桜の木にナイフ
膳所柚香
第1話
里絵の残した日記を読んだ。
ーーーーーー
桜の木を見て不気味だと思いました。
前々から不穏な気はしていたのです。
街でいつか見たような桜並木を見るときに、職場でどこにでもある感じの、桜のある窓辺をみるときに。
今日、気味の悪さの正体を見た気がします。
それはこういうことでしたーーー。
こうして同じように桜の花を見るいつかの窓辺で、幼馴染の女の子に言われた言葉を、その桜の花を見る窓は思い出させました。
「理恵のお母さんが、理恵はきっとはやくに結婚するって言っていたよ」
私は、そうかもね、と言ったと思います。私はその幼馴染の女の子が好きだったけど、それは友達とは違う特別な好きだったけれど、同様に、親と同じように結婚するのだろうとも思っていました。
言葉は私を縛るもので、その後からクラスの男の子をなんとはなしに見るようになりました。
学生のころ、男性と絶えずとは言わないまでも、大体の期間は付き合っていました。そして結婚して、今です。
そう、今、私は愛人のもとに出かけた夫の不在をここで感じながら、私は女の子が好きだったことを、あの幼馴染の背後にあった桜の窓辺と共に思い出しました。
これは、思い出さない方が良かったことです。母も父も、兄も、祖父母も、私の遅い結婚にようやくかと安堵しているのに、それを脅かすから。
やはり、桜は不吉なもの。
ーーーーー
そこで日記は終わった。
私は彼女の遺品の片付けの手を止めて、一階に、日記に書かれたその桜の木が植わった庭に、ふらりと出てみた。
桜の木は立派で、そう、傷がついてるなんてことはないけれど、私はこの桜の木がナイフで削られていた光景を見たことがある。
一度ではなく、彼女の家に泊まりに来たときにしばしば、朝早くに。一心に桜の木にナイフを突き立ていた彼女が怖くて、声をかけたことはない…。
まだ彼女が病気で入院する前のこと、ずっと前のことだ。
彼女はこの桜の木を嫌いだったのかな。
傷をつけてはいたけれど、たまに、彼女は桜の枝をテーブルに飾っていた。ここに今、桜の木があることが示すように、業者に切り倒させるということもなく。
「不吉なもの」と言いながらも、この桜と共存できていた、ということなのではないかと思う。
桜の花が風に揺れている。
街のざわめきを縫って、どこからか学校のチャイムが聞こえてきた。
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