第18話 闇迫る夜
昼食をとり終えると、冬一は一旦、茶室に荷物を置きに行った。
食堂に残された文乃はふうと息を吐く。自分は上手くできただろうか。
その隣で、宗十郎が手を組んだ。
「……さて、典堂、祓井、どうだろうか」
「私はお手上げ、ていうかなんで生きてるの、あれ」
「自分は試せることはありそうですが、あまり期待はしないでください」
「そうか」
「あ、あの……?」
突然始まったいささか不穏なやりとりに、文乃はおろおろと三人の顔を見る。それぞれどこか暗い顔をしていた。
「……何、あんた、また文乃ちゃんに説明してないの」
典堂がやや怒りのこもった声を出す。
「今日、解決の糸口が見つかるのなら、不要な心配を掛けたくなかった」
「宗十郎さん?」
「すまない、文乃さん。まだ君に話していないことがあった。……神倉冬一は、人一倍呪いへの耐性が低かった」
「え……」
「そのため、神倉家に引き取られた彼は、異様なほどの呪いを背負い、その命は危うきにさらされている」
「専門の医者として言わせてもらうなら、生きているのが不思議なくらいよ。首斬られて生きてるくらいの呪いの数」
「人の兄を化け物みたいに言うな」
「だって化け物だもん。あれで生きてるの」
「文乃さんのことは、本当によいきっかけだったんだ。典堂と祓井が揃っている場に兄を連れてこられる」
「あ、あの、祓井さんは出来ることはあるとおっしゃいましたよね、だったら、それをとにかく片っ端からやっていくしか……」
「兄がそれを拒絶した」
「どうして……」
「母が弱っているのが自分のせいだと兄は知ってしまっている。これ以上の負担を掛けられない。祓井家他の協力でなんとか現状維持はできている。ならば、これ以上あがくのは、辛い、と」
そう語る宗十郎の顔もまた苦渋に満ちていた。
「……わ、私と結婚しましょう、宗十郎さん!」
「えっ」
文乃の言葉に宗十郎は驚いた。
「いや、いつかは、するが……してもらいたいのだが……」
しどろもどろ。らしくない。
いや、それを言えば、文乃の方がらしくはない。しかし口から言葉が勝手に溢れていく。
「だ、だって、お母様への負担を一刻も早く減らすためには、負担を背負える人間を増やすしかないでしょう。そのために、私に会いに来てくださったのでしょう?」
「うん、そうだ。そうだが……」
宗十郎が揺れている。
「駄目」
典堂が釘を刺した。
「医者として今の文乃ちゃんを今の神倉家の一員にすることは許可できません。文乃ちゃんは確かに予想を遙かに超えて元気でした。だからといって無傷ではありません。医者として、今の彼女を呪いに放り込むことは許可しません」
「じゃあ、いつなら、どうなったら許可してくれるんですか」
「少なくとも、半年。あなたにはそのくらいの休養が必要です」
長いと思った。長すぎると思った。
文乃には冬一の状態はわからない。それでも、それでは間に合わないのではないか。
「そもそも冬一さんも覚悟されているはずです。だから会いに来たんでしょう」
典堂は立ち上がってしまった。
「私に出来ることはここまでです。今日はこれで失礼します」
「て、典堂さん……」
「またね」
典堂は振り返らずに、去ってしまった。
「あ、あの、宗十郎さん……」
「文乃さんは何も悪くない。だからこそ典堂も席を外したんだ。ああ見えても典堂はちゃんと医者だ。だからこそ、怒る。君に八つ当たりをしたくなかったんだろう」
「……はい。私、典堂さんに謝りたいです」
「どうせまたすぐ会えるさ。あいつは医者だから。君を見捨てやしない。その時に謝ればいい」
「はい……」
「お話終わりましたー?」
ぐでっとテーブルに突っ伏しながら祓井が声を上げた。
「聞いてただろ、終わったよ」
「はーい。というか典堂さんのこと冬一さんになんて言うんですか」
「……どうしよう」
「もー」
祓井はひたすらに明るい。
何かを決めるより先に、冬一が戻ってきてしまった。
「あ、兄さん、その……」
「ああ、典堂さんとは、行き会いましたよ。仕事を残していたのに、わざわざ会いに来てくださるなんて、良い方ですね」
「あ、はい……」
典堂は大人だった。きちんと自分の行動の尻拭いをしてから、去って行った。
「夕飯まで時間がありますね、どう過ごしたものか……」
「ああ、えっと、そうだな……祓井は、どうだ?」
「んー、それこそ本でも読みますか? そうだそうだ宗十郎さんの書棚を整頓しましょうよ。文乃さんだって使うのに、あれはないです」
「ん……」
「それは僕も気になるな」
「ですって!」
「ぐ……。わかりました。文乃さんはどうする?」
「あ、はい。そうですね、書棚の整理ではお力になれないと思うので、少し見学したら、部屋に下がって、少し書き物をさせてください」
「ああ、そうだな。できるときにした方がいい」
「書き物?」
「うん。文乃さんは……霊鬼神魔にまつわる問題で日に決められた枚数の書き物をしないといけないんだ」
宗十郎が簡潔に説明した。
「へえ、いろいろあるんだねえ。文乃さんは聞いているかもしれないけれど、僕はこの家には途中から引き取られたものだから、あまり霊鬼神魔については知らないんだ」
「わ、私も似たようなものです……」
冬一とは違って、生まれついて持っていたはずの力を、文乃は知らずに生きてきた。似たようなとはいっったが、自分の方がおかしいとも思う。
そうして四人は宗十郎の書斎に移動した。
「ああ、うん、これは酷い。清太郎くんが正しい」
書棚を見た途端、冬一のそれまでの柔らかな声が一転して凍り付いた。
冬一は有無を言わせず、書棚から本を取り出し始めた。
「に、兄さん……?」
「まず、全部出す。分類はあとから指示する」
「は、はい」
なんだか急に兄と弟らしくなってきたふたりを微笑ましく見てから、文乃は書斎を後にし、自分の部屋に戻った。
伊勢物語を書き写し終えてしまった。
「ふー……」
次は宗十郎とは源氏物語の話をしていたが、徒然草でもいいかもしれない。
『多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵』
徒然草の一節である。
文車とは本を運ぶための車だという。そんなものがあるのかと驚かされたし、これまで母の実家の姓の意味を知らなかった自分にも驚いた。
しかしいまいち書いた人間の気持ちがわからなかった。本が多くてもいいというのは、まあわかる。ゴミが多くていいというのは、どういう気持ちなのだろう。
塵塚。ゴミ捨て場。ずっとそこに置いておくための場所でもあるまいし。
「ずっと、そこに」
母の書き付けを思い出す。
塵塚家の物の怪のこと。
思えばあれは何も解決していない。いや、そもそも問題でもないのかもしれない。
いっそ、裲襠だけであればよかったのに。
部屋の裲襠を眺めながら思う。
それだけならいくらでも幸福な受け止め方ができたのに。
あの紙二枚で、一気にわからなくなってしまた。
そもそも母はあれを遺したくて遺したのだろうか。
ただ残ってしまったものを混ぜてしまっただけなのかもしれない。
「…………」
死んだ人の考えについて、考えても正解はどこにもない。
「そっか」
それが人が死ぬということなのか。
ふと目の端から涙がこぼれ落ちていった。
文乃は初めて母の死を実感した。
人に会えなくなったのは、座敷に隠ったからだった。
いつの日からか、母もその一部に入れてしまっていた。
違うのだ。
母は死んでしまったのだ。
もうわからないのだ。
こんな思い、やっぱり宗十郎にはさせたくない。
冬一を救うためには文乃が強くなるしかない。典堂に止められないくらい強く。
でも、どうやったら、それが叶うのだろう。
文乃には何が足りてなくて、どうしたら足りるのだろう。
それは文乃の努力で足りることなのだろうか。
何もわからない。
文乃にわかることは、ほとんどなかった。
筆を握って、離す。
代わりに鉛筆を握る。宗十郎がくれた鉛筆。そして手帳の紙。
文乃は文字を書き殴った。
『冬一の呪い』『神倉家の呪い』
『私の役割はそれを解くこと』
『塵塚の物の怪』『誕生日』『お母さん』
『足りないことばかりだ』『わからないことばかりだ』『できることを探しても探しても』
弱音で紙はすぐにいっぱいになってしまった。
文乃は鉛筆も手放して、うなだれた。
涙を拭って、廊下に出る頃には夕焼けが差し込んでいた。
それとほぼ同時に書斎の戸も開き、そこからふらふらの宗十郎と祓井が出てきた。後から満足そうな表情の冬一も続く。
「……お疲れ様です」
「うん……」
心底疲れた声が宗十郎から出た。
「言うんじゃなかった」
祓井の目はうつろだった。
「満足です」
冬一がひとり充実した顔をしていた。
「……文乃さん、兄さんが蔵書を表にしてくれた」
ふらふらと紙を手渡してくる。
「ありがとうございます。部屋に仕舞ってきます」
「あ、じゃあ文乃さんが書いた紙、回収します……」
役目を忘れていなかった祓井の言葉にうなずいて、文乃は一旦部屋に戻った。
冬一がお酒を飲まないと言ったので、夕食の席にお酒が並ぶことはなかった。
夕食を終えると、祓井は隊舎に戻っていった。
文乃が部屋に戻るのに、宗十郎が着いてきた。
「文乃さん、兄さんと話したんだが、今夜は俺も茶室に泊まろうと思う」
心なしその声は弾んでいた。
「ああ、それはよかったですね」
「うん。……兄さんとこんなに話ができたのは初めてだ」
宗十郎がしみじみと言った。
「宗十郎さん……」
「斬れたら、楽だったのにな。全部、どんな呪いも斬ってしまえればよかった。それなら、俺にどうにだってできた」
宗十郎はぽつりとつぶやいた。
「だから、文乃さん、気に病まないでくれ。それが無理なら、せめて一緒に悲しもう。何もできないんだ、俺も」
「宗十郎さん、少しくらい私のことなんて忘れてください」
「文乃さん?」
「こんなときまで私を慰めなくていいです。宗十郎さんは、ちゃんとまっすぐ悲しんでください。大好きなお兄さんのこと」
「大好き……」
宗十郎はただ言葉を繰り返した。
「そしてちゃんと恨んでくれていいんです。無力な私のこと」
「そんな恥知らずなことはできない」
「はい、知ってます」
文乃は笑った。どうにか笑顔を作った。
「知っているから、言えるんです」
「……そうか」
宗十郎は笑ってくれた。
「じゃあ、また明日」
「はい、また明日」
夜が更けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます