第1話 大量のガラス片の謎

 その夜――、男は苛立っていた。

 少し前から、謎の人物に脅迫されていたからだ。

 男には、脅迫されるだけの罪があった。

 これまで築いてきた名声や地位を、一瞬で失う罪を。

 脅迫者は、音声データーを持っているという。

 そんなものがあるわけがないと突っぱねたが、電話越しに聞こえてくる己の声に、彼は戦慄を覚えた。

 隠さねばならぬ――、男はそう思った。

 

「いくらだ……? いくら欲しい……」

 この夜も、脅迫者から連絡がきた。

『金なんていりませんよ。私が欲しいのは、別のものです』

 脅迫者は電話の向こうで、楽しそうに嘲笑っている。

「なんだと……」

『わたしの目的は、復讐です』

 どういう意味かと聞く前に、男は背後から殴打された。

 一瞬見た顔は、彼がよく知る男だった。

 ただ、なぜ彼なのか――。

 記憶が薄れゆく中、彼が最期に目にしたのは、“乙女の”と書かれた小さなメモだった。

 

                 ◆


 人の世はいつの時代も変わりなく、様々な感情が渦巻く。

 特に、犯罪と言われるものには――。

 実際に高齢者を狙った特殊詐欺、不正アクセスなどのインターネット犯罪、ストーカーや半グレによる被害など、犯罪やトラブルの多様化、複雑化が進んでいる。

 さらに殺人事件も、一向に減少しない。

 

 神奈川県警捜査第一課・特殊捜査班――、特殊捜査と名がつくものの、捜査一課同様に、殺人、強盗、暴行、傷害、誘拐、立てこもり、性犯罪、放火などの凶悪犯罪を担当するが、本家の捜査一課ほど多忙というわけではない。

 事件が起これば真っ先に臨場するのは、捜査一課の捜査員である。

 なら特殊捜査班が本格的に稼働するのはいつか――、それは大概たいがい、人手が足らない場合の要請員か、他の部署への応援、それもない時は資料の整理などである。

 

 捜査員は班長の神崎健かんざきたけるを筆頭に、警部補の矢田喜一やたきいち、同じく警部補の明石倫也あかいしともや、巡査部長の築地圭介つきじけいすけ、そして科研から特別採用された特殊捜査官・天城宿禰あまぎすくねの五名である。

 天城以外は上から睨まれたか、些細なミスにより他部署から移ってきた面々で、神奈川県警内では特殊捜査班に異動することを、島流しと言っているという。

 要は解雇するまでには至らないがこれまでの実績も考えて、とりあえず置いておこうという上層部の思惑で出来た部署らしい。


「一課の連中、例の事件が相当難航しているようですねぇ」

 特殊捜査班では最年少――、巡査部長・築地圭介が、視線を一課の方向へ向けながら苦笑した。

 例の事件とは、半月前に管轄内で起きた窃盗事件である。

 犯人は覆面をした複数人で、被害額は億単位だという。

 特殊捜査班は捜査一課の部屋から三つ部屋を経て位置しているが、この窃盗事件の所為で一課は朝から人の出入りが激しいらしい。

 

「築地、他所よそを覗いている暇があったら経理課へ行け。人手を欲しがっていたぞ」

 矢田喜一が紙コップに珈琲を注いで、自席に戻ってくる。 

「嫌ですよ。俺、計算が大の苦手なんで」

「お前、文句ばかり言ってると、今度こそコレだぞ?」

 矢田の正面に座る明石倫也が、片手で首を切る動作をする。

 解雇決定だと、明石はいうのである。

 

 このとき特殊捜査班も、暇ではなかった。

 この三日前――、管轄内の山手町で殺人事件が発生した。

 一課は多忙なため特殊捜査班の担当となり、面々は事件解決に燃えていたのだが。

「なにをしているんです? 天城さん」

 築地が、珈琲を片手にやって来る。

 天城宿禰は、パソコン画面を睨んでいた。

 天城だけが、科研こと科学捜査研究所からの異動だが、その能力は県警本部長・さるわたりおおすけのお墨付きとあって、ここでは誰もが彼に一目置いている。

 一課が携わった殺人事件の幾つかは、天城の能力によって解決したという。

 

「ジグソーパズルさ」

 パソコン画面には、床に飛散している大量のガラス片が映し出されている。

 三日前に起きた殺人事件の、現場画像データーである。

 天城が特殊捜査官たる所以――、それは物証や遺留品から事件に関わった、人間の残留思念を読み、事件解決へ導くというものだ。

 科研でも特殊な人間だったが、彼が導き出した答えは後に明らかにされる証拠と寸分違わず、その的中率は100%だ。

 ただあくまで参考にされるだけで、通常の捜査はきちんと行われる。

 

「まさか、復元しようっていうんじゃないでしょうね? こいつを」

 築地が半分驚いた顔で、聞いてくる。

 天城は苦笑して答える。

「これだけ細かく粉砕されていては、不可能だな」

 時間があれば本当に組み立ててみたかったが、ガラス片はどれも大きさが直径五センチあるかないで、本物のジグソーパズルより、難易度が高い。

 天城は事件関係者の捜査を他の面々に任せ、このガラス片について調べていた。

 事件の手がかりが必ずある――、そう直感したからである。


                ◆


 八月十四日――、神奈川県横浜市。

 企業などがお盆休みに入るこの日――、神奈川県警本部に事件の一報が入った。

 山下町の高級住宅街で、男の遺体が発見されたというのである。

 これが大量のガラス片が残る、奇妙な殺人事件の始まりである。

「どうして俺まで駆り出されるんですか?」

 現場に向かう車の中で、天城は不貞腐れていた。

 捜査一課内に所属はしているが、天城は正規の警察官ではない。

 鑑識課と元職場・科研を行き来することはあれど、ほとんどデスクワークが中心の天城である。

 遺体を見たくないというわけではないが、警察官ではない天城が現場でウロウロしていると、なにかとうるさい連中に出くわすのだ。

 たとえば管理官など、出世コースに乗っている上の人間である。

 科研から特別採用されて捜一そういち(捜査一課)に配属された特殊捜査官――、しかも本部長直々の雇用とあって、その視線の痛いことこの上ない。

 ゆえに天城は、現場への臨場は控えていた。

 

「お前さんも、特殊係の捜査員だろうが」

 天城を引っ張り出した特殊捜査係長・神崎健は、そういった。

「俺の担当は人間ではありませんが?」

 半眼で訴える天城だが、車はもう現場近くに来ていた。

なまのブツを拝めるんだ。素直に喜べ」

 生のブツという表現はどうかと思うが、現場から採取されたものは鑑識課の保管庫に入る。それらのものは基本持ち出し禁止で、大抵は科研と鑑識に直に出向き、見せてもらえないかと直談判するかである。

 古巣の科研はともかく、鑑識課警部補・古澤渉ふるさわわたるは天城の能力の高さを認め、いまや頼もしい協力者である。

 

 現場には矢田と明石、築地が既に到着しており、鑑識員が現場検証を始めていた。

 山手町は高台にある町で、南側奥に海が望む。

 いつもは閑静な高級住宅街が、一夜にして凄惨な殺人現場の舞台となり、野次馬たちは眉を寄せている。


「被害者はこのいえの主で本郷孝宏ほんごうたかひろ氏です」

 聴取を開始していた矢田が、神埼に報告する。

 第一発見者は、通いの家政婦・吉沢房江だという。

「本郷孝宏……? どこかで聞いた名前だな」

「先月に起きた贋作事件がんさくじけんで、聴取した美術評論家ですよ。係長」

 

 それは半月前に、元町にある元町美術館で起きた。

 展示されていたアール・ヌーヴォー期の花瓶が、実は贋作だったらしい。

 この美術館は多くの投資家によって建築費用が賄われ、その投資家のひとりが本郷孝宏である。

 さらに贋作だと見抜いたのも、彼だった。

 これにより館長の男は責任を問われて解雇され、現在は別の男が館長を務めている。

 本郷孝宏という男は美術界では有名らしく、彼に評価されるということは人気になるとともに、栄光も間違いなしと言われているという。

 

「ただ――」

 言い淀む矢田に、神埼が眉を寄せる。

「ただ……?」

「被害者は、相当恨まれているようで……」

 本郷孝宏はマンマンで、強引な男だったらしい。

 一つでも気に入らないことがあると、徹底的に相手を追い込むといったことが、たびたび起きていたらしい。

「よぉ、おいでなすったか? あまちゃん」

 殺害現場である書斎に入ると、遺体の検死を行っていた監察医・矢橋陽一やばしよういちが振り向き、天城をそう呼ぶ。

「その呼び方はいい加減にやめてくれませんか? 矢橋先生」

 矢橋医師とは、科研時代からの顔馴染みである。

 そろそろ、七十歳になるだろうか。

「親愛の情ってやつだよ。それにしてもあのホトケさん、アレだけの中にいたにも関わらず、頭以外は綺麗なもんだ」

 矢橋医師はそういって、遺体があった場所を一瞥して渋面になった。

 そこは、大量のガラス片が飛散していた。

 遺体は検死を終えて、司法解剖のために搬送されていった。

 被害者はそのガラス片の中で、死亡していたという。

 その飛散量は、畳一畳分はあるだろうか。

 神崎が、矢橋医師に問う。

 

「死因は撲殺ですか? 先生」

「ああ。後頭部に一箇所、鋭いもので殴られた跡があった。死亡推定時刻は昨晩の十時から十二時の間だな」

 さらに神崎は、近くにいた鑑識員に問う。

「凶器は?」

「見つかっていません……」

「被疑者が持ち去ったのか……?」

 神崎が顎に手をあて、胡乱に眉を寄せる横で、天城は飛散しているガラス片を見下ろしていた。

 大量のガラス片――、はたしてなにが割れたものなのか。


 本郷孝宏の書斎は、美術品の収集部屋コレクタールームともなっていた。

 絵画はもちろん、磁器のカップや皿はマイセンをはじめ、ウエッジウッドなど西洋磁器では有名なメーカーである。

 さすが、美術評論家といった部屋である。

 ただガラス製のものは、この書斎にはなかった。

 家政婦・吉沢房江によれば、この邸で大きなガラス製のものといえば、シャンデリアしか思いつかないという。

 もしこの部屋にあれば、掃除のために出入りしている彼女が見ているはずである。

 

「いったいなにが割れたんでしょうねぇ?」

 ガラス片を見下ろす天城の横に、築地が立った。

「事件当夜、誰かがガラス製のなにかを持ち込んだ。このガラス片の量から、大きさは一メートル弱といったところだな」

 ガラス片から伝わる念には、憤り、憎しみなどの複数の念が入り交ざっている。

 

 物には念とともに、記憶も残る。

 それは白黒の映像となって、天城の脳内で再生される。

 男の後ろ姿と被害者の後ろ姿――、犯人は大きなソレを背後から振り上げ、被害者に叩きつけた。

 

「まさか、コレが凶器?」

「たぶんな。いま俺に理解わかるのは、ここまでだ」

 天城はそう答えたものの、疑問が残った。

 なぜ被疑者は重量のあるものを、凶器としたのか。

 殺害する目的できたのならば、他に凶器はあったはずである。

 しかもである。

 そんな天城の視界に、一枚の紙が目に入った。

 そこはまだ鑑識が終わっていなかったようで、紙はサイドテーブルの下に落ちていた。

「鑑識さん」

 天城の求めに、鑑識員がすぐにやってきた。

「メモのようですねぇ」

 メモを拾い上げた鑑識員は、そういった。


 メモには、「乙女の」と書かれてある。

 乙女の――、ということは、この後に続く言葉があるかも知れない。

「ダイイングメッセージですかねぇ」

 メモを覗き込んだ築地がいう。

 だが天城はもそれを否定した。

「違うな。被害者には、ダイイングメッセージを遺す余裕はなかっただろうよ」

 後頭部に受けた衝撃は、相当なものだったはずだ。

 かくして、神奈川県警捜査一課特殊捜査班の面々は、奇妙なこの殺人事件に振り回されることになったのである。

 

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