第45話 また
その後。駆けつけた医者と薬師にメイド達がウィルソン様へ手当を施してくれた。氷を入れた氷嚢を額や身体の関節のあちこちに当てたりする。その処置中、私達は医者によって部屋から出ていくように促されたので仕方なく医者の指示に従う事となった。ちなみにゲーモンド侯爵も私達と同じように部屋を出ている。
「すみませんが、今日のご予定は白紙でお願いいたします……屋敷に来たばかりの時は報告を振り返ってみるともっと元気があったはずなのですが……」
「レアード様……」
「わかった、すまないがそうしよう。この屋敷に来た時は……例えば自力で歩行が可能なくらいには体力があったと?」
「そうでございます」
「となるとかなり急変が進んでいるな……」
「そうですね。彼にはここで死ねばこちらが困るのでしばらくは頑張ってもらいます。では……」
私達はゲーモンド侯爵の屋敷を後にしたのだった。
数日後。鯨類調査の公務で再びゲーモンド侯爵と会ったので、船に乗り込む前に漁港にて彼の様子を聞いてみる。
「ウィルソンの体調はあれからどうにか峠を越えました。しかしながら自力で移動が出来ないので車椅子を使っている状態です」
「そうなのですか……」
「ここには優秀な医者と薬師がたくさんおります。その為に彼が私を頼って屋敷に来たのですから」
フローディアス侯爵家の屋敷近くにも優秀な医者はいるはず。でもゲーモンド侯爵の領地をわざわざ頼って来た事はこちらの方が医者の質が高いという事だろう。それに空気も都会と比べて綺麗だから療養には向いている。
「彼には早く回復してもらいたい事です。フローディアス侯爵の仕事もあるし跡継ぎ問題もあるので」
ゲーモンド侯爵のこの声音にはうっすらと、怒りが乗っているような気がしたのだった。
「では参りましょう。クジラを見つけられますように」
船に乗ると意気揚々と沖へと進みだす。今日も水平線が綺麗に見えていて、思わずずっと眺めたくなるくらいだ。
「あれ!」
沖まで出た後、左側に海鳥がたくさん海に浮かんだり海面すれすれを飛んでいるのが見えた。
「この近くに魚の群れがいそうです。となると……鯨類もいるかもしれません」
ゲーモンド侯爵の言葉を頼りに、じっと見ていると遠くから誰かが潮を吹く様子が目に飛び込んでくる。
これは……!
「あそこにいますね。クジラです……!」
ゲーモンド侯爵の声が弾む。かなり距離はあるが、大きな若葉の形をしている尾びれが見えた……と思ったら水中へと消えていった。
一瞬だったけど、でもクジラは確かにそこにいた。
「すごかった……」
大海原を自由に泳ぎ回るクジラが、少しだけうらやましく感じる。
多分、しがらみも何もないんだろうな。
「もう、こんな時間ですか……」
避暑地での日々も終わり、また王宮での忙しい日々が戻って来た。結婚した事で今回の私とレアード様の避暑地での暮らしは大々的に新聞で報道されたらしい。公務で貴族などとお会いした時は必ずと言っていい程避暑地での暮らしが話題になる。
「お子さん早く出来ると良いですねえ」
今、私は公務先であるスレーヴ公爵家の屋敷内にある中庭の東屋で、スレーヴ公爵夫人からそうにこにこと声をかけられている所だ。
レアード様は屋敷の応接室にてスレーヴ公爵と話をしている。
「ええ、でもこればっかりは運ですから……」
実際は私とレアード様は契約結婚なので、夜伽は無い。でも彼らは契約結婚だなんて知らない。
そう言われるのも無理はないのだ。
「そうですわね。私も子供はいませんから……」
スレーヴ公爵には子供がいない。公爵夫人が愛人を持つように勧め、3人くらい愛人を持ってみたがそれでもできなかった。スレーヴ公爵はその事をかなり気にして精神を病んでしまった過去があるのだ。
だがスレーヴ公爵夫人が献身的に支え、後継者として彼の甥を指名した事もあってか最近になってようやく回復出来たという経緯がある。
「まあ王太子妃様、こればかりは運ですから焦らないでくださいませ」
「ありがとうございます……」
「あ、そうだ。もしよろしければ精力剤お渡ししましょうか?」
「へっ?!」
スレーヴ夫人からのいきなりの提案につい、ティーカップを落としそうになってしまった。
「スレーヴ公爵家が貿易で取引している薬の中によく効く精力剤があるのです。なんでも東方の国で作られた代物らしく、オットセイの睾丸にすっぽんに朝鮮ニンジンという植物などを干してすりつぶして粉にしたものを配合しているそうで……」
おとぎ話で魔女が大鍋を煮詰めて作る薬か何かで? ていうかそのようなものをレアード様に飲ませたら逆に体調が悪くなってしまうのではないかと心配になってしまう。
もちろん、スレーヴ公爵家の貿易品をバカにするつもりは無いのだが、それでも気になってしまった。
「そ、そうですか……」
「女性用もございますよ。あとは……体臭消しの香水とか、ハーブのポプリとかもおすすめです」
「ポプリですか」
「ご興味ありましたら、使ってみます? 新作の試供品がありますよ」
スレーヴ夫人がメイドに新作のポプリの試供品を持って来させた。シースルーの袋の中には赤茶色の葉や花びらなどがぎっしりと詰まっている。
濃厚だが、匂い自体はやや薄めで胃もたれしない匂い。これならベッドの横に置いて眠ると心地よい睡眠を体験できそうだ。
「これ、頂いても構いませんでしょうか?」
「ええ、どうぞ。レアード様の分もお渡ししておきますね」
「ありがとうございます……! その、良かったらですけど、レアード様の分については包装してもらえないでしょうか?」
このまま手渡しするのもなんだかなと考えたので、包装できないかスレーヴ夫人に聞いてみると、すぐに包装するとの返事が返って来た。
「ありがとうございます……!」
「ええ、王太子殿下が気に入ってくださるといいですわね……! いつお渡しになるのですか?」
「そうですね……いつにしましょう」
この公務が終わって夕方くらいに渡そうか。夜に近い方がいいかもしれない。
「では今晩にでも渡してみます」
「ええ、王太子殿下が気に入ってくださる事と、王太子殿下と王太子妃殿下の仲がますます深いものになる事をお祈り申しております」
「お気遣いありがとうございます……!」
という訳で王宮から戻って事務作業を終えた後の夜。ディナーを食堂で頂き終えてそれぞれ自室へと戻っていくタイミングを見計らってみる。
レアード様ははたしてポプリを渡したらどんな反応を見せてくれるだろうか。楽しみだ。気に入ってくれたらいいな。などと考えたら、心臓の鼓動が早くなっていく。
私の自室がある廊下の近くまで行くと、私とレアード様の2人っきりとなる。歩くスピードを速めると、レアード様の背中がだんだんと近くなっていった。よし、今だ……!
「レアード様ぁ! お待ちしておりましたぁ!」
いきなり物陰から白い帽子を被ったメイドが現れて、レアード様にぎゅっと横から抱き付いた。メイドはレアード様と後方にいる私へとにやりと笑った。そしてそのメイドの顔と発した声に私は吐き気を覚える。
だってそのメイドの顔はアンナのそれで、声も当然ながらアンナのあの、男に向ける猫撫で声だったからだ。
「な、なんで……!」
私はその場から走り去る。だってあんなの……見たくない!
「やめろっ……! 放せ!」
というレアード様の叫びが聞こえてきたような気はしたけど、気のせいだろう……。
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