7.
7.
かつん、かつん、かつん。
着替えたらしいザンカに呼び出され、向かう先。
この建物に入る時に感じた感覚がどんどん増していく奥。
一番最奥、と言い換えても良さそうな場所へとどんどん進んでいく。
「……何処行くんだ?」
「んー、今は詳しくは話しちゃいけない決まりなんだ。悪いな」
見知った道とばかりに進むザンカ。
戸惑いながらに付き従う俺。
「……行かなきゃ、駄目なんですか?」
「一回は絶対に。そうなる気持ちも分かりますけどね」
そして、進む毎に震えを増していくミモザ。
そうなる理由は分からず、部屋を出たばかりの頃から手を離そうともせず。
通り過ぎる相手もいない、良く分からない道を唯歩んでいく疑問。
「気持ちも、分かる?」
「そうさ。前もそうだった」
懐かしむ声色が混じった。
触れないで欲しい、と言いたそうな色合いが混ざった声だった。
「ただ、終われば分かる。スイも、ミモザ様も」
着いたぞ、と。
二枚の扉で作られた部屋の前で足を止めた。
他の部屋、他の扉に比べても尚一回り程古く見える。
手で触れれば埃が手に張り付きそうな、鈍色に染まった扉だった。
ぎぃぃ、と軋む音と開く先。
奥から吹き出すように溢れた香りと色。
緑。
新緑。
或いは深緑。
山で日々感じていた色合いではなく、もっと純粋な”緑”という差異を与える香り。
俺達二人を待ち構えていたのは、暴力的と言って良い緑の匂いの樹木。
そして、喜びの感情を強く伝えてくる……葉から派生した一本の橙花だった。
どうぞ、と勧められるがままに二人で足を踏み入れて見回してしまう。
見回す限り一帯に広がる空間。
先ず間違いなく、外と内側で広さが違う。
壁沿いに這っていけば、それこそ何処までも進めてしまいそうな世界にたった二人。
「此処、は?」
「この領の一番大事な場所、最も護らなきゃいけない防衛地点ってやつさ」
故に、思わず漏れた言葉。
分かる分かる、と頷いている彼はしかし、部屋の内側に入ってこようとはせず。
俺達だけを内側に留め、其処を区切りとする立ち位置を保っていた。
「何で入ってこないんだ?」
「俺にはもう入る理由も何もねーからかね」
当然に問い掛け。
けれどするりと逃げられたその言葉の奥には、妙に重苦しい感情が残っている気がする。
「そんな事より……準備しとけ」
「え」
何を、と聞こうとして。
声色よりも先に、足音が一つ。
二人しかいない室内に響いた。
誰か……と確認するまでもなく。
足取りが何処かふわふわと漂い、左右に振れながらに樹木へと向かう。
「ミモザ?」
返事はない。
両手を前に伸ばし。
触ることのみに思考を奪われているような歩み。
「一つだけ助言するとするなら」
その足取りを目で追えば、微かに走る頭痛。
緑色に漂う気配、霧は濃度を増し。
けれど、花は拒むかのように輝きを薄れさせていく。
くすり、くすりと。
誰かが耳元で囁いている声を実感し。
「スイ、お前が後悔しないようにな」
背中越しに投げ掛けられた言葉。
その意味を正しく理解するより前に、走り始めていた。
「ミモザ!」
叫んでいる。
けれど、声が届いていないかのように振り向かない。
ふらふらと揺れているのに、手が届かない。
明らかに走っているのと歩いている二人なのに、距離が一向に縮まらない。
何故、と。
考えるよりも前に、身体が動き続ける。
視界を埋める彼女の後ろ姿。
周りに漂う緑の色合いが更に増し。
ちかりちかりと、花が携えていた色合いが世界に明滅するように広がっていく。
一体何が起きている。
この場所は何なんだ。
何故歩き続けている。
幾つか浮かぶ疑問は全て、脳裏の端に溜め込まれては霧散する果て。
『問う』
その霧の中から、響くような声が聞こえた気がした。
聞き慣れたような、けれど忘れてしまったような重さを乗せた声だった。
『お前にとって、あの少女は何だ』
何。
急に何を言い出しているんだ。
誰の声なんだ。
理解不能に理解不能を重ねる状態。
ただ、それを探るよりも前にしなければいけないことがある。
そんな焦燥感に追われ、走りながら言葉を選んでしまう。
多分、ザンカは何かを知っている。
何かを理解している。
聞くこと自体は容易く。
けれど、その選択を取る事を脳裏から忘れていた。
そうしてしまえば。
目の前の少女が消え去ってしまいそうな悪寒が、目の前の背中から漂っていたから。
その背中が、嘗ての父母達と重なってしまったから。
答えなければならない。
誰かの囁く声と、少しずつ緑の霧で埋まっていく視界。
肌に染み込んでくる寒気と、それを跳ね除けようとする皮の一枚下の何か。
忘れてしまえば楽になる。
そんな声が、耳元で嗤い声と共に聞こえた。
違和感と、危機感と、反発感の中で。
吐き出す答えは……結局一つしかない。
「何か、なんて決まってる」
思い浮かべるモノは、彼女の在り方。
弱虫で、強がって、それでも共にいてくれた女の子。
もし。
彼女もまた、俺達の家族のようにいなくなってしまっていたら。
俺は、今も生きていたのかどうなのか分からない。
だから、『何』なんて問うモノでもない。
捧げるものでもなく。
受け入れるものでもなく。
誓うものでも、従うものでも、願うものでも、憧れるものでも。
縋るものでも、護るものでも、奪うものでも、信じるものでもない。
其れ等は唯の一面に過ぎない。
「全て、以外にあるのか」
俺は全てを賭けて、彼女と共に在る。
只それだけの話で――――それだけを、永久に誓った相手。
今、そう思える相手は彼女一人。
だから。
「
頭の中を、そんな思いが埋め尽くし。
思わず漏れた言葉が、室内に響いて肌へと跳ね返りながら。
同時に、周囲の霧が薄れていく。
いや、薄れるというのは正しくない。
橙色の、世界の合間を照らしていた色合いが緑の色合いを裂き。
一本の道が唐突に目の前に現れた、というのが正しいのだと思う。
周囲を見ても、その道以外は緑のまま。
進んだ先、視線の先。
樹木の前で佇むミモザと、木々全てに咲き誇る花の輝きが世界を埋め尽くしている。
緑と橙、そして道の白。
たった三色だけに覆われてしまった世界を、足跡を刻むように歩んでいく。
凍り付いた地面を初めて歩く時のように、ゆっくりと。
目の前には誰の跡も無く、俺の後ろに跡が残る。
ただ、何となく。
初めて、という意味合いだけは理解することが出来た。
《第一の騎士》と呼ばれる言葉。
その意味を、今初めて肌で感じているような気がする。
彼女の背中、数歩前で足を止める。
見上げても尚、全てを視界に映せない樹木と輝き。
手を伸ばせば彼女の背中に届く。
それを理解して尚、俺自身から伸ばすことは無く。
「ミモザ」
背中を向け続ける少女に声を掛け。
「お前は、俺にとっての全てだ」
僅かに身動ぎを返した少女へと。
「お前にとって、俺は――――何だ?」
同じように、聞き返す。
そうしなければいけないと、心の奥が叫んでいた。
今、聞かなければいけないこと。
他の誰もがいない場所だからこそ、知らねばならないこと。
手を伸ばす前に、問わねばならないこと。
あの時に来る切掛になった、彼女からの要求。
それに対しての返答。
それに対しての、彼女の答え。
求めているものは。
多分、互いに理解していた。
「決まってるよ」
背中越しに。
互いに顔を見せずに呟く。
「私の全部。 スイくんがいたから、今の私がいるんだもん」
必要だったのは。
今此処でしなければいけなかったのは。
自分の本心を、自分唯一人の感情を吐き出すこと。
多分、どんな感情を抱いていても……相手に吐き出せるかどうかの有無。
「同じ、でしょ~?」
普段と同じ。
落ち着いている時と同じような口調を作り。
先程までとは違って、唯単純に一度振り返った。
頬が微かに赤く染まって。
当たり前のことを口に出しただけなのに、照れているように見えた。
……俺と同じように。
手を伸ばす。
手が伸びてくる。
触れて、同時に足を彼女の隣へと並べた。
樹木の周りに漂っていた緑の霧は晴れ。
一帯に花を咲かせ。
色合いを、陽光神と月光神を同時に見せる時間と同じに染め上げる。
重ねた手で。
その光へと、手を伸ばし。
俺達は。
その光が、胸の内側へと吸い込まれていくのを。
ただ、眺めていた。
どくん、と。
胸の奥で、鼓動が一度跳ねたのが分かった。
◆◆◆
「戻ってきた、か」
そんな声が掛けられて。
自分達がどういう状態にあるのか気が付いた。
入ったときに比べて半分以下に感じる室内。
天井は開いたまま、空へとその葉を伸ばす樹木の前。
その樹皮に手を重ねている状態で、佇んでいた。
「戻って?」
「何かを見たんだろ?」
後ろを向く。
ザンカが扉に肩を貼り付けるようにしながら此方を見ている。
その顔は、酷く安堵しているように見えた。
声を掛ける相手との距離は縮まっていない。
つまり、一向に室内に踏み込んでくることはなく。
扉の前から動かずに、俺達を見ていたということだろうか。
手招きし、戻って来るように合図するザンカ。
特にこの部屋に残る理由もなく。
そして緑の霧、という理解不能なものを思い出すと震えが蘇る。
行こう、と小さく声を掛け。
樹木から手を離し、入口へと向かおうとして。
『――――』
再びに、耳元で誰かが囁いた気がして。
もう一度樹木の方を向き直り、部屋内を一度大きく見回した。
「スイくん?」
「ああ、いや……何でもない」
其処には何もいない。
そもそも俺達しかいなかったのだから、他の誰かの声が聞こえる筈も無い。
にも関わらず、妙に気になり……そして引っ張られてしまう。
(……気の所為、だよな?)
妙に意識を引っ張られながら、先に行く彼女に引かれて部屋を出る。
気付くと半ば小走りになっていた彼女。
引っ張られるように速度を増し、部屋から出ると同時に滑るように速度を落とす。
二人共、完全に出るかどうかの直後。
少しだけ急ぎ気味に扉を閉めるのを横目で確認。
完全に塞がれた後に、深い深い溜息を吐き出したザンカ。
「……部屋に入って、無事に出てきた相手にしか話しちゃいけない盟約なんだよ。
悪いな、さっきは誤魔化して」
何も無い廊下。
それこそが落ち着きを与えてくれる気がして、自然と力が籠もっていた手を緩める。
それはミモザも同様で、互いに緩んだ手が離れそうになって再び握る。
他から見れば良く分からないことをしているな、と。
自分自身を笑いながら、目線を持ち上げたその先。
ザンカの横目を、何と無しに再び見れば。
扉越しに見つめる先に、負の感情を混ぜ込んでいる気がした。
顎に力を込め、歯を噛み締め。
けれど次の瞬間には無かったかのように振る舞う姿。
入る理由がない。
そんな台詞と、繋がっているんじゃないかと思考が巡る。
ただ、それでも。
今吐き出された言葉への疑問が、先に口から出ていた。
「めい、やく?」
「……無事?」
気になったことはそれぞれ別。
それでも、質問があるのは変わらない。
苦笑いを浮かべ、何方を先に答えるか迷う素振りを見せ。
「取り敢えず、場所だけは変えるか。
隊室……これからの俺達の居場所を先に案内するわ。
スイの部屋も案内しときたいが、その前に質問は色々あるだろーしな」
それでいいか、と目線を向けられ。
この場所に一呼吸の合間でさえもいたくはない、という意識は多分重なった。
ほぼ同時に首肯し、動き始める。
『――――』
部屋から離れるにつれ。
もう一度、背中に。
何かの声が聞こえた気がした。
手をぎゅっと握りしめる彼女に合わせ。
同じように握り直す。
きっと、気の所為なんだと思い込んで。
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