第3話

「おかえり」

 久々に出迎えてくれた母親は、少し小さくなったようにも感じられた。この家に帰ってくるのはたぶん昨年の夏以来だ。


「急に帰ってくるって連絡してくるんだから、家の中もこんななのよ。もっと早めに教えてくれたら少しは片付けるのに。まぁちょっとソファにでも座ってて」

 お母さんは私を少し責めるような口調でそんなことを言った。

 私は「片付けしてないのを私のせいにしないでよ」と軽く反論しようとして、久しぶりに会うのにそれは言い過ぎかと思ってやめてソファに腰を埋めた。


 両親はまだ現役でしっかり仕事をしている。忙しそうだけれど昔から仕事が好きな人達なので子どもが家からいなくなっても充実していそうではあった。


「あんた明日はお休みなの? 泊まっていくのよね? お父さんももうすぐ仕事から帰ってくるけど、せっかくだしどこか晩御飯でも食べに行きましょうか」

 いいことを思いついたというような顔で言うものだから、私は言いにくくなる前に「あー、仕事なんだけどさ。いったん辞めちゃった」と白状した。


「へ?」


 お母さんは目をぱちくりとさせた後、小さなため息を吐いた。

「あんたそういうことはね、もっとちゃんと相談しなさい」

 ややガチなトーンで言われて私は肩をすくめる。 

 しかしそりゃそうか、とちょっと申し訳なくも思った。


「で、今のアパートはどうするの? 引っ越しするの?」

 お母さんのその言葉には”この家に戻ってくるの?”という疑問も伺えた。

「とりあえず今の家のまま次の職は探そうと思ってる。引っ越しもお金かかるし」

 

「そう。別にこの家に戻ってきても構わないんだからね。あと、早いとこハローワークいきなさいよ。失業手当も手に入るんだから」

「なにそれ?」


 お母さんは私のことを驚きと呆れの入り混じった顔で見て「ほんと世の中のこと何にも知らないんだから。ネットで検索かけてみたら?」とアドバイスをくれた。


 お母さんの言う通り、検索するとすぐに失業手当の仕組みというページがヒットした。


 ソファに寝転んでスマートフォンで記事を読みながら「皆元気なのかな」と独り言を言うように口にした。

 私だって友達の1人や2人いないわけではない。お母さんがもし何か情報を知っているなら教えてくれるかもと思った。


「そういえば悟くん、元気してるわよ」

「悟……? って誰?」


「えー、忘れちゃったの? ほら、市村さんとこの」

 私は思ってもいなかった名前が出てきて焦ってしまい、手からスマートフォンが滑り落ちて鼻の頭にクリーンヒットして、痛みでソファから転がり落ちた。


「まぁ! ちょっと、なにやってんのあんた」

「痛ったぁ」


 幸い鼻血は出ていなかった。


「なんで急に市村くんの名前が出てくるの? そんな親しくもなかったじゃない」

 名前が挙がるとしてももっと他に仲の良かった女の子たちの名前が出てくると思っていた。


「あんた忘れたの? ほら、中学生の時に自由研究手伝ってもらってたじゃない。写真の現像の仕組みのことやってたでしょ? あの頃から私市村くんのお母さんと仲よかったのよ。年頃のあんたにはあまり言ってなかったけど」

「そうだったの? っていうか自由研究そんなことしたっけ?」

 お母さんはいよいよもって呆れた顔で「してたわよ」と断言した。


「その自由研究ってまだ残してある?」

 一抹の望みをかけて言ってみたけれど「そんなの残してあるわけないじゃない」とあっけなく打ち砕かれてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る