片翼の騎士、君と共に
氷桜
1.
1.
「釣れてる~?」
良く聞き慣れた声がして、後ろを振り向かずに言葉を返した。
「まだ釣り始めたばっか」
普段と変わらない快晴。
けれど裏山に厚い雲が掛かり始めているのを見て、顔を顰め。
隣に当然のように座り込むのを拒絶もせずに、喜びもしなかった。
「あ、でももう一匹は釣れてるんだ?」
「全然足りないよ、こんなんじゃ何とも交換出来ない幼魚だし」
隣の魚瓶を覗き込んだのだろう、そんな言葉を耳にしながら。
ぴちゃり、と水が跳ねる音。
ひゃっ、と小さい悲鳴が耳に届き。
同時に手元に感じた重み、一呼吸置いて上へと引っ張り上げる。
暴れる手応え、空と似たような水色の鱗。
見慣れた鋭利なヒレ、三つ目と奇妙な叫び声。
地上へと一度跳ねさせるようにして糸を切らせずに釣り上げる。
「おー、お見事~!」
「いつもやってるし、何度も見てることだろうに」
一段落が付き、暴れる物音が途絶えるまではそのままにするしかない。
斬魚、と呼んでいるそれに下手に手を出せば大怪我をする。
ずっと昔、母から聞いていた言葉を思い出しながら息絶えるのを待ち始め。
僅かに荒れていた呼吸を落ち着かせ、隣に座り込んでいた相手へと目を向けた。
白金の髪を一つに纏め、背元に流す少女。
普段から着込んでいる服装は継ぎ接ぎだらけで、それでも尚隠しきれない下の肌が透けて見える。
高価な衣装を買う金もない、村人ならば誰もが似たような格好をしているのに。
その中で一人だけ輝いて見える、俺とは別の意味合いで村に相応しくない女の子。
だからこそ、ちらちらと目線を向けられる幼馴染。
「今日はどうしたんだよ、ミモザ」
「今日は、って言うけどさぁ」
今日もだよね~、と見上げるように頭を下げて呟く。
普段から変わらない、俺を玩具にするような口調。
とは言え、決して距離を取ろうとはしない彼女との距離感は近く。
妹のような、姉のような――――存在しない誰かのような。
幾つもの感情を秘めたような相手が、訂正のために言葉を口にした。
「村の…………あー、何だっけ? 彼奴だよ彼奴、彼奴に誘われてただろ」
「名前で呼んであげなよ~。 ……まあ分からなくはないんだけど」
普段から接しない相手の名前が浮かばずに、それっぽく口にして。
呆れ半分で口を尖らせつつも、話はそのまま繋がった。
「『人手が足りないから手伝って欲しい』って言ってた人でしょ?
嫌かなぁ、唯でさえあんまりよく言われてない彼の家に一人でなんて」
「それで来るのが俺のところ、って時点で変わってるけどな……」
大声で自慢気に話していたから、嫌でも耳に入った噂話。
今日ミモザを家に誘っただとか何とか。
性格上素直に乗るとは思えなかったが、そういう話をしているのだから、と。
自分でも良く分からない感情を心の底で抱いたのを覚えている。
だから、なのだろうか。
普段は口にしないような文句、言葉を彼女に投げ掛けて。
それに対して彼女がどう返すかを考えもしなかったのは。
「あんな人の場所より、こっちのほうが楽しい……って言えば良いのかなぁ?」
「……そりゃ、有り難いね」
「もっと真面目に受け取って欲しいんだけどなぁ、スイくんには」
それこそずっと、ずーっとね。
手を大きく開いて、その長さを表そうとしている姿。
ただ、その見せ方だと広さのようにも思えてしまうし。
何よりも聞き慣れていることだったから、僅かに頷きながら聞き流す。
「相変わらず反応鈍いね~、こういう時」
「聞き慣れてるからこうなるんだよ」
「にしては顔少し赤くない?」
伸ばされた手。
振り払おうとしても、多分成功するまでは絡み付いてくるだろう。
何度も何度も経験していたから、諦めて好きにさせながらも。
物音が小さくなり始めた、釣り竿の先へと目を向けた。
「肌白いからすぐ分かるの好き~」
昔から変わらないし~、と。
あいも変わらず間延びしたような言葉。
どこか地に足が付いていない言葉。
「個人的にはもう少し焼けて欲しいくらいなんだけどな。
お陰で見縊られやすいし」
「それは言いたいことも言わないスイくんの性格もあると思うんだけどなぁ」
頬に触れていた指が、二本になって片頬を横へ引いた。
はぁ、と漏れた本心。
間違ってる?と笑う顔。
相対する少女のコロコロと変わる表情を横目に、釣り竿を手繰り寄せ。
地面に擦ることで、未だに息があるのかを確認する。
「どう?」
手元、川辺の直ぐ側まで引き寄せて目の色を確認。
「死んでる。 これなら大丈夫かな」
完全に黒く染まっているのを確かめて、口元に引っ掛かっていた折れ曲がった金属片を取り外した。
「たまーに生きてるやつがいるから必須ではあるけど……毎回大変だよね~」
水中では自身のヒレを武器に好きに泳ぎ回る斬魚。
真逆に、地上に少しでも出てしまえば途端に死に至る二極性を持つ魚。
ヒレは家の中で多少作業するのに便利に使えるし、内蔵を取れば肉もそれなりに上手く食える。
俺個人としては便利な存在、という認識に過ぎないのだけど。
何も知らずに手を出し、怪我をする子供が昔から後を絶たない魚でもある……らしい。
たまに、水中から出ても僅かに生命を保ち暴れる珍しいのがいるから。
ミモザも昔一度怪我をして以降、死んだのを確認してからでないと一切触れようとしなくなった。
あの時の斬魚もその珍しい方で、以降生きている魚へは恐怖心が続いているようだった。
(あの時はちょっとした騒ぎになったなぁ……)
周囲がまだ騒がしかった頃。
今では聞けなくなった声を、僅かに懐かしみながら。
川に漬け冷やしていたモノを引き上げようと立ち上がる。
「あれ、もう良いのん?」
「山に雲が掛かってる、かなり強い一雨来るぞ」
今から急いで戻れば雨が降る前には帰れるだろう。
但し、それは彼女のみ。
俺が住む
「で、今日は~?」
「聞くまでもないでしょ」
だから、彼女の予定について問い掛け。
返る答えは、半ば聞き飽きるような同じ返事。
「今日も良い~?」
「村長も苦労する訳だ……」
同情、と呼ぶらしい感情を言葉に乗せ呟き。
来ない方が良い?と軽い誂いを投げ付けられながら。
「だったら手伝ってくれ、これがないと多分お互いに足りなくなるぞ」
「……これ何のお肉?」
「角鹿の肉、と内臓」
新鮮じゃなきゃ食べられない部位。
やったぁ、と急に機嫌を良くする姿に。
繰り返すように、口元が緩んだのが分かった。
◆◆◆
雨粒が強く屋根を叩き、下に置いた鍋が漏れた雨粒を拾い上げる。
同時に室内を侵していた食欲を誘う煙も外へと逃げ。
からん、と木皿と木匙を転がす音が室内に響いた。
「んー、満足~!」
「はいよ」
染み付いてしまった、空に浮かぶ二つの物体。
赤月と蒼月に感謝の言葉を述べながら、ミモザの食器を片付けて部屋の隅に纏める。
明日には洗う分くらいの雨水も溜まっているだろうし、其れが済んでからでいい。
飲水は予め川から汲んでいるから問題はなし、後は只寝るだけ。
「相変わらずご飯上手~。 ずっと私にご飯作ってよ~」
「お前が慣れてお前が作れば良いんじゃないのかね……?」
「え~、無理無理。 させてくれないもん、少なくとも今は」
四方に仕切りを置いた焚き火を挟み。
只向かい合いながら、何となくの時間を過ごす。
此奴が俺の家に来る時のいつものこと。
そして、それが此奴にとっての気分転換であることは言わずとも理解していた。
「やっぱ村長の考えは変わらないのか?」
「だと思う。 ちゃんと話してはくれないんだけど……街の方に嫁がせるつもりなのは隠してないし」
せめてお母さんが生きてればなぁ、と。
言葉を漏らすのを聞き逃すことは無かった。
その顔は見ないようにして。
もっと幼い時、両親のものが色々とまだ残っていた頃。
壁に掛けられていたような記憶のある、けれどもうその跡しか残っていない。
長い鉄製の何かや、身を護る服装のような何かが形を変えたモノ。
そして煤塗れになった、唯一奪われることの無かった花飾りのような壁飾り。
山々で見つけたらしい植物の色合いを後から塗り付けた、木製の遺品を見つめながら。
「世話になってるから拒絶するのも難しい……面倒だよなぁ」
そんな言葉で覆い隠して、自分自身の心をも闇に伏せる。
赤月と蒼月が共に重なる時……新しい月として生まれ変わるとされる『真月期』で数えて四つ程前。
疫病が村に蔓延り、俺の家族と彼女の母親を含めた大多数の命を夜闇へと運び。
其れを切っ掛けに、彼女は村長の家へと引き取られ……俺は村から追い出された。
けれど、それ以前と以後で彼女は俺との付き合いを変えることはなく。
俺自身も、変わってしまうことを望む訳でもなく。
好まれていない、ということを認識したまま……数年間、ずっとこうして生き続けている。
それが、何方にとっても望ましいことなのか。
成人を越えた後であっても、楽な生活を続けるには相応しくないことではないのか。
こんな――――何も無い、村で生きていくのは彼女に相応しくないのではないのか。
闇の中で考えたことがないとは、決して言えなかったけれど。
「せめて、スイくんに分かりやすい
「……それを言い出したらお前だってそーだろ」
俺が村からどうでも良さそうに扱われる原因。
ミモザが村で相手を見繕われず、街に売り飛ばされる要因。
成人として数えられる
望んだものを扱えるようになる、とだけ聞いている良く分からないモノ。
俺とミモザには、目に見えて分かるそれが発現せずに。
だからこそ『外れ』として、見た目と役割のみを見据えられて打ち捨てられていた。
「それに……もしそうなったら、お前絶対拒絶しただろ?」
「わかる~?」
もし、同じ家に引き取られることが出来たとしても。
もし、何方かの我儘でも通すことが出来たとしても。
多分だけど、ミモザは俺と同じ家に住むことを拒絶したと思う。
兄妹というか、家族と言うか。
固定化されてしまう関係性を、拒絶したと思う。
それは言わずとも分かっていたことで。
だからこそ、軽口のように口にすることが出来た言葉でもあった。
「どれだけの付き合いだと思ってんだよ」
「えー……もう十回くらいは回ってるよね~?」
「自分の
うるさーい、と言いながら横になるのを黙って見つめる。
実際、成人以前は正しく覚えていたとしても。
ただ村で住まうだけなら、以後は数える必要もないものだから。
特に、それを数えてしまえば。
自分に残された日々を数えることになる彼女としては、嫌になるのも理解できた。
「……ねぇ、スイくん」
天井をただ見上げながら。
目線を合わせないまま。
雨音に掻き消されるかどうかの、囁き声。
「どうした?」
ざあざあと、雨粒の勢いが激しさを増し。
外の音も、内の音も。
殆ど寒さを遮ることも出来ない壁一つを境に、世界を区切っている気がした。
「もう少し、近くに行ってもいい?」
好きにしてくれ、と口にする。
既に日は暮れている。
外に出ることも出来ず、唯雨音の中にいる。
後出来ることと言えば、枯れ枝が尽きる前に眠ることくらい。
なら、好きにさせることにした。
それを望むとは、決して言えないまま。
分かった、と言葉が告げられた。
◆◆◆
『…………寒い』
何処かを漂うような浮遊感の中。
『……もっと、こっち来て』
『お腹空いた……』
隣で眠っている筈の少女の、けれどもっと幼い姿が視界に映った。
今、此処は何処なのか。
一瞬思考が混乱し、けれど映る景色からしてすぐさま理解する。
俺自身の、口にしたつもりもない言葉。
けれど漏れるそれは、嘗て自分自身で言ったはずのモノ。
記憶が曖昧な、けれどある一点は決して忘れない。
そんな過去の、忘れ得ない夢を見ているのだと自覚していた。
ずっとずっと昔。
疫病が蔓延るよりずっと昔。
俺の両親も、ミモザの母親も。
何方も元気で、笑顔を見せていた頃の記憶。
『ほらこれ、齧れば食べられるから』
季節外れの大雨が山に降り注いだ日。
いつもと同じように山で遊んでいた俺達はそれに呑まれ、木の洞で一晩を過ごすことになった。
手元にあったのは、山間で手に入れていた果実。
つい先日父に教わった、食べられるそれを何個か拾っていたから餓えも凌げて。
けれど、寒さだけは外套だけでは防ぎ切れなかった……そんな日。
『これ、ラウの実?』
『そうそう』
身体を寄せ合い、身を寄せて「外の世界」から身を守ること。
俺のような男の子に近付き、手を重ねるようなこと。
そうすることを、ミモザの母は好きではなかった。
だから確か、この時が初めてだった気がする。
母の言うことを真っ直ぐ受け止め続けた彼女は、その言葉に従い続け。
だからこそ、村の同年代から離れて一人ぼっちで。
同じように一人だった俺と、決して触れ合おうとしないまま遊び続けていた。
その約束を、初めて破った日だったように思う。
自分の分まで譲り渡して。
雨が止む気配も無く、互いの身体だけが温まる為の手段で。
その時に初めて、彼女の顔を近くで見たことだけは……はっきりと覚えている。
いつも薄ぼんやりとしていて。
真っ直ぐ見られなかった顔を、正しく見つめられた日。
「■■■■■■■■■■■■■」
多分、だからなのだろう。
その時の衝撃が強すぎて、記憶が飛んでしまっているのだと思う。
前後にした筈の話を思い出せず。
最後に、にっこりと浮かべた笑顔だけが焼き付いている。
お互いに、その日のことは口にはしないけれど。
忘れられない原点としての夢を、何故か見ながら。
頭上に浮かび上がるような錯覚を感じながら。
大事な何かが抜け落ちている違和感を感じながら。
「――――――――時間、か」
実感としての寒さを、肌に感じた。
世界を作り上げたという陽光神の慈悲。
月光神と二分することで、世界の均衡を保って下さっているその証。
暗闇を割くような光が板の隙間から差し込み。
いつもと同じように、顔に当たることで目を覚ました。
んん、と聞こえる寝惚け声。
顔を出す度に、殆ど毎度泊まっていくから既に慣れ。
けれど毎度のように朝になると直ぐ横にいる事にはどうしても慣れない。
手を伸ばせば多分触れられる相手。
多分、眠っている間に触れられた相手。
だからこそ、普段と同じように起こさずにそっと外へ出る。
雨音は既に止み、外に出るには不自由はしない。
こうした雨上がりの後でしか出来ないことも、今のうちにしておいたほうが良いことも。
何方も片手では数え切れない程度に思い付くから、寝かせたままで。
先ずは昨晩しなかった、出来なかったことでも済ませようと木桶を片手に扉を潜る。
朝露に濡れ、普段と同じように陽光を反射する木々。
俺が普段住まうボロ小屋としての敷地の片隅、僅かに湧き水が漏れ出る泉。
其処へと洗い物を持って行く途中で。
背中と耳と目、それぞれに奇妙な違和感があるような気がした。
(…………?)
昔習ったこと。
山道を歩きながら、父親が語っていたこと。
言葉にならない疑問や違和感は、自分が気付いていない何かが反応しているということ。
よく見て、よく聞いて、それから判断する。
始めはゆっくりでも良い。
けれど、それに慣れてくれば考える間もなく身体が動き始める。
そうして初めて覚えた、と呼ぶのだ、と。
だからこそ、ずっとそうしてきた。
失敗はあったけれど、幸いなことに大きな怪我もせず。
最も気をつけなければいけないのは、身動きが取れなくなること。
そして、命を即座に落とすようなナニカを判断すること。
故に、山中で獣と相対して生き残れてきたのだ。
故に、周囲を振り返る。
遠く、昔よりもずっとよく見えるようになった目を凝らす。
耳を尖らせ、物音一つでさえも聞き逃さないように意識を集中。
ミモザが眠るボロ小屋周辺を含め、何度も何度も往復するように目と耳を傾けた。
そして、気付いた違和感。
(……何の音もしない?)
それ自体が違和感だということに気付くのに、暫しの時間を要した。
少なくとも、雨が上がったばかりだとしても。
今までの暮らしの中では騒がしい程に虫の鳴き声や鳥の声が響いていた。
そして、村の側も同じく。
この時間であれば、どの家からも見えるはずの炊事の気配がまるでしない。
何方か片方だけならば、多分違和感を抱えたまま相談するに留めた。
けれど、其れ等二つが同時に発生していた。
背中に冷たいものが走るのを確かに理解して。
その場にモノを落とし、元来たほんの僅かの道を逆走する。
扉を捲り上げ、同時に叫ぶ。
「ミモザ!」
「ん、んん~……?」
近付き、肩を大きく揺する。
「寝惚けてる場合じゃない、ちょっと教えろ!」
「何~? 抱き締めたいんだったら夜に……」
嫌がるように手を払おうとするが、決して離すことはない。
「村で炊事を取りやめるとか何とか聞いてるか!?」
「え? …………聞いてない、けど?」
手に伝わる力は強くなる一方で。
嘘、だよね、と。
どこか自分に言い聞かせるように呟きながらも、彼女は振り払おうとするのを急に取り止めた。
そして、真剣な目で此方の眼を見返してくる。
「冗談にならない冗談、ってわけじゃないよ……ね?」
「当たり前だろ、お前も見てくれ」
俺の勘違い、考えすぎであれば良い。
そう、心の何処かで信じ続ける俺もいるのも確かで。
一人で無いことを、不思議と安心する要素として数えていた。
「……冗談であってくれたほうが、よっぽど良いんだが」
多分、それは彼女も同じこと。
吐き出すような言葉。
そして、僅かに身を震わせているようにも思えた。
震えているような、怯えているような……無意識の何かを、ずっと携えたまま。
お互いに、僅かな時間。
ただ、二人でお互いを見つめていた。
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