13

 翌朝目覚めた静は、二度寝しそうになりながらもベッドサイドに置かれている呼び鈴をちりりんと鳴らし、置くと同時にまたふかふかの枕に顔をうずめた。

 頭の近くでぷうぷうと眠っているネーヴェの寝息がまた夢の中を誘おうとしてくるが、一気に身体を持ち上げた。

「……よし」

 何もよしではないし、なんならまだ寝てられるが、これ以上寝ると頭が痛くなる。自然に起きれたならばそれで良し。この体内時計の素晴らしさは異世界に来てもまだまだ狂わずに正確だった。

 転ばないようにベッドから降りて、重いカーテンをよいしょよいしょとひきずりながら開く。

 この部屋は出窓がないため、窓の近くに座れるところはない。座るとしたら床に直接座る他ないが、さすがにそれははばかれるし、リーリアあたりが驚くのが目に見える。

 しかしあの出窓は良かった。ぼんやりと外を見ながら過ごせるというのは中々にない贅沢だと静は思う。備え付けのソファを動かすのも億劫だし、配置的にも動かさない方が良い。だから今度、駄目もとで窓のすぐ横で過ごせられるように椅子でも用意してもらおうかと考えた。最悪スツールでも良いが、贅沢を言うならふかふかの座り心地のよい椅子が良い。

「……今何時だっけ」

 この異世界にも時計はちゃんとある。ありがたいことに表記なんかも同じで十二までで、一日二十四時間。おかげで体内時計は一切狂わない。

 静は調度品の上に置かれた置時計を見て、六時過ぎだと確認する。この朝早くに呼び鈴を鳴らしたが、リーリア達の朝はもっと早いらしいので恐れ入った。

 それにしても、静は時計の盤に書かれている数字を見て思うのが全く見たことがない数字表記だと言うのに違和感なく読めるということだ。

 今更だが言葉なんてものは最初から当然のように通じている。静には日本語として聞こえているが、よくよく相手の口の動きを見ていると、口は全く別の動きをしているのだ。なるほどこれが標準装備の能力の一つなのか。とうすぼんやりと感心し、ましてやまさか文字までもそうだとは思わなかったのだ。本当に大変ありがたい力だ。

 奈緒からちらりと聞いたが、どうやら日本語で書いた文章は、こちらの世界の住人達は読めないらしい。何かに使えそうだと奈緒は少しばかり悪い笑顔を浮かべていた。

 ぎぃ、と扉が開く音が聞こえ、静はそちらを振り返り、そしてその姿を目にして目を丸くした。

「……おはよう。リーリア、ルイス」

「はい、おはようございます。本日も良い天気ですよ、静様」

「おはようございます。静様」

 紫を基調とした侍女服を身にまとうリーリアは、にこやかに笑うがどこか笑みが固かったのは隣のせいだろう。

 黒と紫で仕立て上げられた侍従の衣服を身にまとい、あの時と同じように丁寧な挨拶をするルイスがそこにいたのだから。


 朝の少々攻防が入る身支度後、ルイスが手早く朝食の準備を整える。

 奈緒と伊織はそろって食べているらしく、真咲は朝が苦手だそうで部屋で一人、お茶を飲むだけに抑えているとのことらしい。なので朝食時、そろって食事をすることはまずなかった。というより、この時間で起きているのが静しかいないというのが本当のところだ。ちなみに昼食も個々だが、夕食は今後そろって食べようと言う話に昨日ようやく決まったのは別の話だ。

「あれ、引継ぎがどうとか言ってなかったっけ?」

 飽きることがないほどに美味しい朝食をあらかた平らげた静は、ゆっくりとルイスがいれてくれた紅茶の香を楽しみながら一息をついていた。

 あの部屋にいた時と同じ紅茶であることに嬉しく思いつつも、昨日の今日だというのに当然のように侍従の服を着て、側に控えるルイスだが、あまりにも早すぎないか、と心配の色をにじませた静にルイスはさらりと答えた。

「オリヴィア達の手を借りましたので」

「そっかあ」

 手際が良いのは良いことだ。きっと協力をしてやったのだろう、たぶん。

 ああ、それにしても紅茶が美味しい。

「ルイス様」

「何か」

「負けませんわ!」

「……何をですか?」

「紅茶でごさいます!」

 ルイスが隣で給仕をしている傍ら、リーリアはまだ寝起きでぼけぼけとしているネーヴェの毛並みをブラッシングしていた。

 この役割分担が決まるまで多少のやり時があったが、ネーヴェがリーリアに寝起きながら甘えるものだからすぐにちょっとした攻防はすぐに終息した。

「静様! 私は負けませんわ! 絶対に勝ってみせますから!」

「うん、応援してる」

 ルイスが格別に紅茶をいれるのが何故か分からないがうまいのであって、リーリアもやはりうまいほうだと静のは思う。ここに来てから紅茶というものがこんなにもおいしいものかと日々思い知らされるくらいだ。

 紅茶を飲み干し、ルイスが二杯目の紅茶を入れようポットを持ち上げたの見て静は掌を向けて遠慮する。

 ルイスは音もなくポットをおろし、ゆるりと口を開いた。

「静様。本日ですが、どのようにお過ごしする予定ですか?」

「うーん……、地下に書庫室があるって聞いてるから、行ってみたいんだけど。お庭も行ってみたいんだよね」

「庭園の方がよろしいかと。今が見頃のものが数多く咲いております」

 ルイスの視線は外に向けられている。静もならい、外に視線を移し、眩しいほどの青空に目を細めた。

「そっかぁ……、じゃあお庭にしようかな」

「静様、私が庭園をご案内しますね」

「うん、よろしく」

 ふふん、とリーリアが鼻を鳴らしてルイスを見るが、ルイスはどこ吹く風か。手早く食器類を片付けていた。

 一瞬、何かを耐えるようにリーリアが口をぐっと閉じ、ぐっと拳を握ったのが見え隠れしたがすぐにいつものような朗らかな笑顔を向けてくれた。

 ルイス、リーリアがそれぞれ片付けやらなにやらを終えた後、念のためと日傘や白いレースのグローブをリーリアがどこからか引っ張り出したが静はすぐに断った。日焼け対策は、今までせいぜい日焼け止めを塗る程度。しかもそこそこの頻度で塗り忘れて毎年あっと言う間に焼けてしまうくらいだ。そんな静が日傘やら日焼け対策のグローブなんて使ったことは一度も無かった。

「今しか使えませんのに」

「いや、それでも使わないよ?」

「そうですか」

 すごすごとそれらを大人しくクローゼットへしまうリーリアの背中はどことなく小さかった。

 さて庭へ行こう、と準備が整った静は椅子から立ち上がる。ルイスが先に扉を開け、廊下で待つ。リーリアが扉の脇へと立つ。忘れずにネーヴェを抱えて、部屋の外へと足を踏みだそうとし、静はえも知れぬ震えを感じた。

 途端体が岩のように一歩も動けなくなり、ひゅう、とまたあの変な呼吸音がすぐに耳へと届いたが、すぐに消えうせ、何もかもが遠のく感覚がした。

「――静様」

 消えうせてしまう最中さなか、声が降った。

 無意識に落ちていた銀を上に持ち上げれば、深緑がこちらを映していた。

 そして差し出された大きな手は侍従らしく、真新しい白の手袋をしている。あの時もそうだった。けれども騎士としての彼が目の前に来た時もまた黒いグローブを身に着けていた。グローブ越しの彼の手の温度をまだ静は知らない。

 そんな大きく、よく分からぬ手だが、静は躊躇という言葉をかなぐり捨てるかのように自身の手を重ねた。

 より小さな手が重ねられても表情を変えぬ彼は、すこしだけくすぐったくなるような柔らかな力でそっと静の手を引いた。

 とん、と静は廊下に足を踏み入れる。ワンピースの裾が揺れ、足をくすぐった。

「……その、ごめん」

「謝罪は不要です」

「次は、ちゃんと自力で出るよ」

 見上げたルイスの顔は、何かを言いたげに薄く口を開いていた。けれども結局口を閉ざし、そっと手を離し、深緑が外された。

「さ、静様。参りましょう?」

「うん」

 隣に寄り添うリーリアに急かされるように促された静は、こくり、と頷いた。


 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 王城の庭は豪華絢爛だとリーリアは説明する。権力を示す役割もあるとのことだ。対し、この大神殿の庭園は比べて華美なものはあえて少なく、見目を楽しませるには十分ではあるがそれ以外に役割があるのらしい。

「こちらの花ですが、緊急時には薬草にもなるのですよ」

「へぇ、実用的。いいね、花は綺麗だし、薬にもなるって」

「はい。静様はどういった花がお好きですか?」

「花かぁ。これと言って好きな花はとくにないかなぁ。ああ、でも、あれは苦手かな。香りが強い花」

「いい香りのものもございますよ?」

「うん、分かる。あ、もちろん見るのは好きだし、嫌いではないよ。ただ、ずっとそばに置いとくのはちょっと遠慮したいだけで。あれだよ、いい香りだから慣れちゃうの勿体ないし、別に今その香りが欲しい気分じゃない時とか困る」

 あまりに強く甘い香りの花は苦手だ。時折なら別段構わないが、いつもそれが香っているとなると気持ちが悪くなる。せっかく良い香りなのだから、慣れないように時折香りを浴びるくらいがちょうど良い。

「捻くれていますね」

「ルイス様」

「大丈夫大丈夫、自覚してるから」

 なかなかに捻くれているというのは自覚している。一歩離れて下がっているルイスに振り返り、同意するように静は頷いた。またもルイスはえも知れぬ顔をして、そっと視線をそらした。と思えば遠くを見るように目を細めた。

「静様、あちらに伊織様がおりますが、どうされますか」

「え、本当? あ、本当だ」

 花々が咲いている垣根をいくつか超えた先、伊織の頭がひょこひょこと見え隠れをしている。一人ではなく、もちろん伊織付の侍女、クレアの姿も見えるが何故だろうか、一定の距離を持ち、離れてた場所で立っていた。

「……行ってもいい?」

「はい。もちろんです」

 伊織はよく庭園にいるのだろうか。前にリーリアから昼間、三人は何をしているのかと聞いた時、伊織は庭園にいると言っていたのを薄ら思い出した。

 庭園にいるのは良いが、ただ花を見ていると言うわけではないように見えた。少しずつ近づくが、全く何をしているのかが分からない。ただ、垣根に顔を近づけて、花ではなく歯や枝、そして根本を覗き込んでいるのだ。

 本当に何をしているのか。

「何してるの、伊織」

 ちょうど声が届きそうな距離になり、静が歩み寄りながら伊織に声をかけた。

 伊織はびくりと肩を小さく揺らしたがすぐに顔を上げ、満面の笑顔を向けてきた。なんとなくだが、爬虫類、蛇について語りたがっていた伊織の笑顔に近いように見えた。定位置なのだろう、首にいる白い蛇は、頭を背中の方へと向けている。

「あ、静! 何って、虫捕まえてたのよ」

「……そっかぁ。楽しい?」

「すごく! 見て、かわいい!」

 ばっと、土で汚れた左手を差し出す。そこにはなんだかよく分からないが、こちらの世界でも足は六本の虫が伊織の掌の上をサササッ、と歩き回っていた。ちなみに色は黒かった。

「ウン、カワイイネ」

「……あ、ごめんなさいっ。苦手、だよね……?」

「いや、違う。かわいいのはちょっと分からなくって……。蝶とか、見た目の色が綺麗なやつとかなら、まだ分かるんだけど……」

 さすがにそれは分からない。いや、見た目が綺麗なものでも、可愛いかどうかまでは判断できる自信を静は持ちえていなかった。

 ひきつりそうになる口元だが、静は必死に隠す。が、すぐに伊織の金色の瞳の前では無意味だったとすぐに思い出した。

「……ごめんなさい、その」

 嘘やごまかしなんて、金色を目の前には無意味なこと。静のなけなしの張りぼての向こう側が見えたらしい伊織の肩が、小さく丸まった。

「え、ええっと。伊織、伊織。確かに、うん、ちょっと、苦手な部類ではあるんだけど。伊織が楽しそうにしているから、別に。その特に、裏側とか見なきゃ大丈夫だから」

「え、そこがかっこいいのに」

「伊織、本当それだけはやめて。泣いちゃう」

「……かっこいいのに」

 むすぅ、と唇を尖らせる伊織の仕草は可愛らしいと静は思うが、その手にいる虫と言動はやはりいただけなかった。

 急いで話題を変えなければ、と静は慌てて周囲を見渡す。と、視界の端に白いものが横切った。

「あ、鳥」

「え? あ、本当だ」

 突き抜けるように青い空の中、一羽の白い鳥が羽ばたいていた。伊織もそろって見上げて見た瞬間、掌にいた虫は無事に脱出したのが見え、ほんの少しばかり安堵したのは別の話だ。

 静はまた視線を上に向けて見れば、白い鳥はくるりくるりと旋回しながら降りてきており、そのまま上に腕を伸ばしたルイスの手へと止まった。

 かっちりとした侍従の衣服に身にまとった青年が、美しい庭園の中、白い鳥を片手に止まらせるという一枚の絵になる光景に、伊織から小さくうわぁ、なんて声が漏れだしたのを静は聞いた。静も、思わず声をこぼしそうになったが、何とか耐えた。

「あれ? 鳥、じゃない?」

「そうなの? って、あ」

 光景に見惚れていた伊織だったが、すぐに首をかしげてそうつぶやいた。それとほぼ同時ぐらいか、白い鳥は数度首をくりくり、と傾ける。と、その姿は一気に崩れ、四つ折りの紙へと姿を変貌させたのだった。

「あちらは騎士達がよく使う連絡用の魔術の一つですよ。静様、伊織様」

「見た目は大変美しいのですが、扱いはとても難しいと聞いております。が、何か緊急な連絡が……?」

 呆気にとられる二人に、リーリアとようやく近くにきたクレアがそっと教えてくれた。

 クレアが心配の色をにじませるのと呼応するように、届いた紙を開いて目を通すルイスの眉間の皺は深く刻まれ、あげくには目元を抑えていた。

「ルイス様、一体どのような……?」

 リーリアがそっと問えば、ルイスがようやく目元から手を下ろしながら、持っていた紙をくしゃりと握りつぶした。

「殿下が、こちらにいらしているようです」

「殿下が……? 祈りの為であれば事前に連絡があるはずですが……」

「いえ。聖女方へ、お目通しをしたいと直談判へいらしたらしいです」

 握りつぶされた紙は宙へと投げられ、シュン、と音と共に火に包まれて消え去った。

「静、静」

「うん、ね」

「ね!」

 伊織の黄金の瞳がなくとも、伊織が言いたいことはすぐに分かった。

 何あれすごい。映画とか、アニメとかでしか見たことがない奴だ。あれ。何あれ。すごい。

 今のやり方を少し聞いてみたい気持ちはあったが、それよりももっと気になる言葉が聞こえた為、静は何とか欲望を抑えつつ、こちらを不審そうに見やるルイスに問いかけた。

「ルイス。あの、殿下って」

「我らが国の王子、ランスロット王太子殿下です。お二方、こちらへ。ここではお姿が中から見えてしまいますので」

「え、隠れるの?」

「お会いしたいと?」

「や、全く」

 なんて面倒そうな方が来ているのか。静はすぐに首を横に振り、伊織もそれに倣うように首を横に振った。


 大神殿の庭園をルイスを先頭に奥へ奥へと進んでいく。時折後ろを確認する仕草をするルイスは、静が問題なく着いてきているか確認をしているようにも見て取れた。リーリアなんかは少しばかりいつもよりも距離が近いようにも感じるが、一度だけつま先を石畳の僅かな段差に引っかけそうになってしまっただけだ。何も問題はない、はずなのだが、それを真横で目撃した伊織は笑顔で手を握っている。自分の方が年上なのに、と考えそうになったが空しくなりそうなので止めた。

 静は考える代わりに周囲を見渡す。部屋の窓から見えていた美しい花々が咲いていた庭園の姿が、だんだんと花々の姿が少なくなり、若々しい緑が萌える場所へと移り変わっていく。脇には小さな水路が通りはじめ、だんだんと清涼な香りが風に混ざり始めてきていた。

「静様、伊織様。こちらですが、ハーブ等を多く栽培している場所になります。料理に使われるハーブも一部ですが、ここで育てられたものを使っているのですよ」

「そうなんだ」

 なるほど、確かに言われてみればどこか覚えるなる香りだと静は気づいた。それだとしても、何故このような場所へと向かっているのか、静はルイスの背を見る。と、その先にあるものがようやく見えた。

 数歩早くたどり着いたルイスは、その前に立つがすぐに脇へと控えた。

「わぁ! すごい! えっと、これ、なんていうんだっけ!」

「ガゼボですわ、伊織様。さ、中へ。段差がありますので足元にお気を付けくださいね」

 白い石で作られた六つ並ぶ柱に、屋根はドーム状のガゼボはちょうど中央に丸いテーブルが置かれ、丸く作られたベンチが置かれていた。柱には蔦が絡んでいるが、それまた良い味わいを醸し出している。

 伊織がきゃっきゃっ、とはしゃげば、クレアがあらあらと笑顔を浮かべながらこの建物がガゼボと呼ばれるものだと教えてくれた。日本で言う東屋だったはず、と静はどこかで見た記憶を引っ張り出していると伊織が手を引いた。

「行こ、静! 転ばないでね」

「転んでないよ」

「けど、静ってたまに結構躓いたりしてるよね。奈緒からも聞いたよ」

 伊織が知っているということは、真咲も当然知っていることになる。なんだか年上として居たたまれなくなりながらも二段ほどの小さな階段を上がり、伊織と横並びになって座った。

「それでは私が、紅茶を入れてまいりますね。よろしいですよね、ルイス様」

「あ、それなら私はお菓子をお持ちしなければ。申し訳ございませんが伊織様をお願いしてもよろしいでしょうか」

「はい、お願いします。問題ありません」

 疑問形などではなく、決定事項と言わんばかりのリーリアと、お願いするクレアに、ルイスは変わらず無表情で頷いた。

 二人は一度姿勢を正して軽く一礼をすると、小走りに元来た道を戻っていった。

「静、リーリアって」

「紅茶でルイスに勝ちたいそうだよ」

「静のせいじゃない? それ。止めなくていいの?」

「美味しい紅茶が飲めるからいいかなぁって」

 すぐ近くから呆れられている視線を向けられているのを感じるが、静はそれをまるっと無視をした。

「で、ルイス。なんでここに? 別に部屋に戻っても良かったと思うんだけど」

「出入りで鉢合わせになる可能性もありましたので。その分こちらは、奥まった場所にありますし、この付近に育てられているハーブはそれほど香りが強いものではなく、鎮静効果もありますので休憩をとるのにちょうど良いと判断をいたしました」

 捻くれていると言っていたルイスだったが、強い花の香が苦手だと言った静に合わせたのか。それとも本当にこの場所だといい具合に見つかりにくいという理由なのか。静はふと疑問が浮かびそうになったが、とくに聞くことでもないだろうと思い至り、素直に礼を言うことにした。

「そっか。ありがと、ルイス」

 だというのに、ルイスは眉間に皺を寄せると言う反応をしてきたが、静はこれもとくにあれこれと聞くのは止めておこうと胸に留めた。若干不服で、顔に出てしまったのは仕方がないと思いたい。

「はい、ルイスさんに質問! なんで隠れる必要があるんですか!」

「敬語も敬称も不要です」

「分かった! それでなんで?」

 順応が早い伊織がぱっと敬語を止め、再度聞き直した。僅かにルイスは深緑をそらしたが、伊織が目の前にいるからなのか、息を小さく漏らしてから口を開いた。

「非常に厄介になるからです」

「殿下相手に厄介って言うんだ」

「伊織様の前で誤魔化しても仕方がないでしょう」

 なるほど諦めた、もとい開き直ったらしい。

 言葉を発していないのに、ルイスは静をジロリと目線を向けてきたので、静は誤魔化すように膝に乗せたネーヴェの毛並みを撫でまわした。

「……あくまで人聞きになりますが、伊織様がこちらにいらした日から、そのような申し出がされていたとのことです。もちろん書状でになりますが、届いた瞬間ヴィンセント様が破り捨てていたそうです」

「まさか、お腹があんなに痛いのって」

「それもあるでしょうが、あれはただの過労が原因かと」

「ヴィンセントって胃痛持ちだったんだ? 辛いね、それ。皆知ってるの?」

「いえ、一部のみ存じていることですので、あまり口外なさらぬようお願いします」

 伊織は本人から聞いたのか、それとも見えてしまったのかは分からないが、ルイスもそれを知っているらしい。ちょっと仲間外れ感はあった気がしなくもないが、これで仲間入りだ。が、まさかの胃痛持ちだっとは知らず、静はちょっとばかり同情したくなった。

「気を付ける。でさ、厄介って言うのは?」

「……端的に申し上げるとすれば、王族側と神殿側の利権の問題が絡みます」

「それ、聞いたら面倒な奴?」

「はい。聞かないことを推奨いたしますが」

「うん。止めておく。けど、まぁ、そっかぁ」

「静は分かるの?」

「んー、なんとなく」

 さて、なんと言うべきか、と静は頭を巡らせる。静はあくまでなんとなく、察せられるというだけである。だから不用意に言葉をするのは避けたいところでもあった。

「わたし達って今、大神殿にいるでしょう?」

「うん」

「この国って神たるアルカポルスを信仰している」

「そうだね」

「で、神、そして愛娘の聖女として、ここに四人が集まっている状態。あちら側からすれば、あんまり面白くはない状況、と言えるんじゃないかなぁって思うのだけど。とはいえ、ここが王族に属したものであればまた違うかもしれない。けど、たぶん別、かな? どう、ルイス」

 答え合わせの為、ルイスに聞けば、明らかに不満が漏れ出している空気を醸し出しており、それだけ見て正解だと理解した。

「察しが良いのは悪いとは言いませんが」

「分かった分かった。黙るよ」

 お小言は勘弁だと静は片手をひらひらと動かし、そしてあ、と口から声をこぼした。

「そういえば、奈緒と真咲って」

「……中、だよね」

「……いや、奈緒が一緒ならいける」

「真咲もなんとかやれる! 私と違って友達たくさんいたっぽいし!」

「唐突の自虐止めようよ。友達少なかったの?」

「ううん、いないよ。虫とか爬虫類の話してたらいなくなっちゃった。静は?」

「明るく友達いないって言われてどうすればいいか分からないよ。いるにはいるけど、ずいぶんと会っていないかな。連絡は取りあってはいたけど」

「そうなの? いるなら一緒に遊んだりしないの?」

「あー……どうだろ? 前はけっこう遊んでたけど、今は忙しいからね。とはいえ、繋がりがあるっていうのは結構心強いものはあったね」

「……そっかぁ」

 よく分からないが、とりあえず頷いただけの伊織に静は困ったように笑った。

「真咲は友達じゃないの? それに奈緒やわたしもまだ友達じゃない?」

「……え、あ、けど」

「言ったもん勝ちみたいなところがあるから、友達だと思っているなら勝手に名乗っていいと思う。ということで、わたしは三人を友達だと思ってる。伊織は?」

「友達だよ! もちろん!」

 嬉しさなのか、それともちょっと気恥ずかしさなのか、頬を紅潮させながら伊織が答える。少し無理やりに同意させたようなものだが、あまりに嬉しそうに満面に笑顔を浮かべるものだからこれで良かったと、静は一人勝手ながらに満足した。

 これであの二人から違うなんて言われたら伊織は泣いてしまうかもしれないし、静はもちろん裏で泣く。が、おそらく言わないで、仕方がないなぁと言って笑ってくれるか、それとも何を今更と逆に言われてしまいそうだと、静はそう予想をしていた。

 さて、リーリアとクレアはまだかと思いガセボの外を見やると、ちょうど人影が見えた。

 二人だろうか。それなら思ったよりも早いなぁ、と見ているとどうも様子が違っていた。

 確かにリーリアとクレアがいるが、その後ろにもう四人の姿があった。

「奈緒と真咲だ。来たんだね……伊織?」

「……うわぁ」

「え、何を見たの?」

 奈緒と真咲。そしてそれぞれお付きの侍女、レオナとアリッサがそろっていた。

 伊織も気づいて嬉しそうな顔をしていたがすぐに顔をしかめてしまった。

「……すっごく機嫌が悪い」

「どっち?」

「奈緒」

「……え、奈緒ってどうなの? 機嫌が悪いと」

「分かんない」

 分からないものど怖いものはない。いや、でも、奈緒だ。機嫌が悪くとも、きっといつものように接してくれるだろう。そしてこちらは下手に触れないように、するべきだろう。きっと。

 静と伊織はお互い顔を見合わせた後、心を落ち着かせるために心地よいハーブの香りを胸いっぱいに吸い込みながら手元の小動物達を思い思いに撫でまわした。

 ネーヴェは仕方がないなぁと腹を見せ、ヨルは小さな頭を伊織の頬にすり寄らせた。

 そんな様子を見ていたルイスはちょっとばかり、憐みが混じった視線を向けていた。

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