三章 黄金は真を覗く

01

 小さい頃から、伊織の好みは周囲とは少しばかり変わっていた。

 キラキラしたものや、まるっこくて小さくてふわふわしたものではなく、どこか少年染みたような、けれども少し異なったものばかりを目に追っていた。

 公園へと行けば雑草ばかりが集まっている場所に飛び込み、大きな石があればひっくり返した。虫がいれば喜び、うっかりぼんやりしていたトカゲやらヤモリが見つければさらにきゃあきゃあと喜んだ。

 その頃は男子達と一緒に遊んで虫取りなんてして遊んでいたが、思春期に近づくにつれて男子達は離れて行き、気づけば一人になっていた。

 けども、伊織は何一つ、友達がいなくても困ることはなかった。

 何よりも伊織の心を大きく動かしたのは、そういったものだったからだ。

 誰かに言われた。

 まるでマザーグースの男の子のようだ、と。

 どういう意味だったのか、気になって学校の図書室にあった本を見つけ、読んだことがある。

 女の子はどんなもので出来ているのか。男の子はどんなもので出来ているのか。

 女の子はキラキラとした甘い、すてきなもので出来ていて。

 男の子はそれこそカエルとか、子犬のしっぽとか、そんなもので出来ていて。

 読んでなるほど、と思った。

 だって自分が好きなものというのが、それこそ男の子を形成するそれらだったからだ。きっと性別を間違えて生まれてしまったのだろうと思い至った。

 家族はそんな伊織に対し、不思議そうな目で見てはまさしく女の子達がよく好んでいるものを勧めてきた。けれども伊織はそれらをすべて無視してひたすらに自分の好奇心を満たしていった。

 その結果、今や家族は全員伊織から少し距離を置き、よく分からない何かを見るような目を向けてくるようになった。

 伊織はその目を向けられるのが当たり前だと理解はしていた。なんせ学校でも同じような目を向けられるからだ。

 別に友達がおらず、学校で一人過ごしていても、別に困ることは無かった。

 ただ、少しばかり。

 ほんのちょっとだけ羨ましい、という感情を抱いていたのは嘘ではなかった。


 伊織はこの世界へ来てすぐにあてがわられた豪華な自室にいた。

 大きなベッドの中央に横たわり、枕をぎゅっと抱え込み、身体を小さく丸めた。

「……ねぇ、ヨル」

『はい』

 そのまま呼びかければ、隙間から白蛇がにょっと頭を出して伊織のすぐ目の前に顔を向けた。

 かわいいなぁ、なんて真正面から見える白蛇の顔を眺めながら分かり切っている問いを投げかけた。

「こんな時、友達ってどうすれば良いんだっけ」

『それは……』

 聞いても答えられないと分かっている。分かっていながら、伊織は誰かに聞きたかった。

 一人で十分だと思っていた。なんせ困ることが無かったから。むしろ友達なんている方が困ることが多そうだと思っていた。困ることは少なければより楽しく過ごせた。

 そのはずだった。

 ここに来て、一度に三人もの友達が出来た。

 伊織よりも三人は年上で、性格も好みも違っていて、そして、全てを見てしまえるこの瞳を目の前にしても三人は伊織にとても優しく、温かかった。

 ほんのちょっとだけ羨ましいと思っていた気持ちが氷のように溶けていたことに気づいたのはいつだっただろうか。

 ほんのちょっとだけ構って欲しいと思ってしまった気持ちに気づいたのはいつだっただろうか。

 ほんのちょっとだけ三人の姿を見て頑張ろうと意気込み、気づけば何もかもが変わってしまっていたことに気づいたのは、失ってからだった。

 伊織は答えられずに黙ってしまったヨルの顔を指先でこしょこしょとくすぐった。

「ごめんね、ヨル」

『……いいえ、伊織』

 ヨルは指先を伝い、伊織の顔に身体を寄せた。

 もし、ヨルが蛇ではなく、手足のある生き物であればきっと抱きしめようとしてくれたに違いがない。何せ伊織の顔いっぱいに身体を押し付けてくるのだから、きっとそうだった。

 伊織はそのもちもちとした感触を素直に受け入れながら、黄金の瞳を細め、月明りが差し込む窓へと視線を向けた。

 あの一夜を境に、全てが変わってしまった。

 アウグスト国王がとあるお触れを出されたのだ。


 混沌と殺戮と化した銀の聖女を捕えよ、と。


 王命により国中の騎士達は王都中を捜索し、今は王都の外にまで広がっていると聞いている。

 もちろんこの大神殿の中も王城の騎士達が土足で入りこみ、その姿、もしくは何かしらつながるものがないかとくまなく探された。

 ヴィンセントは大人しく事が済むのを待ち、終わった瞬間に大神殿の騎士達と共に力づくで早々に王城の騎士達をここから追い出していた。

 真咲がヴィンセントにお触れについて聞いていた。

 もし、捕えられてしまったら。

 ヴィンセントは苦い顔をし、しかし伊織の瞳を目の前に誤魔化すのは得策ではないとすぐに判断してくれたおかげで素直に答えてくれた。

 首が落とされるのは間違いないだろう。もしくは、火あぶりか。

 真咲は青白い顔をし、奈緒はそんな真咲を抱き寄せた。自身だって今にも倒れてしまいそうなほどにショックを受けているのに、誤魔化して気丈に振る舞っていた。

 伊織はそれを聞いてから、どうやって部屋に戻ったか覚えていない。

 そしてあれから数日がおそらく経った、と思う。

 と思うというのは、部屋から出ずにこうして引きこもっているからだ。

 何もかもが変わってしまった。

 友達が一人、傍から離れた。そして国中が友達を捕まえようとしていて、捕まえられてしまったら殺されてしまう。

 大切になった、唯一無二の友達が、静が、失われてしまう。

 そうでなくっても、最後に見た静の命は小さく揺れる蝋燭の火のようにか細いものになってしまっていた。

 伊織はその炎のように揺らめく命の姿を忘れることはないだろう。

 きらびやかに、艶やかに、姿かたちは小さな炎のようなものが強い光を発していた姿を。

 伊織は静の声を覚えている。最後に触れた温もりを覚えている。命の姿を覚えている。

 けれども、静があの時、どんな顔をしていたのかまでは見えなかった。

 この瞳はあの時、本当に見たかったものを見せてはくれなかった。

 一体誰が、黒く染まる姿を見たいと思えるのだろうか。黒い靄に包まれてしまったせいで、あの時一体静に何が起きていたのか、伊織は全てを理解しきれていなかった。

 ただ匂いと、声と、あの温もり。そしてより輝いていた命が、あの時に知ることが出来た静の全てだった。

 ヨルには言えなかった。

 あの時、こんな力がなければ、と。そしたらちゃんと静の顔をはっきりと見られたはずだったのに、と。

 伊織はそのまま瞳を閉じる。

 こんな状態だというのに、図太く夜になれば眠れてしまう自分が嫌になってしまうが、体調を崩したと静が知れば、きっと困った顔をして心配してくるだろう。

 どうせなら、そんな夢が見たいなぁ、なんて伊織は周囲を取り巻く現実から目をそらすように夢の世界へと逃げ込んだ。


 けど、夢は夢。現実は現実。逃げられることなんて出来ないと言わんばかりに眩しい朝の陽射しで伊織は目を覚ました。

「……夢、見なかったなぁ」

 とても寝つきが良いのも、この時ばかりはちょっとばかり恨んでみた。

 そろそろ起きなきゃ、と思ってみたがどうしても身体全体がだるく、伊織はそのまま起き上がらずにぼんやりとしていた。

 しばらくすればクレアがそっと部屋に入り、伊織の世話をし始める。

 もう放っておいてくれても良いのに、伊織付の侍女だからと嫌な顔を一つも見せずに着替えから何から全て世話をしてくるのだ。もはや伊織の意見なんて一切耳を貸さないほどだ。

 そして部屋のは入っては来ないが、扉一枚の向こう側には護衛として付いた騎士の二人がいることも伊織は知っている。

 こんな奴の護衛に着くことになってなんて運がないのだろうかと嘆いてはいないだろうか。

 この目をもってしても、何かしらの障害物が間にあればその姿形なんて見えるわけないので、扉の向こうで一体何を考えて立っているのか伊織には分かるはずが無かった。

 全て、夢であればどれほど良かっただろうか。

 そうであれば、こんな、苦しいことなんて知らずにいられた。

 友達なんて必要ない。必要なかった。友達の温もりを知ってしまった今、もうこの苦しさからは逃れられる術はない。

 素直に泣いてしまえればどれほど楽だっただろうか。

 静は素直に涙を流していたが、伊織は実のところ一粒も涙を流してはいなかった。なんだか、泣いてしまったら、全てが真実だと認めてしまいそうだった。真実ではあるが、しかし、この胸の内ではびこる苦しみや悲しみを認めたくはなかった。

 ああ、今日もきっとこのまま過ぎ去ってしまうのだろう。

 伊織は何度か瞬きを繰り返しながら、ゆっくりと瞼を落とす。

 今日もまた、このまま眠ろう。何もかもが夢だったと、そう思いながら。


 しかし、それはすぐに突然の来訪者によって邪魔をされてしまった。

「おはよう、伊織!」

 だんっ、と大きな音をたてて入って来たのはずいぶんと久しく感じてしまう真咲だった。

「……真咲?」

「おはよう、伊織」

 伊織が驚いたままベッドの上で動けずにいると言うのに、真咲は遠慮なく室内に入り、ベッドの傍らに立つ。

 黄金の瞳を瞬かせ、真咲を改めてみる。とげとげとしたものが胸の中心あたりでふよふよと浮いていた。

「お風呂、行くわよ」

「え、お風呂?」

「そうよ。ほら、さっさと着替えて行くわよ!」

 怒っている、というのは黄金の瞳が無くても分かることだった。

 だが何故に風呂なのか分からずに呆然としていれば、首に巻き付いていたヨルがするすると動き、伊織の顔をのぞき込んだ。

『行かないのですか?』

『早く行きましょ』

 続けて真咲の肩に乗っていたディーヴァが難なく伊織の前に降り立ち、急かすように大きく翼を羽ばたかせた。

「ほら、伊織」

「……分かったぁ」

 これは意地でも浴場へと行かないといつまでもここにいると分かり、ようやく伊織はベッドから起き上がった。


 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 部屋に閉じこもってからというもの、毎日クレアが伊織の身体を清潔に保つため身体を拭いてくれていた。だがそれでも皮脂の汚れというのは溜まってくる。

「もー、しばらくちゃんとお風呂に入ってなかったから泡立たないじゃないの」

「……真咲がやらなくても、自分で洗うよ」

「人の髪って洗ってみたかったのよね」

 お互い服を脱ぎすて、さっさと入浴する前に身体を洗っていく。だが何故か今、真咲が伊織の後ろに立って伊織の髪を洗っているのだ。もちろん、生まれたままの姿で、だ。

「なぁに? 痛い? それともかゆいところある?」

「ないよ。真咲って美容師になりたいとかあるの?」

「無いわよ。将来の夢とかやりたい仕事とか、まぁったく考えてなかったし。ほら、お湯かけるわよ」

 真咲がそう言って遠慮なく大量のお湯をかけてきた。

 そしてまた石鹸を泡立てて、髪を洗っていく。何度も繰り返して、そして綺麗に泡を全て流しきった後、手を引かれてたっぷりの湯に二人して使った。

 何かしらが入れられているのか、少し甘い花の香りが漂っており、ちょうど良い湯の温度も相まって身体の芯が解けるような感覚がした。

「……ねそう」

「寝ちゃ駄目だよぉ……」

「伊織も寝そうじゃない……」

 真咲は身体を捻り、傍らに用意されていた水瓶からコップに水を注ぎ、こくりと飲んだ。

「水いる?」

「いる」

 真咲は伊織の分の水を入れ、そのまま手渡してくれた。伊織もこくこくと飲み、喉を潤してからはぁ、と大きく息を吐いた。

「いつも、この時間って真咲、まだ寝てなかったっけ」

「最近早起きするようになったのよ」

「真咲が……?」

「何よ、そんな意外そうな顔しなくっても良いじゃない」

 何せ真咲は下手をすれば昼頃まで寝ている時だってあるのだ。

 低血圧というのもあるが、寝つきが元々そこまで良い方ではないらしい。夜もそのおかげでずいぶんと遅くまで起きていしまっているようだった。

 だというのに、その真咲がまさか早起きをするようになったという事実が伊織には信じられなかった。

「後はそうね。ちゃんとご飯食べないと元気が出ないし、ちょっと体力つけようと思ったから運動もするようになったわ」

「……どうして」

「全部、やれることをやろうと思ったのよ」

 いつの日か、誰かが言った言葉だ。伊織はその言葉を誰が言ったのか、覚えている。ちゃんと、忘れないでいる。

 真咲は晴れやかな大輪の花のような笑顔をぱっと伊織に向けた。

「お風呂あがったら奈緒が料理作って待っているわよ」

「え、料理?」

「そ。ちゃんとご飯食べてなかったでしょ、伊織。知っているんだから」

 用意された食事を伊織は半分も手を付けなかった。ずっと部屋の中にいるのだ、腹が減ることなんて早々に無かった。

 そんな感じだったから、いつ手を付けても良い軽食のようなものに変わっていたがそれでも温かなスープは時間になると出てくるし、手を付けなければクレアは少し困った顔を浮かべるだけで何も言わなかった。

「いつものご飯ね、奈緒も作ってたのよ」

「……嘘」

「本当。だから今日こそはちゃんと全部食べてよ?」

 そう言えば用意されていた食事を中に、妙に懐かしい味付けの物があったような気がした。けれどもどうしても空腹ではなくって、それでも半分は食べたものがあった。

 きっとそれだろうかと、伊織は用意された食事を思い返そうとするが何だったか、はっきりとは思い出せなかった。

 ちゃんと見てなかった。ただぼんやりと食べ物だと思って、それがなんの料理だったか知らずに最低限だけ食べてしまっていた。

「……奈緒、怒ってた?」

「ちょーっとだけよ。お菓子大量に作り始めた時は止めたけど」

「怒ってるじゃん」

 真咲が明るい声で笑う。軽やかな笑い声が浴場によく響き、つられて笑いそうになってしまった。

 けど笑えなくて、変わりに頭の中にあの光景が浮かんできて、伊織は湯をぱしゃりと自身の顔にかけた。

「ちょっと、どうしたのよ」

「……ねぇ、真咲」

「うん?」

 伊織は迷いながら、解けてしまった心のままに真咲に聞いた。

「……あの時、静、笑ってた?」

 静が笑った声はちゃんと耳にした。けれどもそれは安心させるための誤魔化すようなものだったのかさえ、あの時には何も見えなかった。

 真咲は伊織の問いに最初意味が分からないように小さく小首をかしげていたが、少し間をおいて眉を小さくひそめた。

「もしかして……見えて、なかったの?」

 伊織は言葉なく、小さく頷いた。

「……あの時、静がどんな顔してたか、見えなかったの。黒い、靄みたいなのがずっと静を覆っていて」

 そこからぽろぽろとあの時に見えたものを順番に伊織は話すことが出来た。

「あの時……私、ちゃんと見てなかったの」

「見てなかったって?」

「……目の前で、あの人達、死んじゃったでしょ」

 この黄金の瞳はなんでも見ようとする。伊織の意思とは関係なしに。

 真咲から小さく息を呑み込んだのが聞こえたが、伊織は構わずに続けた。

「その前に、あの人達が付いてくるってなった時。なんか、ちょっとだけ見え方がおかしいような……けど、おかしくないような風に見えて。だから私、何も言わなかったの。けど、あの鐘の音みたいなのが聞こえた時、あの人達の姿が一気に見えなくなって。そう、真っ黒く染まって。それで気づいたら……ああなっていたのが、見えて」

 まるで、一瞬の暗転のように伊織からは見えた。先ほどまで生きていたというのに、次には血を流して絶命をしていただなんて。

「……それで、静が倒れる直前、黒い靄がぶわぁって静を覆ったの。それで、手遅れだって、思っちゃったの。けど、けどね……静ってすごくってね。あの黒い靄みたいな中で、火を燃やしてた。小さい、蝋燭の火ぐらいに小さかったけど、大きな炎みたいに明るくってね? それでも静の顔は見えなかったけど、それ見て、諦めてないんだなぁって分かって」

 視界が滲んでいるように見えるのは、この浴室の白い靄がそう見せているだけだろう。

 頬に目元からこぼれた雫は、髪から流れ落ちた雫が偶然に伝って落ちただけ。

「私……あの時、静がもう死んじゃうって、思っちゃった。思っちゃったら駄目なのに。絶対に、駄目なのに。なのに、私、諦めちゃった……。静が、諦めてなんかいないのに。なのに私」

 横から、真咲が伊織の頭を抱き寄せた。ぎゅう、と力強く、落ち着かせるように。そして伊織の頭をゆっくりと撫でた。

「馬鹿ね、伊織は」

「ええ?」

「馬鹿よ。大馬鹿者よ」

 一体なんでそういきなり馬鹿なんて言われてしまうのか、伊織は分からずによく見ようと頭を動かそうとするががっしりと掴まれて動かせなかった。

「あんただけが、あの時にそう思ったと思ったの?」

「……え?」

「あたしも、奈緒も、そう思ったわよ。ああ、間に合わなかったって。静ばっかり見てて気づかなかったんでしょうけど」

 ぱっと腕が離され、伊織は慌てて真咲に視線を向けた。

 真咲は目元に小さな雫を集めながら、不器用な笑顔を浮かべていた。

 先ほどにもなかったのに、首には細い縄のようなものがあった。

 罪悪感だった。

「静、笑っていたわ。それに声は聞こえてたんでしょ?」

「……うん」

「それに、その、火? ちゃんと燃えてたんでしょ? けど火ってことは消えない? え、大丈夫な奴?」

「たぶん。私が見えるのって、私が知っているイメージというか、そういうのに繋がっているから。命が火だと、私の中でそうイメージしてるのかも」

「ああ、そういうことね。それなら良いわ」

 火は最後、消えてしまう。だから命そのもののようだと思ってしまっているのかもしれなかった。

 けれどもイメージは所詮イメージに過ぎない。真咲は伊織の言葉を聞いて安心したように大きく息を吐きだし、傍らに置いていたコップを手に取り水をこくりと飲んだ。

「あたし達は諦めそうになった。けど、静は諦めなかった。それなら、そんな静の為にやることなんて決まっているじゃない」

「決まっているって」

「あたし達も精一杯にやることやるのよ。静がやってきたみたいに」

 細い縄がわずかに真咲の首を絞めた。

「……そう、思っちゃったから?」

「……静に知られたら怒られるかも、だけど。そうよ」

 真咲の言う通り、もし静に知られたら驚いて、そして諭すように止めろと言いだすに決まっている。

 静は静自身の為に誰かが動くということに、あまり良い感情を抱いてはいないようだった。けども静はいつも誰かの為に当然のように動きながらも、自分の為と言うくらいに偏屈だ。

 おかしいくらいに矛盾ばかりを抱えている人だ。しかし、それが静だった。

「だから、とりあえずあたしは早起きして何とかして健康的な生活をしてやろうと思って」

「……健康的って、どういうこと?」

「……早寝早起き?」

「うーん。確かに静は早寝早起きだったけど」

 妙にずれた真咲の言葉に、伊織は小さく笑いをこぼした。

「もう笑わないでよ!」

「ごめーん」

 今度こそ伊織はたまらずにケラケラと笑ってしまった。

「そういうことだから! 伊織もやるのよ!」

「私もなの? けど、早起きは出来るよ?」

「部屋に引きこもってたくせに!」

「私お腹減っちゃった」

「伊織っ!」

 ばしゃばしゃと水面を叩く真咲に、さらに伊織は大きく肩を揺らしてさらに笑い続けた。

 きっと今、自分の首にも同じような縄がある。

 これは罪悪感だ。罪悪感を覚えながら、伊織は笑った。

 真咲達と一緒だったことに安堵を覚えてしまったのだ。けども、きっと、静はこれを知ったとしても何も気にしないどこか、そういうものだと言わんばかりに聞き流すだろう。それでも伊織はこの湧き出す罪悪感をしっかりと抱くことにした。

 そのあたりに投げたりはしない。胸の片隅にちゃんと置いておくと今決めた。

 友達なんていらないと思ってはいたが、しかしこの罪悪感がそれほどまでに大事に思っていた証拠であるならば、そこまで悪いものではないと思ってしまったから。

 とはいえ、罪悪感をそのままにしておくつもりはない。抱いてしまったからには、また次、静に再会した時に胸を張って会えるようにしなくてはいけないと思った。だからまずは、真咲の言う通りにその健康的な生活を送ろうと決めた。

「ねー、真咲」

「何よ!」

「なんかねー、ちょっとふらふらしてきたかも」

「……ちょ、誰か! アリッサ、クレア! 伊織がのぼせた!」

 浴場に良く響いた真咲の声と共に、外で待機していたアリッサとクレア、ついでに一緒にいたディーヴァとヨルも一緒に慌てて駆け込み、のぼせて真っ赤になってしまった伊織を介抱してもらうことになったのはまた別の話である。

 ちなみに真咲はアリッサにこんこんとお小言をもらったらしい。

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