第61話 タイム!
既に試合は中盤である。グリー学園高校VS庚申学院高校の試合は0対0のまま進んでいた。そしてついに5回に均衡が破れた。
美悠紀のフォーシームが打たれた。5番のバッターがきれいに合わせてはじき返したのだ。2塁打になった。
「美悠紀、少し疲れたか?」
栞がマウンドに近づく。
「いえ、問題ない。コースが甘かったかな」
「まあいい。美悠紀が連打を食うことはないだろう」
栞はボールを美悠紀に手渡すと戻っていった。ただ美悠紀には気になることがあった。
ベンチには佐藤秘書が部長代理で入っている。その佐藤がベンチを抜け出して電話をしているのを美悠紀が見てしまった。
話してることが不穏だった。
そんな急に・・・どうして? 入院ですか? 検査? 連絡は・・・。等々の言葉が断片的に聞こえてきたのだ。佐藤が健太の叔母でなければ、そこまでの深読みはしないだろう。だけど・・・。
「私は健太さんを信じる。この試合に集中しよう」
美悠紀は自分に言い聞かせるとバッターに向かう。
だが、6番打者にチェンジアップを打たれてしまう。長打だ。
2塁ランナーは一気にホームを陥れ、再びランナー2塁のピンチである。
ここに来て1点先取されたのは痛い。もし2点目が入れば、勝利は庚申学院の側に大きく傾く。
「どうした? 私。集中が足りなかった。健太さんに会わせる顔がない。集中できるって言ったくせに」
美悠紀は考えていた。ところが2塁ベース上の様子がおかしかった。セカンドのみずえとショート花蓮がセカンドベースにいた。
ふたりの間にはベースの上で座り込む6番バッターがいた。
ファースト佳恵も近づいてくる。
「どうしたの?」
「ねえ、タイム取って手当てしてきたら」
花蓮がその子の前にしゃがみ込んで言った。まだ幼い感じだ。1年生か?
だが6番バッターは泣きながら首を振るばかりだった。
「だって、このまま続けるわけにはいかないでしょう」
と花蓮。
2塁塁審が近づいてくる。
「どうした? 試合を止めないで」
「分かったよ、分かったから、ちょっと向こう行っててよ」
みずえが塁審の前に立ち塞がる。佳恵は庚申学院ベンチを見るが誰も動きそうになかった。
それで佳恵は栞に声を上げた。
「栞さん、タイム取って。お願い!」
栞は訳も分からず立ち上がると主審にタイムを告げた。そしてセカンドへ小走りに向かう。一目見て栞は了解した。
6番バッターの股間から右の太股に掛けて赤いシミが広がっていた。それ程大きくはないが、決して小さくもないシミだ。
栞は6番バッターをいたわるように立ち上がらせると、前に出て敵陣ベンチへ歩き出した。その子の両脇を花蓮とみずえが固める。
観客は何事が起こったのか注視したが、どうにも事情は分からなかった。
ただ集団で試合中に敵陣ベンチへ乗り込むグリー学園高校の選手たちは異様に映った。
美悠紀はその様子を黙って眺めながら、
「いいチームになったなあ」
と独りごちた。清々しい気分だった。
庚申学院ベンチに一歩踏み込むと、栞は脇へ避けた。ベンチの選手たちが6番バッターを見る。
「詩織!」
1人の少女が大慌てでバスタオルを取ってきた。
「じゃあ、よろしく。うちのタイムなんで、後はそっちタイム取って」
最後に栞は少女に言った。
「気にすんな、詩織。私と同じ名前だ」
ところがベンチ奥にどっかと腰を下ろしていた大監督が急に立ち上がった。そして、
「敵の選手が無礼じゃないか。お前らに何の権限がある。抗議するぞ」
と言い放った。
「はあ?! 自分の所の選手蔑ろにしてほざくな! あたしゃあグリー学園の監督だよ! プレイングマネージャーだ」
栞が啖呵を切る。すかさず花蓮とみずえが声を揃えた。
「親分! じゃない、監督」
庚申学院監督のオヤジは目を剥いたが、それ以上は何も言わなかった。
グリー学園の3人はケラケラ笑いながら持ち場に戻っていく。
結局6番バッターには代走が出てきた。
「あの子お役御免なのか」
「うちにはラッキーじゃない? あの子バッティングセンス良かったと思うよ」
花蓮とみずえは定位置に着いた。
栞は美悠紀の元へ行く。
「試してみようと思う」
栞が説明する前に美悠紀が言った。
「試すって? ああ! あれ? 行けそうなの?」
「ここで試さないと、もう使えないよ」
「よし、ちょうど右バッターが来るし。やろう」
7番バッターには代打が告げられていた。
栞が戻っていく。美悠紀はグラブの中で硬球を握った。
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