黄昏のボールパーク

第8話 活きたボール

「三井先輩、硬球打てますか？　硬いですよお」

　キャッチャーミットを構えた栞がバッターボックスに入る三井奈央に声を掛けた。

「だから、硬球のあるバッティングセンターで打ってきたから」

　三井は落ち着いて言葉を返した。三井はアベレージバッターだ。球筋を読むのも得意だろう。選球眼というやつだ。マシンの投げる球で硬式の感触も確かめてきたのだろう。

　だが・・・。

　構える三井に美悠紀が第一球を投げる。さっきまでやっていた通りだ。既に身体も充分温まっていた。

　美悠紀の指先を離れたボールは呻りを上げてバッターに襲いかかった。

「うわっ！」

　三井が尻餅をつきかけながらボールを避ける。美悠紀の第１球はいわゆるインハイへ飛んで行った。顔を掠（かす）めるようなボールだ。

「ドンマイ！　ドンマイ！　肩に力が入ってるよ。ここ、ここ！」

　栞はマウンドの美悠紀に大きな声を掛ける。１歩２歩前に出ながらボールを投げた。

「やっぱり１２センチ下がってる。次はここだ」

　栞は三井の足の位置を確認しながらアウトローにミットを構える。慣れない硬球が顔を掠める恐怖は相当なものだ。

　実際三井はボールを怖がって後ろに下がった。意識して下がったのか、無意識のうちに下がったか。

　多分後者だろうと栞は思う。打率４割を誇る三井にインハイで仰け反らせてアウトコースでカウントを稼ぐ作戦が果たして通用するのか。栞は疑問に思っていた。

「この程度でビビる三井先輩じゃないと思うが・・・。それでも美悠紀の球威にたじろいでいる」

栞は考えていた。

　だが、この１球でビビっていたのはむしろ美悠紀の方だった。

　美悠紀の投球は偶然の産物だった。バッターがすぐ隣に立つと、キャッチャーミットが酷く小さく見える。それで手元が狂った。いや、身体全体が萎縮したのだ。

　ボールは危うく三井の顔面を掠めるところだった。怖い。硬球を先輩の顔面に当ててしまったらどうしよう。美悠紀は身体を硬くする。

　そのまま投球フォームに入る美悠紀。腕の振りも身体の切れも今までの美悠紀ではなかった。

「まずい、あれじゃライト方向へ流し打たれる」

　栞が感じた通りに三井のバットはアウトコースやや外れ気味のボールに届いていた。

　キンッ！

　鋭い金属音とともにボールは１塁ベース方向へ飛んだ。１・２塁間を守っていた飯田花蓮が反応良くボールに飛び付く。

「取るな！　ファールだ！」

　栞が叫んだ。三井の打球はベース手前で一回バウンドして切れていく。硬球の重さか。三井は打ち負けていた。

　飛び付いた花蓮はボールにグラブを伸ばしたが、すぐに手を引いた。既にボールはファウルグランドに出ていた。

　ファール。

「ナイス、花蓮！」

　栞が１塁へ声を掛ける。そしてゆっくりとマウンドへ向かった。

「タイム！」

「美悠紀、落ち着いて。三井先輩も神谷先輩も優秀な選手なんだ。間違ってもぶつかりゃしないから」

「でも・・・」

　美悠紀の顔は蒼ざめている。

「三井先輩は大会アベレージが４割超えてるんだ。目もいいし、反応も速い。じゃないと４割なんて打てない」

　栞は続けた。

「ぶつけるつもりで投げろなんて言わないよ。そりゃフェアじゃない。でも、今日投げて分かったでしょ？　さっきまでやってた投げ方してればキャッチャーミットに収まるんだって」

　それだけ言うと栞は花蓮を指差した。

「花蓮の反射神経凄いね。それに冷静だわ。私の言ったこと聞こえてたんだよ。だから即座に手を引いた。あの子凄い」

　美悠紀も花蓮を見る。花蓮は再び２塁方向へ守備位置を取った。あれならセカンドへも飛びつける。

「いいチームになるねえ」

　最後にそう言うと栞はホームベースに戻って行った。

「三井先輩、すいません。再開します」

　三井奈央は静かに微笑んだ。

　美悠紀は花蓮をもう一度振り返った。グラブに拳をポンポンと当ててアピールしている。

美悠紀もにっこり顔を綻ばせる。

　と同時に大きく腕を引いた。胸を張る。１歩足を踏み出すと、大上段から腕を振り抜いた。

　あっという間に、いや、あっという間もなく、硬球は栞の構えたミットに収まっていた。

　ズバン！

　三井は身動きできなかった。真ん中へ来ることは分かっていたのに。バッティングセンターで打った１３０キロとは比較にならなかった。

「あれは所詮死んだボールだからな。このボールは活きている。命が吹き込まれている」

「これで、２ストライク１ボールです」

　栞が三井に言った。