第6話 契約結婚

 私はレアード様に手を握られたまま、鏡張りのキラキラ輝く廊下を歩く。

 彼に手を握られているのは全然不快じゃない。けど、このまま握られたままでいいのかという思いと、王太子であるレアード様から手を離せば失礼にあたるのでは無いか? という2つの思いに挟まれてしまっている。


 廊下の突き当りのドアが開かれると、そこにはまたも廊下が現れる。それもまっすぐ進むのと右側に曲がるのと2つだ。

 そして左側には部屋に繋がると思わしき茶色いドアがあった。そこをレアード様の侍従らしき男性ががちゃりと扉を開ける。どうやら鍵はかかっていないらしい。


「どうぞ、お入りください。席はご自由に」


 部屋の中はさながら小さな応接室と言った具合か。細やかな花柄のカーペットに茶色い古めかしい机とソファが並ぶ。部屋の奥には小さめな棚と机、金細工で周囲を覆われた楕円形の鏡もある。

 小さな机には紙と羽ペンにインクが置かれているが、そこにはちょっとだけ埃が積み重なっている。


「メアリー、遠慮なく座れ」

「は、はい……失礼します」


 レアード様に促され、入り口すぐの場所へと座った。レアード様は私と向かい合うようにして座る。ソファは少し硬めだけど、それでも座り心地はとても良い。


「とりあえず単刀直入に言おう。メアリー、お前の仕事内容は俺の妃だ」

「へ? 今なんと?」

「聞こえなかったのか? 俺の妃……王太子妃と言ったんだ」


 私の仕事内容が俺の妃……王太子妃? これは一体どういう事だ? 女官としての仕事内容が王太子妃という事なのか?

 レアード様の言葉が全くもって理解できない。


「あの、私女官募集に応募したはずなんですけど」

「勿論そこは把握している。……ああ、仕事内容が王太子妃という意味がわからないという事だな」

「そうです……察しが悪くて申し訳ありません」

「いや、大丈夫だ。正確に言うとお前には俺の妻として「振る舞ってもらう」。もっと言うと王太子妃という役をこなせという事だ。メアリー、お前は歌劇を見た事があるか?」


 歌劇なら幼い頃家族総出でこれまで3度くらい見に行った事がある。歌劇場では貴族は専用の個室付きボックス席に座って鑑賞するのだが、それがまた特別感がして面白いのだ。


「ええ、あります」

「それと同じだ。お前は王太子妃の役をこなせばよいだけの事」

「つまりは、王太子妃のフリをすれば良いのですね?」

「そうだ。期間は結婚から1年。お前が契約延長を望めばその通りにするし、望まなければ新たな就職先を紹介するなりしてお前のキャリアはしっかりサポートするつもりだ。妃と言ったが最初は婚約からスタートする事にはなるが……契約結婚、受ける気はあるか?」

「……」


 私がレアード様と婚約・結婚する事によって何かしらメリットはあるのだろうか? 私からすれば衣食住が完全に保証されるのは嬉しい限りだけど、レアード様からすれば何かメリットがあるのか否かが気になってしまう。


「あの、レアード様は私でよろしいのですか? 私は福利厚生と言いますか衣食住が完全に確保されるならそれで万々歳ですけど」

「俺はお前が良いんだ、メアリー」

「それは嬉しいですけど……なぜ私が良いのかがさっぱりわからず」


 王太子であるレアード様が私を選んでくれた事に対しては素直に光栄だし嬉しいけど……。


「このような役割、メアリーしか果たせないと思ったんだ。それに俺はお前を愛している」

「は? え? なんで……」

「今は分からずとも良い。それとお飾りのハズレ侯爵夫人が俺に見初められて王太子妃になるというシナリオ、とても面白いだろう?」


 ふっとキザに笑うレアード様。確かに今までお飾りと馬鹿にされてきた私だ。アンナやウィルソン様達を見返すには丁度良い。


「確かに面白そうですね。彼らへの復讐にもなりますし」

「そうだろう? ……さて、女官としての仕事内容、受け入れてもらえるな?」


 レアード様がにこりと笑う。そして私の目を真っすぐ射抜くようにして見つめている。そんな表情で見られたら断るだなんて到底無理だし、ウィルソン様とアンナ、社交界で私をお飾りだとかハズレ妻だとかと馬鹿にしてきた人達に仕事内容、いや幸せを見せつけてやったらどのような顔をするんだろう?

 うん、見たいわ。その顔。


「ぜひお受けさせてくださいませ!」

「決まったな。これからよろしく頼むぞ、俺の大事なフィアンセ様?」


 レアード様が立ち上がると私へ手を差し出した。私は彼が手を取りやすいように、彼の元へと近づいてから右手をそっと前へと差し出した。

 握られた手の甲に、そっと彼の唇が触れる。それは温かくて優しい感触だった。


(ウィルソン様とは違う……)


 結婚式での新郎新婦のキスは、今思い返してみると冷たい温度だった。ウィルソン様の唇は冷え切っていて、さっきのレアード様からのキスとは全然違っていた。


「こちらこそよろしくお願いします。王太子様」


 侍従により用意された書類には、この契約に関しての記載があった。それをよく読み、最後レアード様の署名の下に私の名前をサインしたのだった。


「ああ、よろしく頼むぞ? そうと決まればお前が暮らす場所を紹介しないとな」


 ぐっと私の右手を取り、握ったレアード様はそよ風のように軽やかに部屋から出ていく。それを私や侍従達が後を追う。

 廊下をよくわからないままに進んだり、曲がりくねったりするとレアード様の足が止まった。目の前には巨大な茶色い扉があって、扉の前には兵士が2名、門番として立ちはだかっている。


「ここからが王族の私的な居住区画となる。お前の部屋はこの先だ」

「わかりました……」

「門番よ。扉を開けよ」

「かしこまりました、王太子殿下」


 門番によってぎぎぎ……と重たく堅牢な扉が開かれると、そこには金色に輝く廊下が現れた。壁には幾重にも鏡が張られており、天井からぶら下がるシャンデリアは宝石を身に纏っているかのような豪華さだ。日中なのも相まってぎらぎらと輝いている。


「すごい輝きですね……」

「夜も明るいままだからなここは」


 聞けばここは黄金の大廊下と呼ばれているらしい。この輝きっぷりはまさに黄金の名にふさわしいものだ。

 廊下を突き当りまで歩くとまた扉と門番がおり、扉が開かれるとカーペットが敷かれた廊下と左右に部屋へと繋がる扉のある空間が広がっている。


「お前の部屋はここだ」


 入ってすぐの右側の扉をレアード様が開ける。部屋の中は圧巻の広さだった。


「わあっ……! すごい広い……!」


 一言で言うならまるでおとぎ話に出て来るお姫様のいる部屋のよう。天蓋付きの大きなベッドに、シャワールームもお手洗いもついていて更には廊下を挟んで中庭へと通じている。

 こんな絢爛な部屋で過ごしちゃっていいのか? そう思ってしまう位の部屋だ。


「ここで……その、暮らすんですか?」

「ああ、そうだ。部屋はどうだ?」

「すごい広くて素敵です……! まるでおとぎ話に出てくるお姫様のお部屋みたいで……!」

「気に入ってくれたなら何よりだ」


 あちこち見渡していると、ふと、部屋の中にある飾り棚に目が留まった。


「あ、これ……」


 ウィルソン様と結婚した時にレアード様からくれたガラス細工と全く同じものが飾られている。サイズも全く同じだ。


「ああ、メアリーが結婚した時に送ったものと同じだな」

「そうですね……」

(あ、あれは屋敷に置いてきたまんまかも……)

「メアリーはガラス細工好きか?」

「ええ、好きです。透明感があってずっと眺めたくなるくらい」

「そうか。それならガラス細工は幾らでもあげよう。お前が欲しいと願ったものは全て与えてやる。この俺がな」

「え、……え?!」


 レアード様の発した言葉に、頭の中が混乱し始めて止まらない。

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