神殺し達成してからゆっくり自殺したいと思ってる
奈良乃鹿子
平穏は去りぬ
遭遇者はかく語りき
城塞都市ヒルバニア。その堅牢な城壁からさらに南へと進んで馬で2時間。その平原が今日のケイの戦場だった。
こうして平原に溢れ始めたゴブリンを定期的に間引きするのはケイたち騎士団のいつものお仕事である。が、それにしても今日は量が多い。
「右より五体接近中!」
後方の部下の叫びに小さく舌を打つ。また数が増えた。ケイのここ数時間の奮闘によって相当数を殺しきったとはいえ、相手は異常な繁殖力を誇るゴブリンだ。次から次へと増援がやってくる。ふと周りを見渡せば、節々に傷を負い始めた部下たちは戦うのもやっとという様子だ。ケイは溜息交じりに、彼らを追い払うように片手で指示を出した。
「総員離脱。怪我人は可能な限り回収しろ。ここは俺が対応する」
剣を抜く。残る敵は新しく加わったものも含めて七体。ゴブリンは単体では弱いが、こうして集団を成した途端何倍も倒しにくくなる厄介な魔物なのだ。とは言えども、神気を授かっているケイの敵ではないけれども。
比較的傷の浅い者たちが残りを連れて後方に退避したのを確認し、ケイは真っ直ぐにゴブリンに向かって剣を向けた。
「水よ、力を」
口に馴染んだ言葉を吐いて、剣に力を込める。途端鈍い鉛色から青白い神気が迸った。
このヒルバニアでは一部の人間が神より『神気』という奇妙な力を授かることがある。その理由は不明。いつ授かるかもランダム。なぜ神が気まぐれにもその力の一端を人類に授けるのか、何一つわかっていることはないが、重要なのはそんなことではない。ケイの神気はこの苦しい戦況を一気にひっくり返すことができるほど強い。それだけが重要。
まずは一匹。恐らく群れのリーダー格であろう先頭のゴブリンの首へと剣を向ける。ゴブリンは片手剣の一振りで首が飛ばせるほどやわではない。が、ケイのこの剣の前で物質的な硬さは意味を成さない。
剣が首筋に触れた瞬間、まるで新雪にナイフを差し込むように抵抗なく神気が吸い込まれていく。青白い光は首筋からゴブリンの全身へと行き渡り、ゴブリンは静かに倒れ伏した。気絶、ではなく死んでいるとケイにはわかる。どこの世界に魂から浄化されて生き延びられる生き物がいるというのか。
ケイの水の神気の効果は「浄化」だ。その名の通り、全ての命ある存在の魂を浄化して消し飛ばす力。つまりは剣がその身体に触れさえすれば全ての敵は死に絶えるのである。
「次は誰にする?」
そう呟いて一歩進めば、司令塔を失ったゴブリンたちはぎいぎいと慌てふためいた声を上げる。けれどもその動揺は一瞬で収まり、残り六体のゴブリンはケイの間合いから少し離れてケイをぐるりと円を描くように囲った。
「……へえ」
これは珍しい。何せゴブリンは確かに組織立った行動をするとはいえど、低級の魔物である。こんな風に合理的な戦術を即座に立てて実行できるような群れにケイは今まで遭遇したことがなかった。
迸る神気を指先でなぞる。この状況はそれなりに厄介だ。六体のうちどれか一体へと斬りかかれば、その隙に残りは街の方へ向かって逃げ出す可能性がある。それではケイがここにいる意味がない。騎士とはあくまで民の安全を守る者であり、武勲を掲げる者ではないのだ。
さてどうするか、とケイが剣を向けつつもじりじりとゴブリンと膠着している、まさにその時だった。
「どうも、お邪魔しま〜す!」
この状況には見合わないほどに能天気な声。そして勢いづいた足音。ケイの背後から走り寄ってきたその声の主は、ひょいと軽く身体を跳躍させてケイを囲んでいるゴブリンの一部へと斬りかかった。
少女。いや、実際に視界に映ったのは黒い線状の影。ケイの動体視力を持ってしてもなお目で追えない速さだった。
「さあてなかなかただのゴブリンにしては骨がありそうじゃないか。……うん、0.01%くらいは望みがありそう。ってことは試す価値はアリ」
がん、と重い大剣が地面を穿つ音が響く。突如乱入した何者かは――その少女は、不幸にも彼女の一番手前にいたゴブリンを地面に剣ごと叩きつけたらしい。当然見るも無惨に潰されたその一体は断末魔さえ上げずに死に去る。
「そう、試す価値はある。というわけでそこの君たち。今私は君たちの仲間を殺した。つまり君たちの敵だ。憎くて憎くて仕方がない敵だ。……あとは分かるね?」
少女はその身体に釣り合わぬ大剣を地面に突き立てて、高らかに宣言した。
「全身全霊で私に立ち向かい、そしてどうにか私を殺してくれ!」
沈黙は三秒。大剣の叩きつけられた轟音が丁度平原に広がりきって消え失せた頃、やっとケイは正気に返った。それから同時にゴブリンも。
いや、そもそもゴブリンは人間の言葉を基本的に解さないのだから、今この少女が何を告げたのかなど分かっているはずがない。しかし彼らとて自分の仲間が叩き潰されたことは理解できたらしい。ぎらぎらとした黒目を一斉に少女の方へと向けたゴブリンたちは、ケイのことなど忘れ去ったように少女に怒りを向けた。
次の瞬間にはゴブリンは、ケイとの戦闘のせいで少しすり減った棍棒やナイフを振り回して少女の方へと走り寄った。一気に五体。それなりに危険な状況だ。少なくともこの小柄な少女がどの程度戦えるのかわからない以上、棒立ちで見守るわけにはいかない。ケイは加勢しようと一歩踏み込んだが、少女はそれを止めるようにケイに向かってにこりと微笑んだ。
「自殺の邪魔なんて無粋なことするなよ」
「……はあ?」
その言動の意味不明さに、ケイは思わず足を止める。
少女は向かいくるゴブリンたちに視線を向けると、その大剣で身を守る……なんてことはせずに、五体分の打撃をその一身に受けた。ケイは思わず息を呑む。いくら力の弱いゴブリンとは言えど彼らは魔物だ。その攻撃を同時に五も受けたとあれば、少女は無事では済まない。
済まないはずなのに、少女は依然として笑みを浮かべたままだった。
「……流石に0.01%を引けるほど豪運じゃなかったか」
少女の右手側、脇腹にナイフを刺した一体がまずは犠牲になった。少女が大剣を振り上げるその衝撃だけで吹き飛ばされ、地面の墜落と共に頭蓋骨が潰れる音が響く。そして振り上げられた大剣はそのまま正面の二体を薙ぎ払う。ケイの見たところ棍棒は完璧に内臓を打ち据えていたのだけれども、少女は何一つの負傷を感じさせずに二体を他と同様に擦り潰した。
そこまでを見て、流石に残りの二体も不利を悟ったのだろう。少女の腹に刺さったナイフはそのままに素手で逃げ出し……ケイの方へと向かってくる。少女への恐怖のせいでもはやケイのことなど思考の隅にも残っていなかったに違いない。
けれどもケイはそれを見逃してやるほど、お人好しではなかった。
「水よ」
抜剣。神気を込めた刀身は青色に光る。その光を見て、生き残りの二体は最初にどのようにして自分たちのボスが殺されたか思い出したようだ。しかし時すでに遅し。慌ててケイの前で減速した二体を、ケイは一切躊躇うことなく跳ね飛ばした。
どさり、と音がして魂の抜けた亡骸が二つ転がる。これにて任務完了。ケイは微かに血濡れた剣を振ると、まだ腹にナイフを刺したままぼんやりと立っている少女へと向き直った。
「……ご無事ですか?」
我ながら間抜けな質問であると思う。何せ目の前の少女は脇腹から血を流し、腹からナイフがニ本生えている有様なのだから。いつも通りならケイは負傷した市民には可及的速やかに応急処置を施した上で、城内の治療担当の元へと走って連れていく。というかそもそもこんな少女がいきなり戦闘に加わってきたら、例え自らが犠牲になっても彼女を庇って街まで逃しただろう。ケイはそういう類の騎士だった。しかし。
しかし、どうにもこの少女は例外だった。そもそも街から遠く離れたこんな場所に人などいるはずがないというのに。ケイの心中のそんな疑問を知ってか知らずか、少女は呑気そうに欠伸を一つすると腹に刺さったナイフを指差した。
「無事に見える?」
「いいえ」
ケイがそう首を振ると、少女はぼんやりとしたまま刺さったままのナイフを抜いた。ぐちり、と湿った肉の音が鳴る。相当な痛みのはずだ。けれども彼女は表情一つ変えずに二本とも抜き取ると、その痛々しい傷口を指先で撫でる。
「まあ確かに今は無事じゃないね。見ての通り。だけどすぐに無事になる。――ほら」
じわり、と彼女の傷口から何か力が生じた。神気だ。ケイの使う水の神気とはまた色合いの違う、どす黒い霧のような何かが傷口を覆っていた。ぐちり、にちり、とまた傷口は聞くに堪えない音を立てる。ケイはその様子に眉を顰めつつ、しかし目を逸らせないでいた。
少女の傷跡はみるみるうちに塞がっていった。
「どう?案外綺麗に治るでしょ」
「……神気で回復を? しかしその神気は一体、」
「見たことないでしょ。私も私以外に見たことないし。けどそんなことは本題じゃない。大事なのは、また失敗したってこと」
少女はそう溜息を吐いて、ぼんやりと視線を宙へ向けた。失敗。何がだ。そもそも何故彼女はここに唐突に踊り込んで、回避もせずゴブリンたちの攻撃を受けたのだろうか。何から問えばいいか分からずにケイが口をぱくぱくとさせると、少女はふ、と唇を緩めてまた大剣を肩に担いだ。
「不思議だって顔をしてるね。聞きたいことが沢山あるって」
「当たり前でしょう。街の外に無許可で人間がいるだけでも大問題なんです。それなのに、あなたは……」
「細かいルールは言いっこなし」
彼女はそういたずらっぽく笑うと、ふと視線をケイの剣へ――具体的には騎士団の支給品を示す紋様のついた鞘へと向けた。
「そういえば君、騎士団の人間かい?」
「ええ。……第二部隊隊長、ケイ・ラティエールと申します。この度はご助力を感謝致します」
そう言えば忘れていた、とケイは慌てて敬礼をして名乗る。少女の身分には気になることしかないが、何よりもまず自分の情報を開示することが誠意である。ぴしりと胸に手を当てたケイを見てまたくすりと笑った少女は、それに返すように胸を叩いた。
「騎士殿、こちらこそ感謝申し上げます。私はリゼ。名乗る家名がないことをお許しを」
恭しい口調と態度の裏に見える慇懃無礼さにケイは息を吐いた。これはつまり、これ以上の情報は教えるつもりがないという意思表示だろう。
そもそもリゼ、なんて名前をケイは今まで聞いたことがなかった。これほどの腕前を持つ神気使いなんていくらでも噂になりそうなものだというのに。いよいよ胡散臭い。それに戦いの中で彼女が口走っていた言葉も。ケイは痛む頭を抑えるようにこめかみに触れながら、口を開いた。
「ところで、戦いの途中で言っていた殺してくれ、だの自殺だのというのは……」
「ああ、あれね。それが私の目的だよ」
少女は悪びれることなく、既に塞がった腹の傷跡を撫でながら嘯いた。
「私を殺してくれる相手を探していてね。ほら、私ってばこの体質だろう? いくら大怪我を負っても神気が勝手に治療してしまうからままならなくてね。そうなると治療が追いつかないくらいの速度で私を粉々にしてくれる敵が居でもしない限り死ねない。本当に困っているのさ。死にたくて死にたくて堪らないのに、死ねなくて」
「……つまりは貴方は、ゴブリンの一撃が貴方を殺してくれるかもしれないと思ってわざと攻撃を受けたと」
「期待はずれだったけどね」
だからまた失敗、と彼女はなんでもないことのように呟いた。何から尋ねればいいのかさっぱりだが、とりあえずケイはもう今日何度目かも分からない深い溜息を吐く。
「ええ、まあ分かりました。いや、分かってはいませんがもういいです。十分です。とりあえずは作戦は成功ですし、それは貴方のおかげだ」
「まあそうだね。……あのゴブリン、ゴブリンにしては妙に知能が高かった。君一人では負けはしなくても多少は手こずっただろう」
いくら神気持ちとは言えども君のそれは戦闘向きではないようだし、とのリゼの言葉には首肯で返す。確かにその通りだ。ケイのこれは一対一の戦いではなんとか使い物にはなるが、多対一となるとなかなか厳しいものがある。先ほどのように。
それにあのゴブリンはいやに特殊だった。
「確かにあのゴブリンは指揮官を倒しても瓦解することなく戦略的に戦い続けました。普通ではあり得ない」
「そうだね。ゴブリンは群れを作るとはいえ、正直同時に複数体で襲いかかってくるというだけで……あんな風に協力して戦うことなんて滅多にない」
「それにそもそも俺たちはゴブリンが本来の居住地を離れて街の方へと接近してきているから、念のため討伐に向かったんです」
ゴブリンは本来一度決めたキャンプを滅多に動かすことはないし、臆病な生き物だから街の近くに来ることはほとんどない。にも関わらず複数の群れが街へと侵攻してきていると通報を受けて、ケイたち第二隊が討伐へと向かったのだ。結果として討伐は成功したが、一度は窮地に追い込まれるほどゴブリンたちは強く、数も多かった。
「何か、奇妙なことが起き始めているようです」
「そうだろうね。――前兆は齎された。ならば後は始まるだけだ」
リゼはそう歌うように呟くと、極めて自然に強く地面を踏み締めた。
「まあでも私には関係ないからね! それじゃ!」
待て、とケイが手を伸ばす暇もなくリゼはどこかへと走り去った。来た時と同じくらいに唐突に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます