ハクモクレンの花が咲いている

角居 宗弥

ハクモクレンの花が咲いている

庭にハクモクレンの花が咲いている。祖父の好みで植えたハクモクレンは、匂いを振りまいて窓に寄り添うように、麗らかな気流に乗った花の付け方をしている。病床にあって事あるごとにハクモクレンの様子を私に聞いた。


「いくつか芽を出しましたよ。」


そうか、と言わんばかりに目にいっぱいの涙をたたえて、窓の外を見ている。臭みのない匂いが室内に籠もる頃になると、決まって


「枝を取ってきておくれ」


という。細い枝を見繕い、程よく可憐な花を見つけては、根本から優しく勢いつけてをポキリと折って枕元に横たえた。ハクモクレンはハクモクレンらしく、置いた途端に花をややもたげて、たった4つを数えるほどの葉をゆらゆらとなびかせる。祖父の涙はつるりと目尻を抜け出し、ちょうど萼にふれるほどの距離まで進んでゆき、その直前でポトリと布団に落ちていった。


「ああ可愛や、ああ、可愛や、名前をつけてあげようか、どんな名前が良いかねえ」


ハクモクレンは風になびいて花を揺らしている。しっかと詰まった雄蕊おしべと雄蕊が並んでこちらを見上げている。


「ごらんよ、けなげで、色が良い、空の青さに染まらんで、土の黒さに負けんとす、そんな白を憶えているかい」


花を見やっている辛そうな横目をふっと天井に戻した。


「もしこの天井が鏡なら、私はどんなに蒼かろう、私はどんなに黒かろう」


やはり止まらぬ涙の粒を数えて、私は部屋の隅の丸椅子から勢いつけてそっと立ち上がった。


「私が見えますか。私が聞こえますか。」


静かに問うた。相手は静かに頷いた。左に枝を握っている。右にはペンを握っている。


「書くものをくれ、すぐに書くものを」


私は上着の内にしまったごく薄い小さなメモから一枚を剥ぎ取った。祖父は私に読めない達筆で、するする二三文字書き記した。


「これをあいつに見せてくれ、それからこれには水をやり」


ハクモクレンをそっと抱えて、水を与えて元気にさせた。その間に祖父は微動だにしない。


「うむ、これでじゅうぶんだ」


祖父は穏やかに寝た。彼はそこに一時間を費やした。私も同じ部屋で同じ時間を費やした。ハクモクレンは揺れている。人に紛れず揺れている。ハクモクレンをそっと取り出し、ひとつ布団の真ん中へ。


真ん中においたハクモクレンは今度は静かに笑っている。


ああ、ハクモクレン、今からご飯をあげよう。

泣くなよ泣くな、そんなに泣くか、おお泣くなよ、泣くな



実は私も泣きたい気分なのだ

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ハクモクレンの花が咲いている 角居 宗弥 @grus

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