箱の中身は

@udemushi

第一章:魔獣①

 運は巡るものだ。

 幸運は誰にでも巡ってくる。栄光、栄誉はそれを掴み取る準備をしているかいないかの違い。

 そう信じていた。信じていたし、掴む準備も怠っていたつもりはない。

 更に幸運だったのは、腐るよりも早く運は巡ってきて、自分はそれを掴み取ることに成功したということ。

 自分は実に幸せ者だ。

 そう思っていなければやってられないこともある。


「まいどー!」

 店主の声を背に受け、男は大衆酒場を後にする。外套の裾から生えた足は疲れからか、はたまた酔いからか、ずるずると這うように重くそれでも体を前へ前へと運んでいく。

 路地へ曲がって暫く、男の足は不意に止まった。

 行く手をいかめしい雰囲気の男が塞いでいた。

「通行止めだよ」

「ああ、そりゃすまねぇ……」

 低い声でへらへらと笑って、男は踵を返す。

「まぁ待ちなって。通行料さえ納めてくれれば通れるからよ」

 別のいかめしいのが二人、男の退路を塞いでいた。

「すまねぇ。使う分以上は持たねぇようにしててよぉ」

 外灯の男は苦笑交じりに袖を振って見せる。

「いやいや、別に金で納めなきゃいけねぇわけじゃねぇ。金目のモンならなんだって――たとえば」

 ゴロツキ達は男を追い込むようににじり寄ってくる。一人がぬっと手を伸ばし

「コレとか――」

 そして外套の肩を掴んだ。

「あー……」

 感嘆の声が外套の男から漏れる。同時、ゴロツキの体が宙を舞った。

 絶命こそ避けられたようだったが、大の字で石畳に伏せたゴロツキはそのまま動かなくなる。

「お、おめぇ何しやがった⁉」

「触らねぇ方が良いって、言おうとしたんだがねぇ」

 ゴロツキの恫喝を、男は苦笑のまま受け流す。

「――魔獣か?」

 ゴロツキの片方。最初に男の道を塞いでいた方がはたと気付いたように、重い声で問う。

「おお知ってる?実はここいらで調べてることがあって――」

「だったら遠慮なく使えるなぁ……!」

 ゴロツキはにたりと笑みに口元を歪め、懐から掌大のカードを一枚取り出した。

「ゴズのアニキ、待ってくれよ!まだジギーが――」

「さっさと起こせ。でなきゃお前が担げ」

 血相を変える手下にゴズは冷笑を貼り付けたまま言い捨てる。

「……それか」

 そして札を見留めた途端に外套の男の気配が変わる。それを察したゴズは更に笑みを深めた。

「魔獣持ちは金持ちでもある。アイツの金ごとブン獲れれば、幹部に出世だって見えてくるぜ!」

「――っそうだけど……」

「分ったらなんとかしろ。ビル」

「俺を挟んだら内緒話じゃなくなるだろ?」

 男の面倒そうな声。ゴズはそちらへ視線を戻す。

「ああそうだな。後のことなんざ後で話せばいい」

 そして彼は札を男へ向ける。

「行け!『黒犬ブラックドッグ』」

 ゴズの声に呼応し札は蒼白い光を、次いで暗い夜色の煙を吐き出す。

「またそんなものを」

煙の中から獰猛な気配の痩せた黒い犬が這い出で、汚れた石畳に爪を立てた。

『黒犬』厄災、疫災の前兆。不吉の象徴。

「悪いことは言わない。今すぐにそのこを手放せ」

「怖気づいたか?もう手遅れだ!――行け!」

 ゴズの命令を受け、黒犬が動く。一歩、二歩、出方を窺うように小さくゆっくりと。そして三歩目、石畳を鋭く蹴って爪が浅く傷を作る。

 一瞬。その一瞬の中で跳び掛かった黒犬は男の眼前まで肉迫し

「捕えろ。パーカー」

 その顎に、首に、胴に、脚にヒトならざる腕が絡み付いた。

 イカやタコの触手のような、植物の蔦のような、粘土細工のように無機的な。

 それらはすべて、男の纏う外套から伸びている。

「――な⁉」

「よし。喰うなよ」

 男のものではない腕は、男の意思に添って黒犬を地面に降ろす。自由を奪われた犬は伏せの姿勢を強制される。

 唸る黒犬の眉間に手を置きそっと撫でる。

…………

 次第に黒犬の表情はが和らいでいく。拘束に抗おうと総身に漲っていた力も抜けていく。そして

「パーカー、もういいぞ」

 絡み付いていた腕は滑らかに犬の体から離れ、外套へ吸い込まれていった。自由を得た犬はしかし男に襲い掛かる素振りも見せず、ゆっくりと身を起こしそのまま傍らに座り込んだ。その表情は穏やかで先程までとはうって変わっている。

「な⁉おい何してる、早くそいつを殺せ!」

 ゴズが狼狽し吠えるも、黒犬はそもその声自体が届いていないかのように小首を傾げる。

「碌に躾もしてない奴の言うことなんか聞くわけないだろ」

「……っ!」

 冷淡に切って捨てる男。ゴズは歯噛みし、そして即座に路地を奥へと逃げ出した。

「パーカー、捕えろ」

 石畳に手を着き、男は端的に命じる。

 どろりと、外套が菓子のように溶け地面に垂れ落ちる。――ようにジギーを介抱するビルには見えた。しかし男は変わらず外套を纏ったまま。

進化レボル――『洞咬フォールダウン』」

 地面に触れる男の手から燐光が溢れ、敷き詰められた石畳の隙間をあみだくじのように走り、波紋のように広がっていく。

「――⁉」

 ビルは背筋を冷たいものが這い上がるのを感じた。それは彼に限らなかったようで、男の傍らで大人しく座っていた黒犬も、怯えるように威嚇するように尻尾を丸めながら腰を浮かせ、ジギーは目を覚まし弾かれるように身を起こした。

 居なかった筈の何かが、この場に現れた。

「殺すなよ」

 獣の耳ならば或いは、より鮮明に感じ取れたのだろうか。ゴロツキ二人の耳の奥に、静かに大きなものが蠢き這う本能的に不安を感じる音が木霊した。

 男の空いた片手に撫でられる黒犬も、吠え立てていないだけで落ち着いているようには見えない。

「――っ⁉」

 それは果たして声だったのか。ゴロツキ達の耳が何かを拾う。

 そして数拍の間を置いて、男の手前の壁から兄貴分であるゴズが。まるで建物が彼を排泄したような、ある種の滑稽ささえ感じる光景だった。

「よくやった、パーカー。戻ってこい」

 先程までより幾らか優しい声で男がそう囁くと、地面に着いた手を伝って何かが外套に吸い込まれていった。

 すると路地に満ちていた異様な気配が消え、黒犬もまたようやく落ち着きを取り戻した。男の手が詫びるように黒犬を撫でる。

「さて――」

 男は立ち上がり、転がったままのゴズを雑に蹴って揺り起こす。黒犬は男のハンドサインを受けて、ビル達ゴロツキの元に歩み寄り、正面に腰を下ろした。

「さっきの話を聞く分には、さして何か知ってるってわけでもなさそうだが、一応聞いとく」

 目を覚ましたゴズの鳩尾に指を置き、男は尋ねる。

「あの札、お前らのボスはどこで手に入れた?もしくはどうやって作った?」

 ゴロツキ二人をじっと見詰める黒犬は、見た目こそ同じであるにも拘らず、まるで別の犬のように穏やかな表情をしている。

「知、らねぇ、な……っ」

 ゴズはにたりと笑ってみせる。男は嘆息する。

「おれの連れている魔獣、食性は肉食なんだが――ヒトは喰うと思うか?」

「……」

「食べ方も、魔獣によって色々ある。中には相手の体内に消化液を流し込んで、どろどろに溶かして啜るってのもあるし、消化液の付いた舌で肉を削いで舐め取るってのもあるな。まぁ単純に噛み千切るってのもあるが」

「お、前、調査官だろ?魔獣に人間を襲わせたら――」

「――そうだな。だが、違法使役の現行犯は、護られるべき人間には……含まれない場合がある」

 鳩尾に置かれた男の指が、いやに冷たく感じられた。しかしゴズは意地を見せる。

「やればいい。俺が死ねば手掛かりは掴めないままだ……!」

 外套が落とす陰の中、男の目が細められる。

「意地の張り所を間違えたな――パーカー」

「――え」

 燐光に路地は瞬間仄明るくなり、そしてゴズは浮遊感に包まれる。これで二度目。

 空が、建物が、男が遠退いていく。視界を切り取るようにぐるりと歯が囲う。

 それを何故歯だと思ったのか、理由は後から追い着いてきて

「――ぅ、ああああああっ⁉」

 喰われる。男の連れている何かに。男の語っていた魔獣の食事の仕方が今になって具体的に、瞬間的に頭の中を埋め尽くして、一度目のときとは比較にならない恐怖に、心が蝕まれていく。

 そこには思考など介在し得ない。自分のものとは思えない程に情けない悲鳴が、気付けば喉を引っ掻いていた。

「――おかえり」

 そしてまた、男が目の前にいた。

「――っ⁉……っ、……、……つ!」

 早鐘を打つ心臓は、まるで別の生き物のようだ。気持ち悪い。男から逃れようとゴズは石畳を必死に掻くも、ひっくり返った虫のように、手足をどれ程動かしても男との距離は開かない。

「なん……だ、お、前……っ!」

「なにって、お前も知ってるだろ」

 諭すように男は、再びゴズの鳩尾に指を置く。或いは凶器を突き付けるように。

「魔獣調査官だよ。ただの、な」

 魔獣の密輸、違法販売、不法飼育、並びに魔獣に害を及ぼさせる不法使役、虐待を取り締まる法の番人であり、魔獣の保護、生態調査を行う研究者であり、飼育可能になるまで躾を行う調教師でもある。

「――で、思い出したか?札のことで何か」

 魔獣の取り扱いに於いて、彼等に敵うものはない。

「し、知らないっ!ある程度の階級の奴に配られるってだけだ!あと、札を持ってる間は札から出した魔獣には襲われない、それだけだ!」

 悲鳴じみた自白を男は黙って聞いている。顔は依然としてフードに隠れたままで、目だけが鈍く輝いているように見える。

 或いは男自身が魔獣であるかのような。

「そうか」

 男はそう呟くと同時、ゴズの鳩尾から指を離した。その動きがいやにゆっくりに感じられ、指の感触が胸から離れる刹那、ゴズは身を震わせた。また何か、起こるのではないかと。

「札を。何の知識もなく使っていいものじゃない」

「……っ、ほらよ」

 向けられた掌にゴズは札を置く。男はそれを矯めつ眇めつ検め、懐に仕舞った。

「じゃ、じゃあ、俺らはこれで……」

「阿保言え。こっちのは魔獣の不法使役の現行犯だ。お前等は恐喝。しょっぴくに決まってんだろ」

 ビルが引き攣る顔で精一杯おどけて見せるが、男はそれを冷酷に切り捨てた。

「お前ら自分が憲兵から目ぇつけられてるの知らねぇのか?人相書き貼ってあったぞ」

 三人を立たせ、男は歩き出す。殿は黒犬に、狭い路地は今度はゴロツキ達から退路を奪った。

 路地を抜けると何やら険しい顔の男達が。一人が外套の男に対し領主のシンボルの刻まれた手形を示す。変装した憲兵のようだった。

 男もまた魔獣調査官の証であるペンダントを示し、ゴロツキ達を引き渡す。怪訝な視線を黒犬へ向ける憲兵に対し、彼は事情を説明し連れ帰る旨を伝えた。

「では何か、新しく分かり次第そちらへ連絡をさせていただきます」

 最後にそう憲兵は男に敬礼をした。男は一例だけした後、黒犬を連れて宿へ向かう。

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