第6話


 ただの町娘であるシンディがそれを見たのは、まったくの偶然だった。

 毎日の味気ない食卓に少しの彩りを加えようと雑木林に入り、そしてそこで、ぷかぷかと宙に浮かぶ目玉を見つけた。


 当然、街は大騒ぎになった。

 シンディは危険を見つけた第一目撃者ということで、金一封をもらうことができた。


 知り合いに何度も同じ話をせがまれるのは面倒だったが、袋ごともらった硬貨の重みのおかげでその顔から笑みがなくなることはなかった。


 当初の想定よりもずっと美味しいご飯を母に食べさせてあげることができて、幸せを感じることができていた彼女は現在……死の危険のただ中にあった。




「こっちでいいんだよな、女」


「は、はい、このまままっすぐ進んでいったところにある雑木林で……」


「余計な言葉を発するな、殺すぞ」


「ひ、ひっ! ごごごごごめんなさいっ!」


 シンディはつい先日来たばかりの雑木林へ、再び足を踏み入れようとしていた。


 死ぬような思いをして、化け物から逃げてきた彼女がわざわざ魔物のいた雑木林までやってきている原因は、彼女の後ろについてきている二人の男――Cランク冒険者コンビのゴルブル兄弟にあった。


「しっかし……まさかダンジョンができているとはな。にわかには信じがたい話だが……」


 その細長い三白眼でぎろりと周囲を睨んでいるのは、細身の男であるである兄のミゲル・ゴルブルだ。

 賢いというよりは小ずるそうな印象を見るものに与える男で、全身を黒い装束に身を包んでいる。

 斥候として高い技能を持ち、奇襲や暗殺を得意としている盗賊のジョブに就いている。


「ダンジョンかぁ! 腕が鳴るなぁ、兄貴!」


 ミゲルの隣にいるのは、リザード種の鱗を使ったスケイルメイルを装着している大男だった。

 その体躯は優に二メートルを超えており、鎧の隙間からは鍛え上げた鋼の肉体が見えている。


 犬歯をむき出しにしながら楽しそうに笑っている彼の名は、ガル・ゴルブル。

 彼の得物は、手に装着している魔物の骨でできたガントレットだ。


 パワフルに敵を殴り殺すことにかけては右に出るものがいない拳闘士のジョブについている。


 戦いたくて身体がうずいているからか、しきりに自分の拳を打ち付けている。

 その余波の衝撃波で自分の後ろ髪がふわりと浮かぶシンディは、どうしてこんなことに……と涙目にならずにはいられなかった。


「バリスが俺達に頼むってことは、間違いなく何かある。ヤバくなったらすぐに逃げるぞ」


「わかった、兄貴の言うことに従うぜ!」


 強力な前衛だが頭の足りないガルと、それを補いながら頭脳労働を担当するミゲル。

 血こそ繋がっていないが肉親より深い絆を持っている彼らゴルブル兄弟はシンディを半ば強引に拉致し、こうして魔物の発見現場まで無理矢理同行させていた。


 シンディとしては当然断りたかったのだが、ゴルブル兄弟の悪名はマサラダにまで轟いている。

 下手に断れば両親がどうなるか……と脅されれば、彼女に断る選択肢などなかった。


「ただ場合によっては無理をすることもあるからな。今まで魔物の出現報告がなかったことを考えれば、このダンジョンはまだできたてだ。もしダンジョンマスターを倒すことができれば……」


 かつて勇者はダンジョンを踏破しダンジョンマスターを倒すことで、巨万の富と建国の礎を築いたという。

 ラテラント王国において、ダンジョンの最奥にいるとされているダンジョンマスターを倒すことができれば、栄光は約束されたようなものだ。


「――俺達は爵位をもらって一発逆転さ。そうすりゃあもう木っ端貴族相手に頭を下げる必要もねぇってわけだ」


「貴族かぁ……わかんねぇけど兄貴の言うことに従うぜ!」


「ああ、良い夢を見せてやるさ」


「さっすが兄貴だぜ!」


 二人の視線を感じながら、シンディは自分が魔物を見つけた場所に辿り着いた。

 さほど遠いところではないので、歩いている時間は三十分もなかっただろう。

 けれどそれは彼女からすれば、永遠にも感じるほどに長い三十分だった。


「あ、あの……それでは私はここで……」


 自分が頼まれたのは案内役だけだ。

 最低限頼まれたことはしっかりとこなしたのだから、ここで解放されるに違いない。

 けれどそこで彼女を放免してやるほど、ゴルブル兄弟は生易しい相手ではなかった。


「あまり舐めた口を――利くなっ!」


「あうっ!!」


 シンディには一体何が起こったのか、わからなかった。

 衝撃、それに遅れて鋭い痛み。

 口の中に感じるジャリジャリとした感触と上がる砂煙が、自分が地面に倒れていることを教えてくれる。


「お前は黙って――俺達の言うことを聞いてりゃあいいのさ」


 その長い髪をつかまれ、思い切り上に引き上げられる。

 彼女の眼前に突き出されるのは、ミゲルがどこからか取り出したナイフだった。

 闇夜に溶け込むようつや消しのなされている漆黒の刀身が、シンディの頬を薄く裂く。


「ひっ!」


 シンディが声を上げると、刃が柔肌に食い込んだ。

 ぷっくりとした血の雫が刃に破られ、地面に小さな染みを作る。


「さぁ選べ……ここで死ぬか、俺達の前を歩くか、二つに一つだ」


 シンディは気付いてしまった。

 彼らに目をつけられてしまった時点で、逃げることなど許されはしないのだということを。

 絶望の表情を浮かべながら、シンディは立ち上がる。

 彼女は声を殺して泣きながら再び歩き始めた。


 肩を揺らすシンディを見てゴルブル兄弟はゲラゲラと笑いながら、その後を追っていった。





「……おお、多分だが……あれがダンジョンだな」


 遊ぶ半分にシンディを追い立てながら進むことしばし。

 道中魔物に遭遇することもなく、ミゲル達はこんもりと土が盛り上がりドーム状になっている洞穴を発見した。


 木々の合間に不自然にできていいるそれは、一見すると野生動物の穴蔵か何かにも見える。 だがそのサイズはガルが軽々と入れてしまうほどに大きい。


 そして穴から漏れ出してくる魔力は、ミゲルの上せた頭に冷や水をかけるほどに濃密であった。


「ヤバい香りがプンプンしやがるぜ……」


「そんなにヤバいのか、兄貴?」


「ああ、とんでもない魔力量だ。なるほど、これがダンジョン……そりゃあ潰せれば爵位だってもらえるだろうさ」


 ミゲルの額に冷や汗が浮かぶ。


 彼は斥候としての腕を磨き初級の闇魔法を使うことができるが、魔法使いとしてはビギナーも良いところ。


 魔力を感知する精度も、熟練の魔術師と比べれば児戯のようなものだ。

 だがそんな彼ですら、しっかりと魔力を感じ取ることができる。


 いや、あるいは……魔法使いとしては駆け出しである彼だからこそ、こうして未だに正気を保つことができているのかもしれない。

 練達の魔法使いであれば、このダンジョンを一目見ただけで気絶してしまっていただろう。

「――油断せずに行くぞ、ガル」


「おうっ!」


「一当てして無理そうならそのまま帰るぞ。幸い肉壁もあることだし……な」


 ミゲルの鋭い三白眼が、シンディを射貫く。

 彼は腰から取り出した紐をシンディの腕にくくりつけると、その端を自分で握った。

 悲鳴を上げるシンディを最前列に置き、一行はダンジョンの中へと入ってゆく――。

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