第2話 高潔な騎士





 リゼルはロザリアの命令で宴を中座し、大広間から控えの間にそっと移動する。


 扉を閉めた瞬間、ロザリアの侍女たちに突き飛ばされて壁にぶつかった。冷たい石壁の感触が背中に伝わり痛みが走るが、悲鳴は何とか口の中に留める。

 大げさに騒ごうものならば、更なる癇癪が降りかかってくるのは経験でわかっていた。


 部屋にはリゼルと、ロザリア。そしてロザリアの侍女たち。

 侍女たちに扉を塞がれるようにして立たれ、リゼルは逃げ場をなくす。


「何をしたの?」


 ロザリアの冷たい声と眼差しが、憎悪を奥に纏わせてリゼルに注がれる。香水の強い香りが鼻を突いた。


「ひどい格好。よくそんな姿で宴に出られたものだわ。よく、あんなみすぼらしい花を黒騎士に渡せたものね」


 怒りと侮蔑、そして呆れ。

 強い感情が太陽の光のようにじりじりとリゼルを焦がす。


「こんなみすぼらしい、何の後ろ盾もないネズミが、黒騎士に選ばれるはずがないでしょう。何をしたの?」


 ――それこそ自分が知りたい。

 どうして黒騎士アレスが自分を妻にと望んでくれたのか。

 どうして最初の望みを断られたのにもかかわらず、専属騎士になってくれたのか。


 何か理由があるに違いない。リゼルを何らかの形で役に立てようとしているのなら、聞いてみたい。そして言いたい。無駄だと。役立たずの皇女は、あなたに何の利益ももたらさないと。


 だがそれをいまここで口にしようものなら、ロザリアの苛烈な非難が待っているに違いない。

 リゼルは生まれてからいままでの経験で、それを正しく学習していた。


「どんな卑怯な手を使ったの? どんな弱みを握ったの? いますぐ白状なさい。そして黒騎士を罷免するのよ」


 リゼルは小さく首を振った。


「……できません。それこそ、彼の名に傷をつけることになります。任命されてすぐに罷免だなんて」

「なら死になさい。間違っても彼の不名誉になることのない方法で。そうね、不慮の事故がいいかしら。それとも誤って毒を飲んだことにしようかしら。――いいえ、病が良さそうね。あなたの母のような卑しい奴隷がかかる病が」

「ロザリアお姉様……」

「わたくしをそんな風に呼ぶなと言っているでしょう!」


 苛烈な叱責が降ってくる。


「も、申し訳ございません。第五皇女殿下……」

「……本当に目障り。どうしてこんなものがまだ生きているのかしら。周りに迷惑をかけてばかりの役立たずを、どうして陛下は生かしておくのかしら」

「…………」

「顔を上げなさい」


 ロザリアは蔑みを隠さぬ表情のまま扇をパタンとたたむ。


「消えない傷をつくってあげましょう。階段で勝手に転んだことにでもしておくのよ」


 扇が勢いよく振り上げられる。

 顔を打ち据えられる――と身を固くした瞬間、誰かがリゼルの前に立った。


 いつの間にか扉が開いていて、いつの間にかリゼルとロザリアの間に割って入り。

 殴打を左腕で受け止めていた。


「第五皇女殿下。姉妹喧嘩にしては穏やかではありませんね」


 アレスの冷静な声が静かに響く。


「アレス様――」


 ロザリアは驚きに震える瞳でアレスの姿を見つめていた。

 握りしめた扇をすぐに下ろし、それをわなわなと振るわせる。


 アレスはリゼルに背を向けたまま。


「ご安心を。リゼル皇女を傷つけるものは、すべて排除します。私は専属騎士ですので」


 朗らかな声で言う。


(排除……?)


 あまりにも強い言葉に胸がすくむ。

 彼は間違いなく貴公子だが、間違いなく最強の黒騎士であることを、そのとき強く実感させらえれた。


 ロザリアの顔は先ほどまでとは打って変わって、蒼白に染まっていた。

 まるでアレスの言葉に怯えたように。

 ロザリアはふんっと鼻を鳴らすと、強い眼差しでアレスを見つめた。


「わたくしはあなたのためを思って言っているのよ。その女は猛毒よ。触れてはあなたの身に障るわ。いますぐその花を捨てなさい」


 アレスが胸に挿している、リゼルが渡したみすぼらしい花を扇で差して言う。


「これは私の誉れ。たとえ陛下の命令でも捨てることはできません。それに、姫の毒で死ねるのなら、これ以上幸福な死に方はありませんよ」


 アレスは一瞬も迷わずに答えた。その声には確固たる決意が込められていた。

 そして、言葉を失うロザリアに背を向けて、リゼルの方を振り向く。


「おや、我が姫。どうも顔色が芳しくないようです。部屋に戻りましょう」


 アレスはそう言うと、両腕でリゼルを抱き上げた。

 リゼルは横抱きにされたまま、訳もわからず部屋を連れ出された。


 ロザリアの責めるような声が響いたが、何を言っているのかリゼルにはよくわからなかった。

 それよりも、アレスの顔がすぐ近くにあることに驚いて、うまく息すらできなくなった。





 アレスはリゼルの住む離宮に向けて、リゼルを抱えたまま歩いていく。


「あの、アレス様――」

「どうか、アレスと。私はあなたの騎士なのですから。敬語も不要ですよ、姫君」


 アレスは誇らしげに微笑んだ。その笑顔は優しく、リゼルの心を少しだけほぐしてくれた。


「アレス……ロザリアお姉様の言ったことは事実よ。私は毒なの。だから……触れない方がいいわ」

「俺は悪魔です」


 恐ろしい言葉にもだが、いきなり砕けた雰囲気になったことに驚く。声色も、畏まったものではなく自然なものになっていた。

 目を見張るリゼルに、アレスは楽しそうに微笑んできた。


「戦場では味方にそのように呼ばれています。魔族より恐ろしいと」

「……それは、あなたがそれだけ頼られているということでしょう?」


 敬意と畏怖を込めて、そう呼ばれているのだろう。

 蔑まれているだけの自分とは違う。


「では、あなたにも悪魔と呼ばれたいですね」


 冗談めかして笑う。

 その笑顔は太陽のように眩しくて、金色の髪と共に、光の祝福を受けているかのようだった。


 しかしリゼルは同時に心の奥底でひやりと冷たいものを感じた。


 何だろう、この違和感は。


 アレスは完璧で高潔な騎士のはずなのに。

 どうして瞳や言葉の奥に、どろどろとしたものを感じてしまうのだろう。


(ひどい被害妄想だわ……)


 リゼルは自分を恥じた。

 後ろめたいからそう思うのだ。


「どうして――どうして私の専属騎士になってくれたの?」


 リゼルには何もない。

 そんな自分に忠誠を捧げてくれる理由がわからない。


「それが、俺の唯一の願いだからです」


 アレスは当然のように言う。


 やはり彼は高潔な騎士なのだと思った。


 きっと、冷遇されているリゼルの姿を見て、救おうとしてくれているのだろう。

 いままでもそういう騎士はいた。

 それが騎士というものなのだと、微笑みながら教えてくれた騎士もいた。


 ――だが、いままでリゼルが花を渡した騎士はいない。

 花を渡す前に、いつの間にかいなくなってしまった。

 本人の意思か、周囲に何か言われたからかはわからない。いつの間にか離れてしまっていた。


 だからアレスはリゼルにとって初めての専属騎士だ。

 その忠誠が親切や同情によるものか、騎士道精神によるものか、はたまた何らかの形でリゼルを利用しようとしているだけかはまだわからない。


 だが、リゼルを抱える腕はあたたかく、少しだけ安心感を覚えた。


 このような安らかな気持ちを覚えるのは、随分久しぶりのことだった。





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