第20話


 他の魔物と同様、天使型の魔物にも明確な序列というものは存在している。

 天使の位階を示すのはその頭上に浮かぶ光輪と、背中から生えている翼の枚数だ。


 魔道具のランプよりはるかに明るい目にもまぶしい光輪と、三対六枚の羽根。

 間違いなく今まで自分が戦ったことのあるどの天使よりも格上の存在だ。


 ほうっと熱い息を吐く天使を視界に捉えながら、ブラッドは後方を確認する。


 だがそこには既に転移魔法陣はなく、仲間達はおろか、鎖でつないでいたはずの奴隷達がやってくる様子もなかった。


 完全に孤立無援の状態で、目の前にいるのはかつてないほどに強力な天使。

 この圧倒的な絶望を前に――ブラッドは笑った。


「そうこなくっちゃなァ――!」


 瞬間、ブラッドの姿がブレる。

 残像を残すほどの速度で移動した彼は、瞬時に天使の後ろへと回り込んでいる。


 Bランク冒険者は、以前やってきたゴルブル兄弟のようなCランク冒険者とはそもそもの考え方が違う。

 彼らに自分の身をかわいがるなどという考え方は存在していない。

 自分よりはるか格上を相手にして戦い、そして勝利する。

 断崖絶壁にある薄氷の上を渡り歩くようなか細い可能性を生き延び続けてきた者しか至れぬ領域なのだ。


 ブラッドのスキルが発動し、彼の拳が音速を超えて放たれる。

 けれど攻撃が当たったという感触がなかった。

 拳がそのまま空を切ると、ブラッドは舌打ちをし、そして目の前にいる天使がケタケタと笑った。


「あらあら、ずいぶんせっかちなお猿さんですねぇ」


「妙に軽いと思ったら、幻影かよ……」


 拳から発された衝撃波に天使の輪郭がブレたかと思うと、すぐさま修復されて元の像を取り戻す。

 つまり目の前の天使は、光魔法を使って映し出された幻影に過ぎなかった。

 改めて感覚を研ぎ澄ませれば、目の前の天使からは生き物の持つ魔力が感じられず、呼吸音も聞こえてこない。


「いきなり私が戦ってあげるわけないじゃないですかぁ。そんなこともわからないんなんてぇ、脳みそミジンコ並にちっちゃい単細胞君ですねぇ」


 自分を小馬鹿にした様子の天使にむかっ腹が立ってくるが、こういうのは相手に取り合うだけ無駄だ。


 なにせ本体はここにない。

 恐らくはこのダンジョンの奥から、安穏とこちらを観察しているのだろう。

 下手に怒っても、それは相手の思うつぼだ。


(つぅか、天使は基本的に人間に害意を持たないって話だったと思うんだが……)


 目の前の天使は明らかに自分のことを見下し、嘲笑していた。

 ブラッドが天使と戦ったことはあるが、その時に戦った者達は皆機械的にこちらに武器を向けてくるだけだった。


「私は奥で待ってますのでぇ、頑張ってえっちらおっちらこっちまで来てくださ~い」


 それだけ言うと映し出されていた幻影がぐにゃりと歪み、霧散する。

 そして後にはファイティングポーズを取っているブラッドだけが残された。


「ちっ……むかつくが、行くしかねぇか」


 後ろを見るが、魔法陣が出てくる様子はない。

 このまま待っていても帰れる可能性も低いだろう。

 配下達と合流を待つ意味もなさそうだ。


(幻影であのプレッシャー……あいつ、ただもんじゃねぇ)


 本来であれば気配が極めて薄くなるはずの幻影を見たにもかかわらず、ブラッドは相手が実体だと勘違いした。

 それはつまりあの天使の本体は――今の自分でも勝てるかわからないほどの強敵だということ。


「そう考えると一人でここに飛ばされたのは、むしろ好都合かもな。あいつらが居ても邪魔なだけだ」


 あれほどの存在と戦うのなら、雑魚がどれだけいても数合わせにもならないだろう。


 元々このダンジョンには、自分の本気を出させてくれる強いやつを探しにやってきたのだ。

 あの天使は間違いなくブラッドのお眼鏡に適っている。

 果たして今の自分でも勝てるのか。不安がないと言えば嘘になる。


 けれどブラッドの顔に浮かんでいるのは、奴隷達を虐げている時も見れなかったほどの、満面の笑みだった。


 わずかな恐怖と、それを塗りつぶすほどに圧倒的な興奮。

 全身が震えているのは、果たしてどの感情に由来するものなのか。


 ブラッドは久しく感じていなかった胸の高鳴りを感じながら、ゆっくりと前に進み出す――。












 ブラッドが飛ばされたのは、大量の樹木が林立している森林エリアだった。

 ただエリアの中にいくつかくりぬかれたように何も生えていない空白地帯があり、そこには強力な魔物が鎮座している。


 全身の血がたぎって仕方がないブラッドは、敢えて空白地帯をしらみつぶしにしていく形で、己の感覚を研ぎ澄ませていた。


「バオオオオオオオオッッッ!」


 そこにいたのは、全身が十メートルを超える巨大な亀だった。

 見上げるほどの体躯に、土に同化するためか茶色い体色をしている。

 けれどその一番の特徴は、甲羅の先から生えている一本の巨木だった。


 よく見るとその木は中がうろになっており、その隙間から覗くのはハニカム構造。

 木の内部には巨大な蜂の巣ができあがっており、そこから次々と飛び出してくるのはサテライトビーと呼ばれているCランクの蜂型の魔物である。


「ちっ、しゃらくせぇ!」


 ブラッドは一度自分の拳をガチリと合わせると、そのまま左の拳を大きく下から突き上げる。

 上位ジョブ魔法拳士の固有スキルであるサイクロンアッパー。

 彼の一撃によって発生した竜巻が、襲いかかろうとしていたサテライトビー達を包み込む。

 内側に対して叩き込まれるかまいたちによって、サテライトビー達が傷ついていく。 

 けれどCランクにしてはもろいとはいえ、無論それだけでやられるほどサテライトビーはやわな魔物ではない。


 だがそんなことはブラッドとしても百も承知。

 彼は傷ついたサテライトビーの群れの中に突っ込んでいきながら、再びガチリと拳を合わせた。

 彼がストレートを放つと、そのまま拳の形をした炎が飛び出していく。

 同じく魔法拳士の固有スキルであるファイアナックルは、その圧倒的な羽ばたくサテライトビー達を瞬く間に焼き殺してみせる。


 サテライトビー達を潰していると、その後ろから巨大な亀――Bランク中位の魔物であるシンビオシストータスがやってくる。


 住処と餌を提供することで蜂に斥候と先鋒を任せ、隙を見て敵を一撃でなぎ倒す。

 シンビオシストータスの必殺の前足蹴りがブラッドへと放たれ――

 

「動かざること、山のごとし」


 けれどブラッドは、その破城槌のような一撃をしっかりと受け止めてみせる。

 不動の心得……始動キーを口にすることであらゆる攻撃を一度だけ防いでくれる防御スキルだ。


 必殺の一撃をしっかりと耐えてみせたブラッドは、そのままにやりと笑いながら前に出る。

 それを見たシンビオシストータスが何かを感じて後ろに下がろうとするが、全ては遅きに失していた。

 硬い甲羅を避け最も柔らかい部位に衝撃を伝えるため、足と甲羅の境目部分目がけて、ブラッドは必殺の一撃を放つ。


「フルカウンター!」


 己の食らった一撃を倍加して相手へと放つ拳豪固有スキル、フルカウンター。


 自身の力を利用された一撃を放たれたシンビオシストータスはそのまま身体の内側をぐちゃぐちゃにされ……二度と起き上がることはなかった。


 シンビオシストータスが倒れることで、大量のサテライトビーがブラッドの元へ殺到する。

 けれどブラッドはやってくる蜂達を、今度は己の拳だけで捌いてみせた。


 その目にも止まらぬほどの拳は、拳圧だけでサテライトビーを打ち落とすほどに強力だ。

 彼はいくつものジョブを持ちスキルを使いこなすこともできるが、そもそもの話、その肉体のスペックが圧倒的に高いのだ。


 数多くの難敵と戦い続けたことで彼のレベルは上昇を続けているため、既にそのレベルは60を超えている。


 一般人的な冒険者のレベルが10前後であることやレベルはどんどんと上がりにくくなっていくということを考えると、驚異的な数字と言える。


「ふぅ……」


 サテライトビーの殲滅を終えると、ブラッドはタオルでゆっくりと汗を拭い取った。

 汗まみれのタオルを『収納袋』に入れると、代わりにポーションとマナポーションを取り出し、一息に呷る。


 この森林エリアの空白地帯に出てくる魔物達は、それぞれ全てがBランク中位以上――本来人里の近くに出没すれば、上級貴族が総力を挙げて討伐に向かわなければならないような化け物ばかりだった。


 けれどブラッドは鈍っている己の戦闘勘を取り戻すため、敢えて魔物達と真っ向から戦っていた。

 幸いポーション類があるおかげで怪我を気にする必要はない。

 彼は強敵を打ち負かし己を高めながら、このエリアをゆっくりと進んでいた。


 彼は魔法と拳術を組み合わせたマジックアーツを使える魔法拳士であり、高度な拳術を使いこなす拳豪でもあった。

 他にもいくつものジョブを習得しそのジョブレベルを最大まで上げているため、その戦いのバリエーションは非常に多い。


 彼は一人で近接戦闘から魔法戦までを高い水準でこなすことができ、またジャイアントキリングに特化した技をいくつも持っている。

 本気で戦えば配下達が邪魔になるというのは、誇張でもなんでもないただの事実でしかなかった。


 故にブラッドは自身というものに対し、絶対の自信を持っている。

 そしてその自信は、この森林に出没するBランクの魔物達を相手にも己の力が通じることで更に強くなっていった。


 守護者の間のボスが強いといっても、エリアの魔物と比べて極端に強い魔物が出てくることはない。


 そんなこの世界でのダンジョンの常識があるからこそ、ブラッドはこのエリアのボスであるあの天使に自分の力が通用しないはずがないと思うようになっていた。


「俺は強い。だからあのボス相手でも……絶対に勝つ」


 自分の頬を張ると、ブラッドは自信と確信を胸に、ブラッドは守護者の間へと入る。

 するとそこには……本を読みながらゆっくりとくつろいでいるあの六枚羽の天使の姿があった。


「ふわぁ~……あ、ようやく来たんですか。遅すぎてマンガ読んで時間潰してましたよぉ。ガブちゃんはやっぱりぃ、ドロドロした恋愛ものが好きですねぇ」


 相変わらずこちらを舐め腐った態度だった。

 本を手に持ったまま、大きなクッションの上で横になって何かお菓子をつまんでいる。


 けれどそんな彼女を前にしても、ブラッドは一切の油断をしていなかった。

 Bランクの魔物達を相手に鍛え直したことで、彼の五感はかつてないほどに鋭くなっている。

 そしてその肉体や精神状態も、かつてないほどに仕上がっていた。


 問答無用と、ブラッドはいきなり複数のスキルを発動させながら天使へと殴りかかる。


 最初の一撃の威力を倍増させるファーストアタック。

 己と相手の強さの差を参照し、相手の方が強ければ強いほど威力を増加させるギャップフィスト。

 必ずクリティカル率を出し威力を倍増させる必的拳。


 他にもいくつものパッシブスキルが同時に発動している。

 今のブラッドが放ってきた初撃の中で、間違いなく最高の一撃だった。

 そんなブラッドの音速を超える一撃は吸い込まれるように天使へと飛んでいき……ぷにっと、頬の肉の弾力にはじき返された。


 マンガをパタリと閉じた天使――ガブリエルは、ゆっくりとブラッドの方を向く。

 彼女が浮かべていたのはあの悪意に満ちた嘲笑ではなく、きょとんとした表情だった。


 わけがわからず自分の拳とガブリエルを交互に見つめているブラッドを見ながら、彼女はこてんとあざとく首を傾げてみせた。


「あれ、もしかして……今ガブちゃんに、何かしましたかぁ?」

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