青春が枯れる前に

高瀬拓実

第1話 神野さんって誰なん

「神野さん亡くなったらしいで」

「そうなんや」てか神野さんて誰や。

 28歳の夏はこれまでと違ってゆっくりしていた。というのも俺は現在無職だからだ。今年の春に5年勤めた会社を辞めた。理由は後述する。

「なんやお前しょうもない反応やな」

「いやだってしょうもないもなにも俺神野さんとか知らんし」

「は?」

「は? からかってんの?」と薄笑いしながら聞いてみた。いやほんまに知らんねん。

「神野さんやんけ。俺らの代のマドンナ。神野綾子」

 名前言ったら思い出すやろ、みたいな言い方で田口は言った。

「いやぁー分らんわ……ほんま誰なん?」

「ええー、まじかぁ」と田口のリアクションはガチっぽい。とてもからかいや嘘で出てくるような反応ではなかった。ていうかそもそも田口はあんまり人をからかうようなことはしない。高校の時からそうだ。

「あーでもそっか、お前高校ン時何組やっけ?」

「1ねンときは――」と俺は3年間のクラスを答え始めた。

 1年2組、2年3組、3年8組。

「あーなるほどなぁ」と田口の深いうなずき。「まあそれやったらわからんかあ」

「おん。で誰なん神野さん」

「いやクラス離れとったらあんま分らんやろからこの話あんま刺さらんと思うねんけどな」と急に田口は白けたように話し始めた。なんやねんこいつ。

「神野さんってほんまかわいくてな、1年と2年が9組で3年の時1組やってんか。まあ俺らんとこの高校って各学年がそれぞれの階にずらー並んでるやんか? やから1組と9組って廊下の端っこやん? やから立地的には全然目立たへんねんけど、神野さんまじでかわいいから他のクラスの奴からも人気やってん。でもお前昔からそういうのあんま興味ないよな」

「なるほどなぁ」

 要は学年のマドンナ神野さんは3年間地味なクラスで過ごしていたけれどマドンナがゆえにそれなりに人気だったと。

 まあ確かに俺は陰キャで初対面の女子に気楽に声をかけられるほど勇気もないから田口の言い分も一理あるが、なんかだるいな。

「でその神野さんが亡くなってしまったんや?」

「せやねん」田口の声音がやや高くなった。「しかも結構最近らしいねん。ちょうど一か月前、六月下旬に同窓会あったやろ? その数日後に自殺したらしいねん」

『自殺』というワードのところは鳥貴という居酒屋にかなり異質なため、田口はそこだけ音量を落とした。

「は?」神野さんの顔も声も何一つとして思い出せない俺ではあるが、さすがに驚いた。「自殺したん? なんで?」

「いやぁそれがわからへんのよ」

 わざわざこんな話題を隠し玉みたいに持っていたくせに、話の核心を知っているわけではないようだ。俺もやや拍子抜けする。

「あんなかわいい顔やろ? いつも女子とつるんで楽しそうにしてたし。まあマドンナやからなぁ。俺の知り合いも何人か告った言うてたけどことごとくフラれたらしいし」

「ほぉん」

「いやちゃんとした子やからそういうはないと思うねんけどな、ほんま選びたい放題やったはずなんよ。バスケ部主将の春日井とかやすことかな」

「あーやすこ懐かし」話そっちのけで突然出てきたやすこという名前に反応してしまった。安田浩一、通称やすこ。別にそこまで仲良くなかったけど一年の時クラスが一緒でたまにモン狩りで遊んだことがある。確かにあいつは普通にかっこよかった。軽音部やし。

「そうそう。あいつも顔はかっこええやんか、同窓会けえへんかったけど。やからな、学年でトップに入るくらいかっこいい奴誰でも選べたはずやねんけど、さすがやっぱりマドンナやな、そういう男絡みのあれこれも全く聞かへんかったわ」

「そうかあ」

 んー、と言いながら田口は空のジョッキを回して氷をからから言わせた。

「やからほんまに謎やねんな。まあ高校ではあんな感じやったからそこに原因はなさそうなんよ。って考えたら大学か就職辺りでなんかあったことになるんやろうけどな」

「まあそうやな。その神野さんの近況知ってる友達とかおらんの?」

「あーそれがおらんらしいねん」

「じゃあどっから死んだって話出てきたん」

「いや出処はわからへんねん」

「なんやねんそれ」と俺は吹き出してしまった。

「学年を代表する人やったんやろ神野さん。そんな人が死んだってなったら情報の出処くらいわかるもんやろ」

「って言われてもなあ。俺も人づてに聞いただけやし」と田口は口を尖らせる。

「謎やな」と俺が言うと、

「んー、謎やなぁ」大きく息を吐きだしてから田口も言った。「まあいろいろあったんやろなぁ。リア充にはリア充の悩みがあったんかもしれへんな」

 リア充とは程遠い人生を歩んできた俺には一切わからない悩みだ。いわばその青春的懊悩によって彼女が自らの人生を畳んだのかは不明だが。

「リア充の悩みなぁ……」

 と俺のつぶやきを最後に俺と田口の間に沈黙が下りた。周囲の喧騒が強調される。食器のぶつかる音、肉の焼ける音、野太い声、きんきんする声。華金の夜は本当に騒がしい。

「今何時?」

 俺が手持ち無沙汰に携帯をいじっていると田口が聞いてきた。

「9時半」

「はあ、もうそんな時間か」

「出る?」

「そうやなあ、明日嫁の買いもん付き合わなあかんし」

 田口は新婚である。マッチングアプリ婚をしたらしい。

「おけ」

 俺たちはある程度食器類をまとめて席を立った。お前は無職やから俺が6出すわ、と変に気を利かせた田口に感謝して4出した。貯金も退職金もあるからそんな気遣いは必要ないと思ったが、ここはお言葉に甘えておくことにする。

 外に出ると真夏の夜の熱気が押し寄せてきた。今夜の空気はやけに粘っこい気がする。

「うわ外暑すぎやろ」「いやほんまそれな」

 二人して顔をしかめながら駅に向かう。日本の夏はいくら薄着をしたところで暑すぎる。ましてや夜の空気は早朝のそれと違ってやけに粘ついている。早く家に帰ってシャワーを浴びたい。

「で、お前これからどうすんの?」携帯と俺の顔を交互に見ながら田口が訊いてきた。

「あー、んーせやなぁ。まあ転職やろな」

「そか。なんか痩せた気がするからちゃんと食えよ」

「おーん」と腑抜けた調子で返した。転職なぁ……。

 駅までの道はすぐだった。大した話題がつながることもなかった。

「久々に話せてよかったわ。つっても同窓会ぶりやけどな」と田口は笑って言った。

「おう。奥さんと仲良くな」

「あいよ。今度はこんちゃんとか一生いっせい呼んでみんなで飲もや」

「せやな。また連絡するわ」

「うい、じゃあお疲れさん!」

「あいお疲れさんー」

 社会人の俺たちはそうそうたやすく次の約束が決まるわけではない。それは新卒の頃からよく知っている。ましてや俺たちはもう28歳なのだ。年を取るにつれて旧友との交流も少なくなっていく。

 次に会えるのは何年後になるだろうか、とぼんやり考えながら改札を通った。

 運悪く電車の出る2分前だった。車内は飲み会帰りなのか仕事終わりなのか会社員の数が多かった。座る場所はなかったのでドア付近のスペースに立つことにした。

 ドアが閉まるアナウンスの直前に女子大生らしき人が駆け込んでいて、間もなくドアが閉まった。電車が動き出した。


 電車が動くなり、俺はポケットから携帯を取り出してSIGNアプリを立ち上げた。これはいわば現代のアドレス帳みたいなものだ。絶望的に機械に疎くなければお年寄りからがきんちょまで。別にSIGNアプリだけが原因ではないが、携帯の過剰摂取でストレートネックになったり腱鞘炎になったりという現代病も問題視されている。世の中は加速度的に進歩しているなと感じる一方で、その情報の波に気圧されることもある。

 さて、緑色の吹き出しにSの文字だけが表示された画面が数秒表示されたあと、アプリが立ち上がった。ホーム画面のグループ一覧から、「豊山高校34th」を選択し表示する。


 グループ名の上部に豊山高校OBが創作した「とよっぴー」という訳のわからん公式マスコットキャラがアイコンとして鎮座している。グループ名の下には参加人数と、自分を含めたいくつかのアイコンが小さく表示されている。その部分をタップする。

 すると、グループの参加者が一覧で表示される。俺は何となくそれをゆっくり見ていくことにした。

 リストは五十音順になっているが、名前の下には一言メッセージの欄があり、よくよく見るとそこに旧姓を記しているやつが何人かいた。結婚を機に五十音を繰り上げていることがあった。

 形容のしがたい感覚を覚えながらもそいつのプロフに飛んでみると、結婚相手と思しき人物の手と本人の手が握られており、その構図は薬指のシルバーリングを強調するものだった。無意識のうちにしかめ面になりながらも、性懲りもなくアイコンを拡大表示させる。結婚式の一場面を切り取ったであろう写真だった。正直旧姓を見てもピンと来なかったので3年間一度も関わることがなかった同級生なのだろう。純白のウェディングドレスを身にまとい幸せそうな表情をする彼女を見ても、まったく誰だかわからなかった。

 他にもすでに子どもがいるやつは、我が子をアイコンにしていることもあった。子どもの年齢もまちまちだった。幼稚園児くらいの子もいれば、生まれて間もないくらいの子もいる。今よりさらに数年経てば、小学生になる子も増えてくるし、子ども自体の母数も増えるのだろう。

 はたまた、多少なりとも高校3年間で接点のあったやつに関しても驚くべきことがあった。

 たとえば1年の時に同じクラスだった前下智也という人物は、俺より背が低く目つきも悪いやつだったのだが、どういう環境に身を置いたのか、アイコンの彼は絶妙に二重になり前髪もセンター分けにしており、どこぞの韓流アイドル然とした風体に変わり果てていた。

 2年時のクラスメイトである須賀航大に関しては、俺と同じく陰のオーラ全開だったくせにアイコンにはものすごく可愛らしい女の子と仲睦まじく顔を寄せ合った写真を使用していた。

 すごくまぶしかった。みんなそれぞれの人生を歩んでいる。俺は卑屈なので、羨ましいを通り越して妬ましくすら思えた。ちなみに俺のアイコンは青空だ。大層な意味はない。ただ、ここではないどこかへ行きたい。解放されたい。そんなしょうもない意味の青空。

 と、そんな醜い感情を募らせていると電車がやや大きめに揺れた。その拍子にいつの間にか隣に立っていた男性にぶつけられ、謝罪する彼を一切無視して我に返った。

 そうだ、俺がSIGNを開いたのはこんな惨めな気持ちになるためなんかじゃなかった。幸せそうなやつらは放っておけばいい。どこぞの幸せ者のアイコンを捨て去るようにして閉じ、目当ての人物を探す。

 神野綾子神野綾子……。

 か行なのですぐにたどり着く。あった。彼女は名前を英語表記にするタイプだった。「Ayako Kanno」

 一言メッセージには何もない。彼女のページに飛ぶ。なんとも殺風景な場所だった。彼女は廃墟が好きだったのか、背景にはさびれた写真が使用されていた。その一方で彼女のアイコンは等身大の女性らしく明るくきれいな花畑の写真だった。

 廃墟と花。いかにもな対比ではあるが、俺みたいな人種には到底理解できそうもなかった。

 背景とアイコンの記号以上の意味を汲み取ることを早々に放棄して、何となく彼女のページをぼんやりと眺めてみる。

 もちろん友達登録しているわけもなく、ページの下部には左から「追加」「ブロック」「通報」の三つが、それぞれ適切なアイコンとともに並んでいる。さらにその下には当アプリを悪用した詐欺に対する警告文が挟まれている。

 酔いと夏の熱気にあてられたのか、特に何も考えずに追加ボタンを押そうとして、やっぱりやめた。高校の3年間、一度たりとて接点のなかった人物だ。

 急に今日、田口から彼女が死んだことを告げられたばかりで、それを機に彼女に対して何かしらのアクションを起こそうとするというのは、何というか、亡くなった人に対して失礼な気がした。俺はそのままSIGNを落とした。

 結局俺は同級生の華々しい20代後半の人生を覗き見るだけ見て、今の自分がどれだけ満たされていないかを突き付けられただけだった。

 家に着くと速攻でシャワーを浴びた。夏場は温水だと暑いので、大体は冷水にしている。家は仕事をしていた時に借りていたものを今も利用している。

 辞めてしまった今、給料が入ってこないので次の仕事までバイトで食いつなぐなどしなければ貯金がぐんぐん減っていく。それが精神的負荷になるのであれば、実家に戻るしかない。とはいっても、実家は隣の市にあるのでふらっと簡単に戻れるといえば戻れるのだが、俺にはその気がない。

 なぜなら俺は――


 さっさとシャワーを済ませた俺はデスクトップPCの電源を入れる。立ち上がるまでの数秒の間に、冷蔵庫に冷やしてあったチューハイを取り出してくる。

 イヤフォンを装着してモニターにパスワードを打ち込む。デスクトップが開き、立ち上がりの処理をやや待ってから「OPSStudio」というソフトを立ち上げる。と同時に「UTube」という動画配信プラットフォームを開き、そこの配信画面を準備する。

 タイトルに「二〇二二年七月二九日」とだけ書き込んでOPSに戻る。マイクや画面のチェックをしてから、「配信開始」ボタンを押した。最初は読み込みなどですぐには始まらない。UTubeの配信ページが配信画面に切り替わったことを確認して俺は据え置きマイクに向かって話し始めた。

「どうも、二〇二二年七月二九日の俺です」


 俺は配信者だ。

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