歴史の答え
森本 晃次
第1話 10分前の女
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年9月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。前作品と似たようなエピソードがありますが、「主人公が読んだ本の内容」ということでフィクションです。ただ、「前作品の続き」と思って読んでもらった方がいいかも知れません。
今回は、いろいろな小説やアニメをアイデアにしていますが、似たようなものがあっても、あくまでもフィクションです。最近は、「科学的な話」としての矛盾などの話が多いが、今回もそんな感じの話です。さらに、話に出てくる、問題であったり、症候群、さらには、諸問題の解決はあくまでも、作者の考えているということであり、信憑性も何もありません。ただ、納得いただけると嬉しいだけです。
最近、遠藤は、
「寝つきが悪いな」
と思っているようだった。
というのも、今まであまり夢を見なかった自分が、
「夢を見ている」
と感じるようになったのであって、しかも、その夢というのが、
「夢を見ている夢」
という、おかしな夢を見ているということに気づいたからだった。
普段であれば、
「夢を見ている夢」
などという、ややこしい構造を想像することなどできるはずもなく、発想すらなかったはずなのが、急に、
「夢を見ているという夢を見るんだ」
と感じるようになると、
「夢というものがどういうものなのか?」
ということを考えるようになってしまったのだ。
というのも、この不可思議な構造は、まるで、
「合わせ鏡」
の構造に似ていると感じたからだった。
「合わせ鏡」
というのは、
「自分の、前後であったり、左右に鏡をおいて、それぞれに映った自分を見ていくと、どんどん鏡の向こうに、自分が写っていき、小さくはなっていくが、決してゼロになるということはない」
という錯視に似た現象である。
もっと言えば、同じような現象を生み出すものとして、
「マトリョシカ人形」
というものがあるだろう。
「その人形というのは、一つの箱型になった人形で、前と後ろで真っ二つに切るような形をしたものを開けると、その中に、また人形があるのである。そして、その人形も同じ構造になっているので、こちらも、開けると、また同じような構造の人形が出てくる」
というものである。
こちらも、合わせ鏡と同じで、
「限りなくゼロに近づくのであるが、ゼロになることはない」
というものであった。
それが、どんどん組み合わさって、
「無限ループの形」
というものを作り出しているので、それが、いかに時系列の中で、繰り返される、
「無限ループ」
を形作っていくかということになるのだった。
「10分前の女」
という話は、このような、
「時系列における無限ループ」
とは少し違う話であった。
この話というのは、
「ある女性が、男性の部屋にやってくるのだが、その男性と身体を重ねたことがない」
というのは、
「その男性は、すでに、女性を抱いた後であり、その後の、賢者モードだった」
からである。
その時というのが、
「判で測ったような10分前」
というのだ。
ということは、男からすれば、
「抱いた女が帰ったそのちょうど10分後に、主人公がやってくる」
ということになるのだ。
だから、二人の女が出会うことはない。毎回同じパターンだということは、男が言い出したことだったが、
「お前の10分前をあの女は歩いているんだ」
ということであった。
だから、登場人物が3人なのだが、それぞれに、
「後の2人というのを知っているのは、この男だけだ」
ということになるのだった。
だから、
「男のいうことを全面的に信用していなければ、この話は成り立たない」
といってもいいだろう。
もちろん、主人公の女は、この男のことを愛している。
当然、信じているということなので、この話が成り立つのだ。
ただ、この男がいっていることは、甚だ信じられることではなく、いくら愛しているといっても、どこまで許せるか?
ということになるのだ。
というのも、この男は、
「10分前に来た」
という女と、身体を重ね、愛し合ったうえで、賢者モードという最悪の状態で、主人公に接しているのだ。
「他の女を抱いた」
というだけでも、耐えられることではないのに、頭の中がただでさえパニックなのに、何とか落ち着けるのは、その男が、何も言えなくなるほど、冷静だからであった。
この10分前の女が出るのは、すべてが、自分が来た時にしかないというのだ。
男としては、
「どっちが本当のお前なんだ?」
というのだが、そんなことを、主人公の女が分かるわけもない。
そもそも、そんな女がいるということは、目の前の男からいわれただけで、それ以上でも、それ以下でもないというものだ。
男が女に対して、どのように接するのかというのは、主人公もよく分かっているつもりなので、
「きっと、前の女にも同じ行動をとっているんだろうな」
と感じた。
しかし、唯一、前の女に負けていることがある。
それが、
「この男に抱かれる」
ということであった。
主人公は、この男を愛していることは間違いない、少なくとも愛していなければ、ここでのいさかいのようなことはないはずだからである。
「女の幸せは、好きな男に抱かれることだ」
ということだという人もいるが、男はどうなのだろうか?
そもそも、抱きたい女を抱くということは、男にとっての幸せなのだろうか。
もちろん、性欲があるのだから、それを満たしてくれる女がいれば、それに越したことはない。
しかし、それが、恋愛感情と結びついたとすれば、その感情が、いかに、
「愛し合っているか?」
ということ、
「そして、その愛し合っているという感情が、幸せに結びつくということなのか?」
ということである。
自分が好きになった男というのは、普段から、
「冷静沈着で、本当に自分のことを愛してくれているのだろうか?」
ということを感じさせられるそんな男性であってほしいと思うのだった。
実際に、相手から、
「何を考えているのか分からない」
というような態度をとられると、女性は、いら立ちもあるが、それよりも、
「その奥に潜んでいる気持ちを、自分で開拓したい」
というような気持ちになるのだという。
特に、この男のように、
「普段は何も言わない」
ような素振りで、実際に何も言わないくせに、
「10分前の女を抱いた」
といって、あっけらかんとしているのだ。
主人公の女は、その時まで、
「男性が、賢者モードというものに陥るのだ」
ということを知らなかった。
主人公は、
「男性経験は、そんなにない」
といっているが、実は、まだ処女だったのだ。
モテないわけでもなく、その証拠に、
「いつも、男性から告白される」
といっている。
「本当は、処女である」
ということを、今までの彼女であれば、
「自分から公開してもいい」
というくらいに感じていたことだろう。
だが、普段から、なるべく言いたくないとは思っていたが、特に今回は、
「絶対に言いたくない」
と思っているのだ。
それだけ、
「10分前の女を意識してしまっている」
ということに違いないのだった。
ただ、一つ気になっているのが、
「お前だった」
と、彼がいうから、その言葉を信じてしまうわけで、ひょっとすると、違う女なのかも知れない。
しかし、もし、複数の女と付き合うのであれば、一度期に、同じタイプの女と付き合うということはないだろう。。
「そういえば、あの男とどうやって知り合ったのだろう?」
と、主人公は感じた。
「なぜか、思い出せない」
ということであった。
そして、この思いは、
「もう一人の自分」
つまりは、
「10分前の自分」
も同じことを感じているのではないかと感じるのだった。
というのは、考えてみれば、
「この男も、本当だったら、自分が好きになるタイプではないんだけどな」
と感じた。
どちらかというと、アイドルのような、
「推し」
というような人がいて、
「たくさんのファンを持っていて、最初は自分もその中の一人なんだけど、いずれは自分を選んでくれる」
というような、夢物語と思い描くような女性だったのだ。
もちろん、それは、
「妄想」
でしかないのだ。
妄想を抱くということは、
「実は、好きなのかどうか分からない」
ということではないか?
と感じるのだった。
ただ、この男のように、
「冷静沈着な男は、昔から嫌いだったはずだ」
というのは、
「マウントをとられてしまう」
と感じたからで、
「相手に理屈を並べられると、逆らうことができない」
ということで、プライドが許さないと感じるのだろう。
だが、今回こんな男に惹かれたというのは、
「何か見えない力に操られているのかも知れない」
と感じるからではないだろうか?
ただ、この男は別にマウントをとっているわけではない。それでも、いっていることは間違っていないだけに、余計に腹が立つ。
それでも、惹かれるということは、
「私って、マゾなのかも知れないわ」
と感じるのだった。
SMの世界については、よくは知らないが。冷静沈着な男を相手にしていると、
「ヘビににらまれたカエル」
という形になってしまいそうで、焦ってしまって、緊張から、汗が流れ出てくるのだが、そんな状態になっている自分を、客観的に見ることで、
「好きな男性でもないのに、好きになることというのは、往々にしてある」
と感じさせられる。
ただ、
「それが本当の愛情なのかどうなのか?」
自分でわかるわけもない。
人を好きになるということを冷静に考えると、
「冷静にこちらを見ている相手には、かなわない」
ということになるのであろう。
焦りというものを煽ると、冷静にならなければいけない状況で、冷静になれないことが、自分のマウントをとっている相手に、惹かれてしまうという。
「矛盾した感情」
ということになるのだろう。
男と一緒にいると、好きなわけでもないのに、どこか惹かれるところを感じる。確かに「SMの感情」
というものを感じると、
「この男に抱かれてみたい」
という感情が浮かんでくる。
しかし、この男に抱かれるのは、何か自分のプライドが許さないはずだった。
この感情は、矛盾しているわけではなく、一種のプロ感情というものではないだろうか?
なぜなら、彼女の商売は、
「風俗嬢」
だったのだ。
そのことを、男は知らないと思っていた。だが、そのうちに、
「お前は風俗嬢だからな」
と言ってのけた。
もし、これが他の男だったら、否定していたろう。しかし、この男に睨まれると、それを否定するだけの感情が浮かんでこない。
彼女は名前をなるみといった。この名前は、源氏名で、最初に、この男に源氏名を名乗ったので、ずっとそのままの名前で通していた。
最初は当たり前のように、本名など名乗らない。SNSの世界では、
「本名は使わない」
というのが、当然のようになっていたので、そう考えると、源氏名で通すというのは当たり前のことだった。
相手の男の名前は、
「まさと」
といった。
まさとがいうには、
「10分前の女」
の名前は、りなというらしい。
りなが、どんな女のなのかということを、まさとは、ある日、克明に語った。どこを触ればどのように感じるのか、どのようなことを自分にしてくれるのかということを、赤裸々に話すのだ。
なるみは、それを聞いて、ムズムズしてくるのだ。自分ができないことへの憤りと、傷つけられたプライドが、身体を熱くする。
しかし、よく聞いてみると、その話は、
「なるみのプロとしてのテクニック」
というものに似ているではないか。
それなのに、身体が反応するということは、
「まさか、私は、その10分前の女である、りなという女を求めているということなのだろうか?」
と感じたのだ。
ムズムズしてくる感情を持ったまま、男の部屋から何もできずに、帰らなければならない。
だからといって、すぐに、男の部屋を出ることはない。いつも決まった時間だけは、必ずそこにいるのだ。
だが、その時間を持て余しているわけではない。ある日から、毎回精神的にも肉体的にも、毎回同じ感覚にさせられるのだ。
「いつから、こんな感覚になったのか?」
ということを思いだしていれば、それは、
「まさとが、自分がりなからされていることを私に話した時だった」
という思いだったのだ。
その時から、約1時間という時間、持て余す時間ではあったが、その分、そのほてりを我慢できないところまで、きてしまうと、なるみは、自分の一番感じるところを触っただけで、完全に達してしまったのだ。
肉体的には、満たされた感覚になるのだが、心は違う。それでも、その瞬間が、ちょうど1時間という時間になっているので、その時なるみは、
「お客さんが感じているのは、こういう時間の感覚なのではないかしら?」
と感じたのだ。
そうなると、
「いかされてしまった」
と感じさせられるのだが、それはあくまでも、勝手な妄想であり、男からまったく触れられていないのが、悔しかった。
確かに、感じやすい身体ではあったが、
「私の身体、本当に敏感なの」
ということを、言いたくて、達した後、さらに男を求める目をしてしまうのだった。
なるみは、いつも、
「達してしまった」
そのあとは、妖艶な気持ちになる。
だから、その時から、
「相手の奴隷になっても構わない」
というくらいに、自分をさらけ出すのだ。
その瞬間。
「私はマゾではないのかしら?」
と思うのだが、その部屋では、いつもその瞬間に、マゾになるのだった。
しかし、マゾになった瞬間がタイムリミットなのだ。
だから、なるみとしては、中途半端な感情が、
「プライドを傷つけられた」
という感情にさせられ、いつもは、
「お金をもらう代わりに、男性に奉仕をする」
ということが自分のプライドを持たせている。
と思っていたのだ。
男というものを、いかに、
「プライドを傷つけずに、時間内で満足させるか?」
ということが、自分の役目だと思っていた。
しかし、そこには、
「金銭の授受」
というものが、かかわってくる。
だから、余計に、自分のことをプロだと感じさせるのだろう。
そうではないと。
「風俗嬢など、やっていられない」
と思っていた。
風俗嬢には、いろいろいる。
「プライドなど持たずに、ただただ、ご奉仕する」
ということを考えている嬢。
あるいは、
「えっちなことが好きだから、仕事をしている」
ということで、
「趣味と実益を兼ねた」
かのような女性もいる。
そんな女性は、
「プロ意識などない」
どちらかというと、
「恋人気分のイチャイチャが好きな子で、下手をすれば、わがまま気質なタイプであることを、客の前でも隠さない」
という子であった。
普通なら、客は、
「今度からは別の女の子に相手してもらおう」
と思うのだろうと感じるのだが、なぜか、彼女のようなタイプには、リピーターが多い。
「どうしてなのかしら?」
と思っていたが、
「そんな女の子に相手してもらう」
ということが好きな男性もいるということなのであろう。
「なるほど、そういう男性も多いということなんだ」
ということで、
「客にもいろいろいるんだ」
ということを、いまさらながらに思い知らされた気がした。
そんなことを考えていると、
「目の前の男性のようなタイプ、私のお客さんにはいない」
と感じるのだった。
まさとは、なるみが、どうして風俗嬢だということを知ったのだろうか?
一番に感じられるのが、
「10分前の女である、りなという女も、風俗嬢なのではないか?」
ということであった。
だが、まさとの口ぶりではそうでもないようだ。
となると、
「どうもこの世界は、まさとの都合よくできた世界のようだ」
となるみは感じた。
ということになると、
「私はこの世界ではわき役なのかしら?」
と感じると、もう一人の女である、りなという女も、
「わき役ではないか?」
と思うと、
「二人合わせて一人前ということなのかしら?」
と思うと、急に、そのりなという女に思い入れを感じるようになった。
「もう一人の私」
という感覚である。
ドッペりゲンガーという言葉があるが、
「りなという女は、自分のドッペルゲンガーではないか?」
と思うのだった。
そう感じたのは、
「この世界が、まさとの創造した世界であり、主人公はあくまでも、まさとである」
と考えると、なるみは、
「自分とりなはまったくのわき役で、しかも二人は、それ以外のエキストラといえるわき役も、兼ねているのかも知れない」
と感じるのだった。
この世界では、登場人物はあきらかに3人であった。
「二人合わせて一人前」
というなるみとりな。
そして、なんでも知っている、
「この世界の主」
である、まさとという男。
しかも女性二人は、お互いをまったく知らない。
「10分間という平行線」
の間を絶えず保っていることで、絶対に遭うことはない。
それこそ、
「ドッペルゲンガー」
というものの基本ではないか?
ドッペルゲンガーというのは、
「もう一人の自分」
ということで、
「自分とそっくりな人間が、世の中に3人はいる」
といわれる。
「そっくりな人間」
ということではないのだ。
あくまでも、
「もう一人の自分」
ということで、
「同じ次元で、同じ時間に存在している自分」
というのが、ドッペルゲンガーなのだ。
そして、
「都市伝説」
として。
ドッペルゲンガーというのは、
「見てしまうと、近い将来に死んでしまう」
と言われている。
そして、その伝説を証明するかのように、
「過去の偉人」
と呼ばれる人たちが、死んだということが逸話として残されているのだ。
「リンカーン」
であったり、
「芥川龍之介」
という人たちが、実際にドッペルゲンガーをよく見ていたということで、そのすぐあとくらいに、命を絶ってしまったということである。
世界の人口がどれだけたくさんいて、しかも、それがm時代をまたいでいるということであれば、その分母の数の果てしなさから考えると、
「数人くらいが重なったとしても、それは無理もないことだろう」
といえるのかも知れないが、実際に、
「ドッペルゲンガー」
というものを考えた時、
「そんなに単純なものではない」
といえるだろう。
だから、ドッペルゲンガーというものが、
「どれだけ神秘的なものなのか?」
ということであろうが、それは、
「神秘的だ」
というほどに、それだけ、
「科学では証明できないものだ」
といえるのではないか?
もちろん、その解決策となるような説はたくさんある。
「精神疾患説」
であったり、
「タイムパラドクスというものへの辻褄合わせ」
などというものである。
そのどれにも当てはまるような、
「一長一短の考え方だ」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「りなという女性の存在も、このドッペルゲンガーの神秘性のようなもので。それだけ考えられるということもたくさんあるのではないだろうか?」
ということであった。
りなという女と、自分を考えあわせた時、なるみは、
「自分が中途半端な女だ」
と感じるようになった。
これは、
「謙虚さ」
というものからではなく、
「この感情は、誰もが持っているものであり、しかし、自覚するまでには、何かのきっかけが必要だ」
というような解釈を持つことで、
「初めて意識するものではないだろうか?」
と考えるのだ。
そこまで考えてくると、
「りなという女が何を考えているのか、気になるところだな」
と思った。
まさとを見ていると、自分が、りなという女を、
「まさとを通してしか見ていない」
ということに気づく。
しかし、これは理屈からいっても、
「まさとを通さなければ見ることができない」
というものであり、
「自分がもっとも、いらだちを覚えているところではないか?」
と感じるところだった、
そこまで考えてくると、
「りなに対して、嫉妬というものを感じていたが、それが本当に嫉妬なのだろうか?」
ということであった。
嫉妬というよりも、
「私が一番はっきりと分からなければいけないはずの相手を、自分よりもしっかりと分かっている、このまさとという男の存在にいら立っているのかも知れない」
ということであった。
まさとが、
「この世界の支配者だ」
ということを悟ると、余計に、いらだちが深くなる。
その矛先がりなに向いているだけで、実際には、
「いらだちを向けてはいけない相手」
なのかも知れない。
「まさとを通してしか見ていないりな」
という存在を、今度は、
「まさとの立場」
から見ているような気がしていた。
そこで感じたのは、
「合わせ鏡の理屈」
であった。
合わせ鏡の中央にいるのは、まさとであった。
そして、まさとの正面に女がいる。そして、合わせ鏡の特徴とて、それぞれの鏡には、
「限りなくゼロに近い」
という、無限のトンネルが続いているのだった。
そこに映っている女が誰なのか?
なるみは、
「自分であってほしい」
と感じるのだが、その顔を確認することができない。
ただ、もし確認できたとしても、その顔が自分だということを自覚できるであろうか?
というのは、
「自分の顔をちゃんと認識できるか?」
ということであった。
普通、自分の顔は、
「鏡のような媒体を通してからではないと見ることができない」
ということである。
もっといえば、
「鏡を通すことで見ることができる唯一の顔だ」
といってもいい。
しかし、その顔は、絶えず左右が反転している。
「右義気の人には、左手が動いいぇいるようにしか見えない」
ということであった。
ただ、この
「当たり前」
といえるような理屈が、
「りなに対しては通用しない」
ということなのかと思えるのだ。
「自分というものは、特別」
という考え方は、当たり前のように自覚していたはずなのに、その特殊性を打ち消す存在が、
「りなである」
ということになれば、
「りなにとっても、なるみは、そんな存在なのかも知れない」
として、
「りながそのことを自覚している」
とすれば、
「りなという女も、私のことを見て、いらだちを覚えているのかも知れない」
と感じた。
いや、なるみとしては、そんないらだちを感じていてほしいと思っている、
「結局、どちらかが突出しているのだろうが、その自分にない部分を相手が持っているという感覚に、いらだちを覚えるのだ」
となるみは感じていた。
そして、自分が感じているのだから、
「りなも感じていることだろう」
という感覚を持ったが、この感覚は、まるで、
「別人が同じ夢を見ているような気がする」
ということで、
「どちらかの夢に、どちらかが、出演している」
という感覚であった。
だが、一人の夢というのは、無限ではない。限りがあるものだ。そんなことを考えていると、この場所で起こっている。
「もう一人の自分」
というものの存在は、
「この部屋ででしか起こりえないことではないか?」
と感じたのだった。
ということになると、りなという女は、
「どこからやってきて、どこに消えるというのだろうか?」
ということを考えていると、いろいろと思い浮かぶことがあり、
「りなという女は、本当は存在しておらず、架空ではないか?」
とも考えられる。
そういうことであれば、
「まさとが抱いた女というのは誰なのか?」
ということになり、まさとが抱いたと思っているのは、なるみ自身であり、なるみに、抱かれた意識がないのが、その証拠ではないか?
と考えるのだ。
それをすべて。
「夢の仕業」
ということで考えたとすれば、そこかに辻褄が合う、
「大黒柱」
のようなものが存在していれば、この話が夢であったとしても、理屈は通るのではないかということになるだろう。
そんな発想が、この、
「10分前の女」
という小説の肝であった、
発想もすごいが、発想がすごいだけに、
「ラストをいかに締めくくるか?」
ということが難しい。
ここまでラストをしっっかり覚えているのだから、それなりに素晴らしいラストだったに違いない。
それだけ話はややこしく、辻褄を合わせるのも、一つや二つの理屈だけで済むことではなかったのだ。
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