智也【二】

 僕たち三人は、毎年誰もいない砂浜で打ち上げ花火を観るのが恒例になっていた。夏祭りの雰囲気にすっかり興奮した僕たちは、いつも以上に上機嫌で、すべてが満たされていたからか一種の万能感のようなものに包まれていた。だから僕は、無敵になった気がして誰にも気兼ねなく大笑いしていたし、勇ちゃんはよく無茶な戯け方をしていた。

 勇ちゃんの悪ふざけが一番ひどかったのは、裸で海に入り、濡れた身体で砂の上を転げ回って、揚げる前の天ぷらみたいになったときだろう。僕とあーちゃんはその姿を見て腹を抱えて笑い、気を良くした勇ちゃんはそのままの格好で帰る気満々だった。確かに砂がたくさんまぶされていて、浜辺の暗がりでは見えてはいけないものはよく見えなかったのだが、いくらその場の雰囲気に酔っていたとはいえ、さすがにそれはあーちゃんと二人で止めた。

 あーちゃんは花火の日になると、よく大人の真似事をしていた。普段なら良心が咎めるようなことも、あの夜の空気ならちょっとした悪戯で済まされると思っていたようだ。僕としては、あーちゃんのそういうところはあまり見たくなかったし、勇ちゃんも見て見ぬ振りをしていたけれど、そっぽを向いた目は心なしかいつも悲しそうだった。あーちゃんの背伸びをしたい気持ちも、わからなくはなかった。でもまさかその性格が、後にあんな事件を引き起こすとは思いもよらなかった。

 そんな花火の夜、例年の如く悪乗りに余念がない勇ちゃんが、珍しく最高に笑えないふざけ方をしたことがあった。あれは確か小学六年生の夏。あの年のあーちゃんは、缶チューハイを少しだけすすって顔を真っ赤にした後、砂の上に座って静かに花火を眺めていた。

 目が少し潤んでいたのは、慣れないお酒を飲んで酔ったせいもあったのかもしれないけれど、それよりも多分、純粋に花火の美しさに感動していたんだと思う。あーちゃんは昔から、そうやって泣いたり笑ったり、時には魔性に魅入られたかように人の話が耳に入らなくなったりと、感性が鋭く、情緒豊かなところがあった。

 それまで僕と冗談を言い合っていた勇ちゃんは、そんなあーちゃんを見て急に神妙な顔になった。不安になった僕が話しかけようとすると、勇ちゃんは僕を差し置いてあーちゃんに駆け寄り、彼女の隣にぴったりと肩を寄せて座った。次の瞬間、勇ちゃんがさらりと言い放った言葉を、僕は今でもはっきりと覚えている。

「大人になったらさ、俺たち結婚しようぜ」

 耳に入った途端、電撃を浴びたような感覚に襲われた。放心していた僕の耳に、呆れた笑いが混じったあーちゃんの反応が届く。全身の痺れに悶えていた僕はさらに、頭を思い切り殴られたような衝撃を受けた。

「えー、別にいいけど」

 二人は視線を合わせて小さく吹き出し、その後勇ちゃんはすぐに立ち上がっていつものおふざけを始めた。それを見たあーちゃんは、まるで何事もなかったかのように無邪気な笑い声を上げている。僕にはそのときの勇ちゃんがちっとも面白くなく、しかも二人に置き去りにされたような気がして、ほんの数分間ではあったけれど、今すぐこの場から消えてしまいたいと思った。

 僕には勇ちゃんの気持ちがわかっていた。無心に花火を見上げるあーちゃんを見て、勇ちゃんは彼女を放っておけないと思ったに違いない。あのときは僕だってそう感じていた。あーちゃんはすぐ大人ぶるくせに、どこか天真爛漫な少女みたいなところがあって、ふとしたことで気持ちが崩れたり、勝手な思い込みだけで向こう見ずに突き進んでしまったりする。だからあのときも、うっとりと花火を眺める瞳が得体の知れないものに憑かれてしまったかのようで、危なっかしくて見ていられなかったのだろう。

 ただ、花火に没入しているあーちゃんを現実に戻すために、わざわざあんな大それたことを言うだろうか。あの勇ちゃんのことだから、何の含みもなくそのくらいの軽口を叩いても不思議ではない。でも、会話の後に一瞬だけ見つめ合った二人の眼差し──。あの場面を思い出すたび、僕の心は尻尾を踏まれた猫みたいにびくりと飛び上がってしまう。

 この話はそれっきり僕たちの間では出ることもなく、恐らく勇ちゃんとあーちゃんの間でも話されることはなかったようだ。なぜなら、僕たちの仲はその後も何ら変わることがなかったからだ。もし二人があの夜を境に急接近したのなら、邪魔者の僕がその後も同じように扱われるはずがない。どんなに気を遣ったところで、所詮子供だ。特別な関係の二人が、僕への態度を何年にもわたって完璧に取り繕い続けるなんてまず不可能だろう。

 ただ、話は出なくとも、僕の心には二人の言葉が深く刻まれてしまっていたし、進展が無いなら無いで、あの夜の記憶は僕のくすぶっていた気持ちをより一層燃え上がらせる油となってしまった。いやでも二人をこれまでとは違う目で見てしまうことになり、そのせいで以後の僕は、二人と会うたびに嫉妬という炎に焼かれることになった。僕も勇ちゃんみたいに堂々と軽口を叩けたなら、どんなに気が楽だっただろう。

 そんな僕たちの間には、意見の違いやちょっとした小競り合いはあっても、三人の仲を揺るがすほどの衝突は皆無だった。だから当然、未来にもそんなものは存在しないと信じていた。でも、存在しないと思われていたものが実は存在していたなんてことは、科学の歴史を紐解けば決して珍しいことではない。

 原子より小さい素粒子も、これまで観測できなかった遠い銀河も、ずっと存在していたのに人類が発見できなかっただけだ。この宇宙の大部分を満たしていると思われるダークマターやダークエネルギーの正体だって、今は謎に包まれているけれど、そのうち当たり前のように学校で教わるようになるだろう。

 人類は発見を積み重ねていく生き物だ。だからなのか、高校生になって間もない僕と勇ちゃんは、これまでまったく予見できなかった未来を垣間見ることになった。このことも人類の喜ばしい進歩の一端と言えなくもないけれど、こんな未来ならむしろ発見しないほうが幸せだった。ちょうど過去の人類が、共産主義や核の軍事利用を発見してしまったのと同じだ。

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