18. 小説にタブーはない、ただし美学はある

 タイトルで結論は出ていますが、念のため。


 小説を書くにあたって、他人から言われたことで萎縮したり、自分を縛り付ける必要はありません。ただし、自身で決めた美学には従おうという意気込みの話です。



◆省略したっていいじゃない


 英語などとは違い、日本語の会話や文章では、主語や目的語の省略は日常的に行われています。


 小説でも、一文ごとに逐一ちくいち主語を記述することはまずありません。

 とくに一人称視点であれば、主語を指定していない限り、主体は視点人物=主人公であることは明白です。


  *  *  *


 鬼本おにもとはおもむろにタブレットを手に取った。そのまま【鬼本は】慣れた手つきで【タブレットの画面に】タッチペンを走らせる。

 【画面に/イラストに】描かれていたのは、やや美化された川原かわはらの姿だった。


  *  *  *


 例文は三人称ですが、【】内は省いてしまっても何ら問題はありません。場合によっては「おもむろに」「そのまま」「やや」などの副詞も不要です。


 誰が言った・行動したか、何に対してか明確であれば、いっそ書かないほうがすっきりした文章になります。




◆客観の中に主観が割り込んだっていいじゃない


 小説を読んでいて、三人称視点で書かれた地の文の中に、突如とつじょとして一人称視点の文が差し挟まれるのを見たことはないでしょうか。

 いわゆる「自由間接話法」です。


  *  *  *


「お前の覚悟とやらは随分と生易なまやさしいのだな」

 かしわの叱咤にもひるむことなく、けんは歯を食いしばる。この程度で負けていられるか。俺には守りたい人がいるんだ。

「……もう一度お願いします」

 けんの想いを感じ取ったかのように、かしわは再びじょうの先を向けてきた。


  *  *  *


 二行目が地の文にもかかわらず、後半部分が一人称で書かれています。


 これは個人的な見解ですが、それぞれの文末に続くべき「~とけんは思った」が自明であるため、省かれた形になっていると考えられます。よって厳密には一人称ではなく、不自然とは言えない、という解釈です。


 これに違和感を覚えるのであれば、別の書き方もあります。



例①:倒置法

 柏木の叱咤にも怯むことなく、献慈は歯を食いしばる。この程度で負けていられるか、俺には守りたい人がいるんだ、と。


例②:ダッシュ

 柏木の叱咤にも怯むことなく、献慈は歯を食いしばる。

 ――この程度で負けていられるか。俺には守りたい人がいるんだ。


例③:丸括弧

 柏木の叱咤にも怯むことなく、献慈は歯を食いしばる。

(この程度で負けていられるか。俺には守りたい人がいるんだ)



 どんな書式を用いても良し、また伝えたいニュアンスによって使い分けても良し、です。

 ただし、視点だけはブレさせてはいけません。例文の視点人物も「けん」に固定されています。




◆テーマなんて決めなくたっていいじゃない


 書き出す前から作品のテーマを決める必要はありません。それほど大上段に構えなくても、書き進めていく過程で自然と浮き彫りになっていくものだからです。


 作品には、作者の生き方や考え方がおのずと反映されます。普段から深く物事を考え、広く見る目を養い、地に足をつけて日々を過ごすのが、確固としたテーマを生み出す近道であるように感じます。


 作風や文体を小手先で変えてみたところで、結局のところ物を言うのは作家の人間性なのですから。


 ……と、自分に激しく突き刺さる戒めを、最後に言い残しておきます。

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