真夏の凍死体 〜武士探偵の事件帖〜

あるかん

事件編

登場人物


大山田英明おおやまだひであき……アイスクリーム会社社長

大山田玲美おおやまだれいみ……社長夫人。副社長

筑後蓮司ちくごれんじ……工場の責任者

龍仙響紀りゅうぜんひびき……配送ドライバー

進藤輝しんどうあきら……刑事。

椿つばき……武士の友人。甘党


武士たけし……探偵。出不精


〜〜


 「ただいま〜……うおっ寒っ!」


 買い物袋を片手に事務所の扉を開いた椿は、外との気温差に身慄いした。午後2時すぎの炎天下の中買い出しに行って汗をかいていた分、エアコンから吹き出す冷風が椿の体温を一気に奪う。


 「おかえり椿。外はさぞ暑いだろうと思ってね、帰ってくる君のために部屋を冷やしておいたのさ」


 

 事務所の奥で肘掛け椅子に腰掛けていた武士は、読書の手を止めると椿に向かって涼しげな笑みを向けた。

 椿は買い物袋をテーブルに置くと、側のソファに腰を下ろした。薄っすら汗ばんだ長い髪をかき上げると、ワインレッドのインナーカラーが目立つ。キリッとした眉根に皺を寄せ、切れ長の大きな瞳で武士を睨んだ。

 

 「恩着せがましい言い方して、自分が涼みたいだけでしょ?もやしっ子が……設定20℃!?身体おかしくするわよ、もう!」


 椿はリモコンを手に取ると、エアコンに向かってピピピッと連打した。轟音とともに冷風を吐き出していた旧式の魔物はたちまち大人しくなる。

 武士は不服そうな眼差しを向けていたが、買い物袋に気付くとその目を輝かせた。


 「ところで、『例のモノ』は手に入ったかい?」

 「んー、まあね。はい、これあんたの分」


 椿は買い物袋を漁ると、青いパッケージを取り出して武士に向かって放った。それから買い物袋を抱えてキッチンの冷蔵庫に向かって行った。

 

 「ああ、ありがとう……って、これ『しっとりビスケットサンド』じゃないか!私はクリスピーサンドを頼んだはずだろう!」


 武士はパッケージを確認するとキッチンの椿に向かって非難の声をあげた。


 「しょうがないでしょ、売ってなかったんだから。どっちも似たようなもんなんだからいいじゃない。しかもそれ、限定のチーズケーキ味よ。タケちゃんそういうの好きでしょ?」

 「正気か君は?どうやら熱さで頭が茹で上がってしまっているらしい。食感が全然違うだろう、食感が……というか、自分はちゃっかりハーゲンダッツを買っているんだね、君ってやつは……」

 「文句があるなら自分で買ってくれば?」


 椿は氷をたっぷり浮かべたアイスコーヒーのグラスとスプーンを片手に戻ってくると、ソファに腰を下ろしてアイスのカップを開けた。程よく溶けたアイスクリームの表面にスプーンを突き立てて掬い取り、口元へと運んだ。パクりと一口、火照った椿の顔はたちまち幸福に彩られた。

 地獄に仏。猛暑にアイスクリーム。この喜びを分かち合うことができれば、争いはきっとなくなるのに。椿は心からそう思った。

 武士は恨めしげな視線を向けていたが、小さくため息をつくと渡されたアイスのパッケージを開けた。


 「はあ……まあいいか。明日の買い出しはクリスピーサンドが売ってるスーパーにしよう……あっ、これおいしっ」


 アイスを一口齧った途端、武士は無邪気な子どものようにその瞳を輝かせた。その様子を横目で見て、ほら見たことかと椿はほくそ笑む。


 その時、事務所に備え付けられた固定電話がジリリリリンと大きな音を立てて鳴った。

 しかし、事務所の所長は呼び出し音などどこ吹く風といった調子でアイスに舌鼓を打っている。


 「……ちょっと、電話鳴ってるわよ?」


 たまらず椿が口を挟む。武士は慌てることもなくアイスをゆっくり味わっている。


 「……うん、鳴っているね」

 「いや『鳴っているね』じゃなくて。五月蝿いからさっさと出なさいよ」

 「そんなに気になるなら椿が出たらいいじゃないか」

 「ここの所長はタケちゃんでしょ?相手はアタシじゃなくてタケちゃんに用があってかけてきてるの」

 「もちろん、ここの所長は私だ。しかし、電話番は秘書である君の領分と言うこともできるのではないかな」


 アイス片手に2人がくだらない押し付け合いをしている間にも、電話はけたたましい声をあげている。


 「いつアタシが秘書になったのよっ!……もう、うるっさい!」


 痺れを切らした椿が電話を取る。


 「……お電話ありがとうございます。こちらは武士探偵事務所でございます」


 電話に出た途端、椿の声色がガラリと変わり、いかにも優秀な秘書然とした調子で受け答えをする。


 「やっと出た……って、誉乃ほのの声じゃないな。失礼ですが、お宅は?」

 「申し遅れました、私は椿雄吾つばきゆうご。武士の……ビジネスパートナーです。本日はどういったご用件で?」

 「ああ、なるほど。これは失敬。私は狗衣いぬい県警刑事課の進藤と申します。実は少々混み行った案件で……武士は不在ですか?」

 「へえ、刑事さん。いえ、武士はおりますよ……ただ、何やら手が離せないみたいで……少々お待ちください。…………タケちゃん!進藤って刑事さんからお電話よ!」


 椿は保留ボタンを押すと、武士の方を振り返って呼びかけた。しかし、武士が一向に椅子から立ちあがろうとする様子を見せないので、彼女の手からアイスを取り上げ、椅子ごとゴロゴロ押して電話の前まで連れてくるという強行手段に出た。

 武士は捨てられた仔犬のような眼差しで椿を上目遣いで見上げていたが、やがて観念したように、保留を解除すると、スピーカーモードに切り替えてから応答した。


 「もしもし?輝くんかい。今少々取り込み中でね。悪いが……」

 

 武士が丁重なお断りを述べる前に、電話口の進藤刑事が声を挟んでくる。


 「閑古鳥のお世話で手が離せないってか?それにしても、誉乃の事務所にビジネスパートナーがいたとはな。ご迷惑かけてないだろうな?」

 「ご迷惑どころか、私が面倒を見ている側だよ。ビジネスパートナーというよりかは寧ろ舎弟と言った方が……ひゃんっ!」


 椿が武士のボブカットの下から覗く白い首筋に、キンキンに冷えたグラスを押し当てた。武士は悲鳴をあげると椿の方を振り返って大きな瞳に薄っすら涙を溜めながら睨みつけた。

 椿も口パクで(誰が舎弟になったのよ!)と無言の抗議を返す。


 「……それで、ご多忙極める天下の進藤刑事は、嫌味をわざわざ言うために電話をくれたというわけかい?」

 「ああ、それなんだがな……ついさっき、犬原市のアイスクリーム工場で妙な遺体が見つかったんだよ」

 「妙な遺体?」


 不穏な単語に事務所の空気もピンと冴える。後ろでアイスを食べながら聞いていた椿も手を止め片眉を上げた。

 

 「遺体の身元は大山田英明。52歳。このアイスクリーム工場の社長だ。まあ、社長といっても従業員4人の小さな会社で、工場もこぢんまりとしたもんだ。

 第一発見者は配送ドライバーの龍仙響紀。朝9時ごろ、いつも通りアイスの出荷に来たところ、冷凍庫の中で倒れている大山田を発見し、110番通報。

 遺体を調べたところ、後頭部には何かにぶつけたような傷があった。しかし、検視官が言うには死因はどうやら凍死らしい」

 「なるほど。たしかにこの真夏に凍死体が見つかると言うのはいくぶん奇妙だと言えなくもない。しかし、今の話を聞く限り、社長さんは冷凍庫内で転んで頭を打ち、そのまま意識が戻る前に凍死してしまった、不幸な事故のように思えるけどね」

 「ああ、実際現場でも事故の見立てが優勢だ。でもな、どうにも気になる点があるんだよ。

 まず、発見された当時の遺体の体勢だが、『うつ伏せ』で『丸まって』いたんだ。つまり、大山田氏は頭を打って気を失った後、凍死する前に意識を取り戻していた可能性が高い。

 もう一点、遺体が発見された当初、冷凍庫内は電源が落とされていたんだ。当然、中のアイスはドロドロに溶けて、床は溶けた霜であちこち濡れていた。

 電源が落ちたのは社長が凍死した後で、工場を調べたところ配線のコードが外れていたのが原因だったんだが、偶然にしては不自然だ」

 「……ふーむ、たしかに事故と言い切るには奇妙な点が多いね……。ん?ちょっと待ってくれ。大山田氏は一度意識を取り戻したのに、何故その時冷凍庫を脱出しなかったんだ?」

 「そう、まさにそこなんだ。冷凍庫の扉は引き戸で、鍵が掛かっていたわけじゃない。突っ張り棒を設置できるのは内側で、閉じ込められたとしても内部から外せるはずなんだ。その点からも事故なんじゃないかという見方が強くなっている」

 「うーん……仮に事故に見せかけた殺人だったとして、容疑者の候補は絞れているのかい?」

 「ああ、工場の鍵を持っているのは社長を含めた従業員4人だ。社長の奥さんで副社長の大山田玲美、第一発見者の龍仙響紀、工場の責任者である筑後蓮司。生きている社長を最後に見たのは筑後蓮司で、前日の20時ごろまで2人で作業をしていたらしい。筑後は先に帰ったが、社長は1人で残って作業をしていたそうだ。奥さんによると、社長が会社で寝泊まりするのはよくあることだったんで、帰ってこなくても特に疑問には思わなかったんだと。小柄だが、中小企業の社長らしくエネルギッシュな人だったらしい」

 「つまり、社長が凍死した後、庫内のアイスが溶ける時間を加味すると犯行時刻は昨晩20時から今朝6時、遅くとも7時ごろになるのかな。筑後さんが嘘をついていなければ、だけど」

 「遺体の状態が状態なんで死亡推定時刻の特定は難しいんだが、死後硬直の状態から見て社長が閉じ込められたのは22時から24時の間くらいになるそうだ」

 「その時間帯にアリバイが成立する人物は?」

 「これが面倒なことに、全員アリバイが存在する。筑後が20時30分ごろ帰宅しているのは家族が証言しているしその後翌日の出勤まで家にいた。これは近所の防犯カメラで確認できる。龍仙は深夜2時まで友人と飲み会だ。大山田家は社長と夫人の2人暮らしだが、玄関前の通りにある監視カメラには夫人が外出する様子は映ってないし、23時ごろ寝室の電気が消える様子が確認できる」

 「……ふーん。ところで、工場に監視カメラは付いていないのかい?」

 「付いてない。一台も。このご時世に信じられるか?工場の管理状態といい、言っちゃ悪いが半分自業自得だよ……。


 とまあ、概要はこんなもんだ。どうだ?中々奇妙な事件だろう?そこで名探偵様の出番ってわけだ。今現場検証中なんで、ちょっと来てくれよ。犬原市なら誉乃の事務所からそう遠くないだろ?」


 武士は顎に細い指を当てて思考を巡らせていたが、突然の呼び出しを受け素っ頓狂な声を上げた。


 「えっ?う、うーん……でも、やっぱり私も事故なんじゃないかって気がしてきたなあ」

 「それは現場を見てからじゃないと分からないだろ。こんな謎を前に尻込みしてるようじゃ名探偵の名が泣くぜ?それじゃ待ってるからな、早く来てくれよ!」


 露骨に行きたくない空気を出してきた武士を無視し、進藤刑事は一方的にそう言うと電話を切った。

 武士はため息をつくと、椅子の背もたれに深々沈み込んだ。椿はスマートフォンをいじっていたが、通話が終わったことに気づくと顔を上げて揶揄うような視線を向けた。

 

 「あらお疲れ。随分長電話だったわね。ところでさっきの刑事さん、一体何者なの?タケちゃんのこと下の名前で呼んでいたけど、もしかして……」

 「従兄弟だよ。というか、輝くんのことは前にも話しただろう?」

 「……ああ、輝くんってあの……なーーんだ、つまんないの。

 あっ、そうだ。ちょっと見てよこれ」

 

 椿はそう言うと、武士の方にスマートフォンの画面を近づけた。武士が身体を起こして覗き込む。そこには企業のホームページが表示されており、小さな工場の前で4名の従業員が笑顔で並んでいる写真があった。


 「今話してたアイスクリーム会社のホームページよ。社長さんの名前で検索したら出てきたわ」

 「真ん中に写ってるのが大山田社長かな」

 「そうね、で、隣の女性が奥さんかしら。若くて綺麗な奥さんねえ。メンズはあんまり冴えない感じだけど、1番左の男の子はスラっとしててちょっと素敵じゃない?……この中の誰が社長さんを殺したのかしら」

 「いや、まだ事件と決まったわけじゃ……」

 「もう、まだそんなこと言ってるの?殺人事件に決まってるじゃない。被害者が死んだ後に冷凍庫の配線が偶然切れるなんて怪し過ぎるわ。配線を切ったやつが犯人よ」

 「たしかに偶然にしては奇妙だね。でも犯人が配線を切った理由は?社長は既に凍死してるんだからわざわざ証拠が残る危険を冒してまで配線を切る必要はないんじゃないかな」

 「……凶器を消すためとか?つまり犯人は大きな氷の塊で被害者の頭を殴って気絶させた。その証拠を消すために冷凍庫の温度を上げる必要があったのよ」

 「中々ユニークな発想だね。でも人を気絶させるほど大きな氷なら溶けても大きな水たまりが残るんじゃないかな。さっきの話だと現場にそこまで大きな水たまりはなさそうだったけど。それに、被害者が気絶した後に意識を取り戻したのに庫内から脱出しなかった理由も不明なままだ」

 「……じゃあタケちゃんはなんのために犯人がコードを切ったと思うわけ?」

 「うーん、犯人はアイスクリームに恨みがあったんじゃないかな。だから社長の死体とともに保管されているアイスクリームもめちゃくちゃにしたかったんだ。つまり、犯人は知覚過敏の人物だ」

 「何よそれ、ちょっとは真面目に考えなさいよ」

 「そう言われてもね……今得ている情報だけじゃ分からないことが多いからなぁ」

 「だから現場に行くんでしょ?行くわよ、名探偵さん」


 椿は笑顔でそう言うと武士の肩を叩いて揺さぶった。

 椿は真顔の時より笑顔の方が怖いんだ、と武士はいつも思っている。


 「今現場に向かうべきは探偵よりも歯科医師なんじゃないのかな」

 「知覚過敏説はもういいから。ほらさっさと支度して」

 「せめて、もう少し涼しくなってから……」


 「……」ピーーッ

 「あっ!ちょ、ちょっと!何をするんだ!」


 一向に椅子から立ち上がろうとしない武士を見て、業を煮やした椿は強行手段に出た。つまり、エアコンの電源を落としたのだ。

 武士は慌てて椅子から飛び上がり椿が持つリモコンに手を伸ばすも、椿はひょいと身をかわした。武士は子どものようにぴょんぴょんと飛び跳ねてリモコンに手を伸ばすものの、2人は30cm近く身長差があるので椿が手を上に上げればまるで届かない。


 「ほら、諦めてさっさと支度しなさい。そんな飛び跳ねてたらますます暑くなるわよ」

 「はあ、はあ……分かった、分かったから一旦エアコンを……ん?待てよ……そういうことか。分かったぞ」


 「え?分かったって……もしかして、犯人が分かったの!?本当に!?……あっ!」


 椿が気を取られた隙を見逃さず、武士はリモコンを奪い取るとエアコンの電源を再び入れた。そして、呼吸を軽く整えると肘掛け椅子に腰を下ろして優雅に足を組んだ。


 「ああ、私に二言はないからね」

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