第31話 ニート、早起きする

 牧場主の朝は早い。

 牛の搾乳は朝四時から五時頃にかけて行う。そのため、諸々の準備も含めると、四時前には起きなくてはいけないのだ。


「ネイトさん、朝ですよ」

「……うーん、あと八時間……」

「なんでいきなり一日分の睡眠を取ろうとしているんですか。朝早くに起こしてくれって言ったのはネイトさんですよ」

「そうは言ってもなぁ……うわっ、まだ三時じゃん」


 時計を見れば時刻は三時。朝どころか深夜くらいの感覚である。鶏だってまだ鳴いていない。


「メグミさんから聞きましたが、毎日このくらいの時間に起きるらしいですよ」

「あの人基準にすんなよ」


 俺はメグミさんの仕事ぶりがみたいから早起きしたかっただけで、メグミさんが仕事を始める時間に起きたかったわけではないのだ。


「大丈夫です、ネイトさんの嫌いな朝日はまだ出てません! つまり今は実質夜です!」

「まあ、そう思えば起きれなくもないか」

「いや、自分で言っておいてなんですけれど、どれだけ朝日嫌いなんですか……」


 呆れたように呟くエリシャを連れだって俺は牧場の方へと向かった。


「おはようございます」


 牧場の牛舎の方に到着すると、オーバーオールに長靴という牧場スタイルのメグミさんが牛舎の掃除をしていた。


「メグミさん、おはようございます」

「ああ、ネイト君、それにエリシャちゃんもおはようございます」


 メグミさんはいったん作業の手を止めると、俺達の方を向いて笑顔を浮かべた。


「昨日はよく眠れましたか?」

「ええ、それはもうぐっすりと」


 前の環境がよっぽど酷かったのか、はたまた今の環境がとても良いのか。メグミさんの表情を見る限り、まだ不満は出ていないようだ。

 教会の責任者はエリシャだし、文句の出るような状況になる方がおかしいか。


「おはようなのナー」

「……うす」


 そこに、両肩に大きな麻袋を担いだコナーとカイジがやってきた。

 二人は麻袋を牛舎の入り口付近に置くと、俺の顔を確認して目を見開いた。


「「ネイトがこの時間に起きてる!?」」

「お前らなぁ……」


 その反応は正しいが、正直過ぎるのも少し傷つく。俺だって起きたくてこんな時間に起きたわけではないというのに。


「でも、なんでお前らがここに?」


 この時間、普段ならカイジは工房の掃除、コナーは農作業に勤しんでいる時間だ。

 そういえば、俺以外みんな普通に四時前に起きているんだが、よく平気だな。俺は眠くて仕方がないというのに。


「ちょうど飼料を運ぼうと思ってたところにカイジが通りがかったのナー」

「俺は乳絞り器や牧場設備の点検ためにこっちに来ようと思ってな。コナーの荷物があまりに重そうだったから手伝うことにした」


 確かにカイジの言う通り、コナーが背負っていた牛用の飼料が詰まった袋は重そうだ。


「どれどれ……なんだよ、案外大したことないじゃないか」


 試しにコナーが持っていた袋を持ってみると、見た目に反して全然重くはなかった。これなら、いつも背負っている鉱石袋の方が重いくらいだ。


「えっ、そうなんですか? じゃあ私も゛!?」


 俺の反応を見て、エリシャは興味津々で袋を持ち上げようとしたが、袋はビクともせず、彼女は袋を持ち上げようとしたままの体勢で固まってしまった。どうやら腰をやったらしい。


「だ、騙しましたね、ネイトさん! 凄く重いじゃないですか!」


 地面に手を突いて顔だけをこちらに向け、エリシャが文句を言ってくる。何? 俺が悪いのか、これ。


「いや、外出嫌いで二十年以上ぐうたらしてばかりの俺が持てるんだぞ。重いわけないだろ」


 ニートたるこの俺がそんな筋力を身につけているわけがない。前なんて郵便物の受け取りすら怪しかったというのに。


「いやそれ、単にネイトの筋力が上がっただけなんじゃないか?」

「そりゃ毎日ツルハシ振って、パンパンに鉱石が詰まった麻袋を背負っていれば力も付くのナー」


 そういえば、女神の加護のおかげで疲れもなければ、筋肉痛も感じないんだったな。


「だから最近、服がキツく感じるのか」


 俺はぶかぶかの服を好んで着ていたのだが、最近ではぶかぶかどころか、かなりキツく感じていた。てっきりぐうたらしすぎて太ったのかと思っていたが、筋肉が付いたことが原因だったようだ。


「大丈夫ですか、エリシャちゃん」

「お、おぉぅうぅぅ……」


 一方、腰をやってしまったエリシャは唸るような声を上げながら脂汗を浮かべている。


「ぎっくり腰……というほどではないようですわね。ほら、立てますか?」

「あ、あれ……何だか腰が軽く……」


 メグミさんはエリシャの腰に手を当てて様子を見ると、大丈夫だと判断したようだ。

 エリシャの方は不思議そうな表情を浮かべて腰に何度も手を当てていた。


「さて、エリシャちゃんの調子も戻ったことですし、動物達のお世話をするとしましょう」

「こっちの袋が牧草から作った餌、こっちがトウモロコシから作った餌なのナー」


 よく見てみれば麻袋は染色されており、牧草の方は緑色、トウモロコシの方は茶色の麻袋に詰まっていた。


「牛の餌って牧草だけじゃないんですか」


 エリシャは不思議そうに二種類の飼料を見比べている。

 俺も日本で牧場のシュミレーションゲームをやっていた頃は彼女とまったく同じ認識だったが、実際は違った。


「牛にとっての牧草や飼い葉は言ってみれば人間にとっての米、つまり主食だな」


 これらの餌は粗飼料と言って、牛の消化器機能を安定させるため繊維質を大量に含んでいる。人間でも腸の調子を整えるために食物繊維をとれとか言っているし、案外牛の食べ物もそうやって考えれば人間に近いものがあるのかもしれない。


「俺達だって、主食だけじゃ味気ない。牛も同じで濃厚飼料っていうトウモロコシや大豆が原料の餌も食べるんだ。人間の食べ物で例えると肉とかそこら辺だな」


 濃厚飼料は牛の体作りがメインだ。体が大きくなれば、病気にもかかりにくくなるというメリットもある。


「あとはミネラルとかそういう添加物でカルシウム不足とかを補うんだっけか」

「ネイトさん、凄いです! いつの間に牛に詳しくなったんですか」

「こんなの本に書いてあること覚えただけだ。牛の餌で難しいのはバランスだ。そうですよねメグミさん」


 詳しい説明は俺も出来ないため、メグミさんにバトンタッチする。


「ええ、例えば乳牛は濃厚飼料をたくさん食べれば収穫できる乳量は増えますが、乳質は落ちます。逆に粗飼料を増やせば乳質が良くなります」

「俺にはそのバランスをどうすればいいかなんててんでわからないからな」

「……直接関わらないにしても、それだけの知識があれば十分だろう」

「ええ、それだけ勉強してくださっていれば、他の牧場主との取引もうまくいきますわ」


 カイジとメグミさんはそう言ってくれるが、本で仕入れただけの知識などたかが知れている。牧場主として把握しなければいけない事は多い。

 それにここから始まるであろう専門的な会話にはついていけなさそうだ。


 メグミさんは慣れた手つきで搾乳作業の準備を進める。

 それに対してカイジは道具を使っているメグミさんの意見を聞きつつ改善点をメモに残している。正直、話の内容が高度過ぎて何を言っているかまるでわからない。

 コナーはコナーで動物達の様子を見ながら飼料の調合に問題がないか確認している。

 やっぱり専門家には敵わない。


「ネイトさん、どうしたんですか?」

「この調子なら大丈夫だろ。俺は野菜とか出荷したら鉱山に行く」


 俺がこの場にいても出来ることは何もない。この三人が協力していれば、きっと牧場も安泰だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る