第13話保証人になってください。

 馬車に乗り込むとアラン皇太子は私の隣に座った。前は大丈夫だったのに、その距離の近さに緊張してしまう。


 白いハンカチを取り出して、私の頬に伝う涙のあとを優しく叩くように拭いてくる。

 その丁寧な所作が、まるで私を大切に思っているように感じて心が温かくなった。


 勘違いしてはいけないのは、彼は皆に優しい。


 母親のアレクサンドラ皇帝が厳しく冷酷と言われるのに対して、アラン皇太子は誠実で穏やかな優しい方だと評判だ。


「マレンマ。皇宮にそなたの部屋を用意するから、そこで生活すると良い」

「そのような事をして頂く訳にはまいりません。しばらくは、ホテル生活をして、おいおい家探しをするつもりです」


 半年はホテル生活をしても問題ないくらい蓄えはある。

 行政部での仕事が得られれば、定期的に給与が得られ小さな家くらいは借りられるだろう。


「僕にできる事はないのか?」

「家を借りる時の保証人になってください」

「もちろんだ」

「冗談ですよ。アラン皇太子殿下が保証人欄にサインをしていたら驚かれてしまいます」

 冗談を間に受けている殿下に思わず笑みが溢れた。


「冗談なのか? マレンマに困ったことがあれば助けたいのだが」

「では、もし私がミゲル・カスケード侯爵閣下を訴えることになったら、私が暴力を受けたと証言してくれますか?」

「もちろんだ」

「申し訳ございません。これも、冗談です。そのような事にはならないし、殿下が痴話喧嘩の証言台に立ってたらスキャンダルになります」


 私は思わず吹き出してしまった。

 本当に噂通り、殿下は真面目な方だ。


「痴話喧嘩ではないだろう。そなたはカスケード侯爵に体だけではなく、心も傷つけられて来たのだから」


 殿下が落ち着いた優しい声で私に語り掛けてくる。ミゲル自身は私の心を傷つけた自覚があるかさえ怪しいのに、殿下は私の見えない傷に気がついてくれた。


「まあ、そうですね。でも、もう終わりにします。無事、カスケード侯爵閣下と離婚できそうです」

 

 さっきまでは悔しくて泣いていたが、殿下の澄んだ紫色の瞳を見つめていたら心が澄み渡っていく気がした。


 「新しい生活に踏み出す君の手伝いを僕にさせてくれないか? 何かお願いがあれば言って欲しいのだ。買って欲しいホテルがあるとか⋯⋯」


 私は殿下のダイナミックな天然っぷりに思わずズッコケそうになった。

(確かにしばらくはホテル生活をするとは言ったけれど⋯⋯)

 

「では、腕の良い宝石の加工職人を紹介して頂けませんか? モリアート子爵領で採掘したエメラルドを加工して宝飾品としてブランド化しようと思うのです」


「もちろんだ。マレンマは事業を始めようとしているのだな。そなたと話しているとワクワクするな」


 そのような言葉を男性から掛けて貰うのは今世では初めてだ。

 

「ありがとうございます。私も殿下と話していると楽しいです。モリアート子爵領のエメラルドを加工してブローチを作ったら受け取って貰えますか?」


「光栄だ。そなたの瞳の色のブローチだな」


 私はアラン皇太子が、モリアートブランドの宝飾品を使えば皇家御用達になり価値が上がると思ってブローチを送ろうと思った。


 それを、私の瞳の色のブローチだなんてロマンチックな打ち返しをされるとは思わなかった。


(どうしよう⋯⋯未成年相手にときめいてる⋯⋯本当に身も心も清く美しい方⋯⋯)


 彼のような人に会うのは前世も含めて初めてだった。彼は下心なく私に手を差し伸べてくれる。すぐに損得勘定をしている自分も彼に触れていれば何か変わりそうな不思議な気分にさせられた。


 その1週間後、私とミゲルの離婚が成立した。


♢♢♢


 行政部の仕事を始めて4ヶ月、私は大きな癒着に気がついてしまった。


 行政部に赴任してすぐに私は経費の扱いが適当過ぎる事を指摘した。


 新人で女である私の物言いは批判されたが、仕事ぶりを見てもらう事で意見を受け入れて貰えるようになった。


 働き始めて2ヶ月目には個室を貰えた。実は男性ばかりの中で働く私を心配したアラン皇太子の配慮だと後で知ることになる。


 私は事あることに自分を気に掛けてくれるアラン皇太子に惹かれ始めていた。


 経費として国庫から支出されているものには、詳細を明記させるようにした。「雑費」として処理されているものが多すぎたからだ。


 そして、交際費についても必ず、出席者と取引先を明記させるようにした。

 

 そこで、明らかに不審な金の流れを私は発見した。

 そして、疑惑の人レスター・ケンタス伯爵を呼び、アラン皇太子に同席して頂いた。


 私1人では舐められて証言を聞き出すことができても、しらばっくれて逃げられてしまうからだ。

 録音機があれば良いのだが、この世界には存在しない。


「こちらは、忙しいのですよ。何か用ですか?」


 ノックもなく入室して来たレスター・ケンタス伯爵は部屋にいるのは私だけだと思ったのだろう。


 私は離婚して爵位を継いでマレンマ・モリアートになった。私の爵位は子爵で彼は伯爵だ。

 ケンタス伯爵はアラン皇太子を見るなり、一瞬硬直し声を震わせながら挨拶をし始めた。

「アラン皇太子殿下に、レスター・ケンタスがお目にかかります」


「ケンタス伯爵、話を始める前に先程のモリアート子爵への不躾な物言いを謝罪しろ」

 

 アラン皇太子は冷たい視線は震え上がりそうな冷酷さを感じた。


 私の前ではいつも柔らかく微笑んでいる彼が別人のように変わる。


 威圧感があり、部屋の空気がピリッと緊張するのが分かった。


 自分が軽んじられる事に慣れていた私を誰よりも尊重してくれる彼への気持ちを止めることは難しかった。

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