第5話 二人での朝食と前兆
どこかホコリっぽい布団の匂いが鼻をくすぐる。
かすかに瞼を持ち上げたシトラは、普段と違う天井に目が覚めた。
「んん……」
身体を起こすと寝ぼけ眼で周囲を見回して、ふと昨日の出来事を思い出す。
「……あ、そうでした。私、昨日アルトさんを家に泊めたんでしたっけ」
もしもシスターに知られたら怒られる行いであることは、自覚がある。
とはいえ、今のシトラは一人暮らしだ。
シスターに怒られる心配はしなくてもいい。
代わりに褒められもしないが、シトラはもう子供ではない。花売り店を営む立派な大人なのだ。
チラリと窓の外を見ると、今日はまだ外も薄暗かった。
どうやら寝坊の最高記録更新は免れたらしい。
「さて、着替えたら一旦アルトさんの様子を見てきましょうか」
そう呟きながら手早く着替えを終えて、シトラは隣にある自身の寝室に向かった。
「……アルトさーん、起きてますか? お邪魔しますよー?」
ノックをして中に入ると、アルトはまだ目を閉じて眠っている。熱が引いたかを確かめようとシトラが額に手を当てると、アルトは「ん……」と言って身じろぎし、そっぽを向いてしまった。
「ぐっすり寝てますね……。ちょっと可愛いです」
シトラはふふっと笑みをこぼし、今度は慎重に体温を確認し直した。
「あれ、もう下がってますね? 発熱が早かったからでしょうか?」
首を傾げながらも、シトラはアルトの回復にホッと胸を撫で下ろす。
それから朝食作りをしようと台所へと階段を降りていった。
すると、木製テーブルに置いておいたアルト用の夕食がなくなっていて、食器も綺麗に洗って片付けられている。
「あ、昨日はご飯も食べられたんですね……」
とはいえ、少し多めに夕食を作ってあったため、朝食はお粥とお味噌汁だ。
シトラが軽く温めてから食べていると、二階で扉の開く音が聞こえた。
「……ん? 今何か……」
顔を上げると、階段から誰かが降りてくる足音が鳴って近付いてくる。怪訝に思って眉をひそめ、シトラがその方向を見ていると、やがて台所にアルトが姿を見せた。
「おはよう。昨日はずいぶん世話になったね」
「あれ、アルトさん……すっかり顔色がよくなりましたね? 朝ご飯は食べられそうですか?」
「え、いいのかい?」
と、アルトが目を丸くする。
「はい。まだお粥が余ってますから。一緒に片付けていただけると助かるんですが……どうします?」
「分かった。じゃあ、ありがたくいただくよ」
わざとらしく困った顔をするシトラに、アルトはふっと笑って頷いた。
こうしてアルトが席についてから朝食が再開して、シトラは念のためアルトに身体の状態を確認する。
「ところで、体調は大丈夫ですか? 連絡はしてありますし、このまま一日くらい休んでいっても構いませんよ?」
「いや、今日中には帰ろうかな。その前に一度、キミのご両親に挨拶したいのだが……今はどちらに?」
アルトにそう問われ、シトラは微笑を浮かべて壁に掛かった写真を見るように促した。
「……私が幼い頃、流行り病で亡くなりました。育て親は孤児院のシスターですよ」
「……そうか。それは大変失礼なことを言ってしまったね」
「いえ、もう昔のことですから。それに、お陰で……というのも違いますが、シスターさんに会えたことは私にとって幸せなことですからね」
それに、シトラは周囲の人にも恵まれた。
今一人暮らしができているのも、花売り店ができているのも、シトラを助けてくれた人たちのお陰なのだ。
「キミは、とても素敵な大人だね。僕はまだまだ子供だから、少し恥ずかしいよ」
「いえいえ、私もまだまだです。それに、アルトさんは格好いい方だと思っていますよ」
シトラがはにかみながら言うと、アルトは頬を赤らめて頭をかく。
「そ、そうかい? 真っ直ぐに言われると照れ臭いな……」
「よかったら、あとで会いに行きませんか? 今日はたぶん午前中でお花の在庫が切れるので、久しぶりに会おうと思ってたんです」
「む……」
アルトは少し思案して、悩んだ末にゆっくりと頷いた。
「……そうだね。じゃあ、ぜひお願いするよ」
「なあ。ちょっと聞いてくれよ、シトラ」
朝に予想していた通り、午前中のうちに在庫がなくなってお店を閉めようとしていたシトラに、魚屋のロイが声を掛けてきた。
「なんですか、ロイさん?」
「いやな? 俺、いつものように『釣りたいものを釣れる魔法』で海釣りしてたんだよ。そしたら、水平線の向こうに目ん玉みたいな二つの光とデッカい音が聞こえてよ。気付いたら、それがずらーっと数え切れねえほど並んでんだ」
「え? なんです、それ?」
シトラが詳しく聞こうとすると、パトラおばさんが眉を吊り上げてロイを叱った。
「ちょっと、ロイ! あんた、またシトラにホラ話してんのかい? そんなことする暇があったら、今日のシトラを見習って仕事しな!」
しかし、ロイの店前に並んでいる魚はいつもより遥かに少なくなっている。
シトラがそれを不思議に思っていると、ロイはため息を吐いて頭をがしがしとかきながら続けた。
「それがホントなんだよ、パトラさん。お陰で魚がみんな逃げちまって、ろくに釣れなかったんだ」
「あんたがかい? ふーん……珍しいこともあるもんだね」
パトラおばさんは驚いた声で呟き、眉をひそめた。
というのも、本来は少しでも周囲に魚がいれば、ロイの魔法によって引き寄せられて釣り竿に食いつくはずだからだ。それがなかったということは、魚が本当にいなかったか、魔法に掛からないほどの混乱状態にあったかのどちらかだろう。
ただ、今のシトラにとって重要なのは、シスターに会うことだ。
そのため、ロイの話にあまり耳を傾けることなく店仕舞いの準備を進めることにした。
「──では、私はこれで失礼しますね。ロイさん、パトラおばさんも頑張ってください」
「おうよ! じゃ、またな!」
「はいよ。シトラもお疲れさん」
ロイとパトラおばさんから口々に挨拶されて、シトラは小さく手を振ると木製の扉を閉めて家の中に入っていった。
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