って歩いたりしたのにね……いやいやなんでもない。なんでもないぞ。


 ……すべすべ、しておるの。手首も細い。そなた、陸上を始めてますます細くなってきたの。それでもしっかり鍛え込まれておるのがようわかる。

 どうれ、よき鱗が生えるように、揉みほぐしておこうの。


 親指の付け根、母指球を両手の親指で押してやろう。そうして、押しながらずらして……手のひらの、真ん中。ここはの、緊張をほぐして自律神経を整える働きのある魔族秘伝の秘穴じゃ。どうじゃ、心地よいか。

 なに、それはただのツボ? なにを言うておるのかわからん。聞こえん。あーあーあ。


 さて……ゆっくりと揉みほぐして、手首から腕をさすりつつ、上がってゆくぞ。シャツが捲り上げられている肘の、少しだけ外側のツボ……ごほん、秘穴をゆっくり刺激して……そこから上は、手のひらで包み込むように、シャツの上から握り込んでやろう。

 握って、緩めて……強く握って、ゆっくり緩めて……ん、なんだかぬくくなってきた、と。そうじゃろう、そうじゃろう。手先からほぐしてゆくとな、全身の緊張がとれやすいのじゃ。


 では、わらわは立つぞ。左手をそなたの肩に添えたままで、背に回ろう。

 魔族のツノはのう、首筋から耳の上をとおって生じるものなのじゃ。ゆえにそこを刺激するぞ。

 首の横の筋肉を摘むように揉みほぐしながら、親指を背中の真ん中に入れてゆく。肩を手前に引きながら、そうら、ゆっくりと押し込むぞ……そしてそのまま、ぐいと、刺激をいれて……ふうっ。どうじゃ。ぱっと放すと、血が巡るようじゃろう。

 もう一度……さらに、もう一度……。


 さあ、そこから首筋を刺激しながら、指先を……耳の後ろに、当てるぞ。かりかりと軽くひっかきながら、髪の生え際を背に向けて、手を滑らせるように動かしてゆこう。今度は耳の前から、じゃ。同じように耳の上をとおり、首の後ろへ。

 両手を使って、両方の耳の周りを漉いてゆくぞ。

 さらり、さらり、と、何度も。

 何度も。


 ふふ。だいぶ、ほぐれてきたのう。

 少し瞼が垂れてきておるではないか。眠くなってきおったな。にふふ。


 耳元に、ちと、口を寄せてみようかの。


 のう。

 そなたはどんな魔物になりたい。

 わらわのように強い力を持ちたいか。自由に空を舞う翼が欲しいか。それとも……どこまでもどこまでも自由に走ってゆける、強い脚を、か。


 そなたはなんにでもなれる。望むものに、なれる。

 わらわが、思い出させてやる。

 そなたの中の、ちからを、の。

 必ず。


 ……ふっ。


 にゃははは!

 耳に息かけたら飛び上がりおった!





 

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