第二章 スーマ・スシリナーア戦争
トレーニング
シサムの駐屯地にある能力者の訓練場。50メートル四方はあるスペースで、クリケットで使われるバットを巨大にしたような木剣を構え相対する二人。
両者ともに中段に構えた切先の間隔は約5メートル。
「でははじめよう」
その声に、先に仕掛けたのは振一郎。能力者のパワーなら一歩で詰められる距離だ。最小の動きで胴突きを放つも、受けるアーロンもまた無駄のない動きで捌き軌道をずらした。そのまま切り上げて胴を狙う。受け止めた振一郎の木剣を弾き飛ばし、とどめの上段を振りかぶった時。
振り下ろすべき相手の姿がなかった。
「これで詰み」
後頭部に寸止めされた蹴りの風圧を感じ、男は木剣を静かに下ろした。
「完璧に抑え込まれておいて言うのもなんだが、武器を捨てるのはおすすめしないな」
弾き飛ばしたと思った木剣は、その前に振一郎の手から離れていたのだった。
アーロンは振り返りながら続ける。
「戦場では一対一とは限らないぞ。間髪入れず別の相手が襲ってきた時、武器がなければ選択肢が少なくなる」
幾多の戦場を生き抜いてきた兵士の言葉には生々しい感触がある。能力者は徒手でも急所に当たれば一撃で戦闘不能に追い込めるパワーを持っているが、そこはそれ。武器とは間合いも威力も違う。
「一番リスクが小さい手を打っただけだよ。手傷を負ったらそれこそ次の相手とまともに戦えなくなるかもしれない」
それだけこの男の戦闘能力を脅威と認識しているということだ。しかし相対する男の表情はやや厳しさを増した。
「評価してもらえるのはありがたいがな。戦場で武器を失うリスクはおそらく君が考えるより大きい」
アーロン・ウォーカーは40過ぎのアフリカ系アメリカ人で、5年前に転移してくるまでは陸軍で大尉を務めていた。スーマでは転移者たちのリーダーとして教育を担当するのに加え、トルハオレン王の軍事的アドバイザーとしての役も担っている。
「さてシン、トレーニングはこれで終了だ」
「今日は早いな」
教官は軽いため息をつく。
「対人戦闘訓練は今日で終わりという意味だ。あとで戦術のマニュアルを渡すから、明日以降はそれを読んでいてくれ」
その言葉に訓練場の隅から声が上がる。
「ちょっと、その人だけこんなに早く終わるのおかしくない?まだ3日目だよ!?」
声の主は八千草瞳だ。街を歩けば多くの男が振り返る恵まれた容姿の持ち主だが、色気のない訓練用の鎧を纏い顔を埃まみれにした今はその片鱗も見えない。
彼女は転移してまだ1月も経っておらず、振一郎が先程修了を認められたカリキュラムの半ばであった。
アーロンは声の方に向き直って端的に答える。
「彼は私を超える戦闘能力を示した。よってこれ以上私が教えることはできないし、その必要もない」
「う……」
彼女もわかってはいる。わかってはいるが納得できない。知らない世界に放り出されてから3週以上の間、彼女にとっては地獄のような訓練の毎日で疲弊した心が納得させてくれない。否定しようのない事実だけを突きつけられれば理性が答えに窮する。
「さあ、次は君たちの番だ。パウロ、木剣を持ってきてくれ」
「はいはい」
呼ばれたのはブラジル人の。パウロ・フィリオ・ダ・シウバ。ウェーブがかかったくすんだ金髪の男だ。車のディーラーをしており、職業柄英語を話せる。
瞳とパウロの模擬戦を眺めているとアーロンが話しかけてきた。
「ヒトミもかなり優秀な部類ではあるのだがね。通常なら3ヶ月かかるカリキュラムを1ヶ月と少しで修了できそうだ。ただしメンタルに不安がある」
「緩いメニューにして期間を伸ばすわけにはいかないの?」
「それはできない。技術の習得だけではなく、肉体、精神両面で厳しい状況に晒されることもトレーニングの目的だ」
瞳とパウロの模擬戦は瞳の勝利で終わったようだ。木剣はパウロの手から離れ、尻餅をついている。
アーロンは俺の方に顔を向けて続ける。
「戦場では疲れていようが怪我をしていようが敵は襲ってくる。どんな状況であろうと、自分を殺そうとする相手を殺さなければならない。できなければ死ぬ」
いつも冷静で丁寧な語り口のアーロンの言葉に少しだけ熱を感じる。表情は普段と変わらないが。
「私はむしろ君の方が心配なんだ。君はこれまで自分の限界まで追い込まれたことなどないんじゃないか」
「まあ、ないね」
これは即答できる。肉体的に一番辛かったのは、学位を取得してすぐ、同じ研究室だった学生に誘われてマラソンに参加したときかな。でも自分のペースで走れたし、肉体的な限界を感じるまでには至らなかった。そして精神的な面では全く経験がないな。
「すでに君は平均的な能力者では太刀打ちできない力を持っている。それでも君より強い者はいるし、1対1で戦うとも限らない。戦場に出れば危機的状況に陥ることはある」
経験豊富な兵士が断言する。
「その時にはメンタルの強さが重要な意味を持つ。精神的に追い込まれることを訓練で経験する理由はそれだ。だが、通常の訓練で君をそんな状態に晒すことは難しいだろう」
言われるまでもなく懸念してはいるんだよね。ただ何も対策が思いつかない。タフな状況に遭遇した時、その時点の俺が乗り越えられるものであることを祈るだけだ。
「能力者でも痛みや空腹感は普通の人間と変わらない。だからそういった苦痛を与え続けるというやり方もあるが……」
「俺がその意図を見破ってしまえば効果は小さくなるよね」
「そうだ。それに食事を与えず痛めつけるだけのことを訓練とは呼びたくない」
コイツは思ったより道徳的な思考の持ち主らしい。
「意外だね。元グリーンベレーのエリートは任務のためなら手段は選ばないと思ってた」
「所属はその通りだが少し心外だな。確かに軍人は任務の遂行を最優先に考えるが、非人道的な行いをすすんでするわけではない。それにこちらに来てから心境の変化もあってね」
洗練された訓練内容とノースカロライナという地名から推測したが合っていたようだ。そりゃスーマの軍でも重宝されるだろうさ。戦闘だけでなく軍事訓練のプロでもあるからな。
「転移者は突然こちらの世界に連れてこられた。それは元の世界の家族、友人、仕事、財産…全てを失ったのと同じことだ。そんな彼らがこれ以上苦しんでほしくない」
瞳を見ているとよくわかる。元の世界に彼女にとって大事なものを残してきたのだろう。
ふと両親の顔が浮かぶ。
「私にも娘がいる。今は18歳になっているはずだが、もう二度と会えない。それを思い知った時、同じ境遇にある転移者たちのことを家族のように思うようになったんだ。そんな彼らには少しでも幸せになってほしい」
彼が真に心の中の想いを俺に伝えていることはわかった。ならば俺もそれに応えなければ。本気でそう思った。
「俺だって残してきた人はいるし、やり残してきたこともある。全員かはわからないけど、多くの転移者にとって一番の幸せは、元の世界に戻ることだと思うんだ」
伝えるべき相手に向き直り、そして彼の目をしっかり見据えて俺の覚悟を伝える。
「俺はその方法を見つける。何年かかっても、絶対に不可能だと証明されない限り。だからあなたも諦めずに待っていて欲しい」
彼は数瞬の沈黙の後、笑みを浮かべたとはとても言えない程度に表情を柔らかくして一言だけ発した。
「……ああ、待っている」
表情に少しだけ希望が見えたような気がしたのは俺の願望がそうさせたのか。
俺が訓練場の瞳とパウロの方に視線を向けると、アーロンも教官の顔に戻った。
「ヒトミ、パウロ!次のメニューは……」
言い終わる前に突如として舞い上がった土煙が俺たちの視界を遮った。
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