第8話


「兄貴、これが……」


「おう、守護者の間だな」


 通常、ダンジョンには階層ごとにボスと呼ばれるモンスターが存在している。

 ボスは次の階層へ向かうための階段の手前にある広間に陣取ることが多く、その場所は界隈で守護者の間と呼ばれている。


 ボスは同じ階層に出現する魔物と比べると、強力な魔物であることが多い。

 次の階層へと挑もうとする冒険者の前に立ちはだかる、ある種の試金石としての役割を持っているのだ。


「うし、とりあえずここのボスだけ倒したら今日は戻るぞ。第二階層から急に強くなるってパターンもあるし、何より命あっての物種だ」


「わかったぜ、兄貴!」


 二人は守護者の間へと続く、金縁の鉄の扉に手をかける。

 そしてゆっくりと中へ入っていくと……そこには彼らが想定していた通りに広い空間があった。

 ただゴルブル兄弟にとって想定外だったのは……


「ビッグスライムじゃ……」


「ない……?」


 自分たちを待ち構えていたのが、巨大なスライムではなかったことである。

 そこにいたのは――目をつぶりながら腕を組み、祈りを捧げている一人の少女だった。


 年齢は十四、五ほどだろうか。

 右に流している金色の髪はくるりとなだらかな弧を描いており、身につけている青い修道服と併せて神秘的な雰囲気を醸し出している。


 ただ静謐な印象に相反するように、その肉体は肉感的だった。

 胸部はゆったりとした修道服の上からでもわかるほどに盛り上がっており、下に着ている白い服のボタンは今にもはじけ飛びそうになっている。

 そして窮屈に押し込められている豊満な胸の上には、緑色の石で作られたカメオが載っていた。


 二人は目の前の美少女を見て思わず鼻の下を伸ばすが……兄であるミゲルはすぐに正気に戻った。


(スライムしか出ない第一階層……ということはこいつもスライム種である可能性が高いはず。人型を取るスライムとなると……ミミックスライムか?)


 Cランクモンスター、ミミックスライム。

 高い擬態能力を持ち、取り込んだものの特徴をある程度再現することのできるスライムだ。

 ミミックスライムが聖職者を取り込んだとすれば、このような見た目になることは十分考えられる。


 だが修道女のジョブ持ちなら光魔法が使えるかもしれないが、その戦闘能力は大して高くない。

 下手をすればビッグスライムより楽な相手だろう。


「すげぇなぁ兄貴、こんな美人は初めて見たぜ」


「美人じゃねぇよ、モンスターだからな」


「大変……大変長らくお待ちしておりました……」


 パチリと少女が目を開く。

 覗く瞳は、炎のような輝きを宿すルチルクォーツ。

 美という概念を体現したかのようなその少女の気配に、二人は圧倒されていた。


「マスターの手によってこの世界に生まれ落ちてから五年……初めてのお客様故、ご無礼や無作法があるやもしれませんが、どうかご容赦を」


(五年……だと!?)


 スライム種は魔物の中では比較的弱い種で、その命を繋ぐことも難しいとされている。

 五年生きているとなれば、スライム種の中ではかなりの長命になる。


 それだけ生き延びることが出来ていること自体が、目の前のスライムが強力な個体であることの何よりの証拠であった。


 見たこともないような、感じる神々しさすら宿した美貌。

 そしてあまりにも人に似過ぎている造詣。

 ミゲルの斥候として生きてきた経験から来る第六感が、先ほどからしきりに警鐘を鳴らしていた。


「やってきた侵入者を迎撃することが、マスターの第一の忠臣たる私の務め。それではさっそく戦闘を……おっと、失礼致しました。名乗りもせずに戦うのはあまりに無粋というものですね」


 彼女は人好きのする、かわいらしい笑みを浮かべる。

 けれどミゲルはその様子を見て、背中から滝のような汗を流していた。

 彼には目の前の美少女の笑顔が、己の餌を見つけた肉食獣の微笑みにしか見えなかったからだ。


「私の名はファスティア。マスターより生み出された始原のスライム――インフィニットスライム、『無尽』のファスティアと申します」


「ガル! 逃げるぞ!」


 そう言葉を発した時には、ミゲルは既に逃走の姿勢に入っていた。

 彼のブーツを覆うように展開されているのは、闇魔法の黒色の魔力である。


 闇魔法を足に纏わせることで加速・消音を行う初級闇魔法、ナイトウォーク。

 ためらいなく魔力を注ぎ込んだことで一瞬で最高速度をたたき出しており、ミゲルにとっての文字通りの全力疾走であった。


 無詠唱で魔法を発動し一瞬で逃走を選択するその躊躇のなさは、なるほどCランクの冒険者のたくましさを窺わせる。


 弟のガルも兄の判断を疑わず、即座に逃走に入る。

 彼の方は少し訝しげだが、ミゲルの額に浮かぶ汗を見て喉元まで出かけていた言葉を飲み込んでいた。


「あらあら、せっかく遊びに来てくれたのです……そんなつれない態度を取らないでくださいまし」


 脇目も振らず逃走を選択したミゲル。

 彼は一瞬のうちにやってきた扉へと到達し、その腕を前に出した。


 通常、ボスは守護者の間から動くことはできない。

 守護者の間を出ることさえできれば、このボスから逃げ切れるはずなのだ。


「よし、これで――」


 細身とはいえ、魔法により強化された肉体だ。

 いくら重たい扉とは言え、鉄製なら押し出すことくらいは容易……な、はずだった。


 だが取っ手に手がかかろうとしたその瞬間、それを何かやわらかいものが遮る。

 そこにあるのは、青く透き通った透明な触手であった。


 一本の紐のようにどこかへ繋がっているそれの元を辿ってみればそこでは……変わらず優美な笑みを浮かべている少女が、身体をくねらせていた。


 彼女の腕の先は鞭のようにしなりながら伸び、透明になりながら左右に分かれ、リゲルとガルそれぞれへと向かっている。


 ぐねぐねと動きながら自分を捕らえようと動き出す触手に、咄嗟にナイフを向ける。

 幸いさほど強度は高くなかったようで、全力で斬撃を放てば切り飛ばすことができた。


「ちいっ、兄貴、どうやらやるしかなさそうだぜ!」


 急ぎ後ろに飛べば、ミゲルの近くにいたガルの方も同様の攻撃を受けていた。

 ガルはそれを拳闘士のスキルである拳衝(ソニックインパクト)で吹き飛ばしながら、ミゲルと合流してみせる。


「無理だ、ガル! 俺達の勝てる相手じゃない!」


「んなもんやってみなくちゃわかんないだろう!?」


「いや、無理だ。俺達じゃ……いや、このマサラダの街の冒険者が束になっても敵うわけがねぇ! インフィニットスライムは――Aランク上位の魔物なんだぞ!」

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