第5話 配信③

 異世界へ転移してから半月が経過した日の朝。

 眠気まなこで目元をぐしぐしと擦りながら洗面器で顔を洗い、歯を磨く。

 転移前と変わらず、人間的かつ文化的な日々を送っている。一部の例外を除いて。


「俺は今日も可愛いなっ! ヨシッ!」


 どこかのお猫さまのポーズを取り、意気揚々とリビングへ向かおうと振り返る。


「見なかったことにしますね」


 若干引き気味の表情を隠しきれないルミさんがいた。


「……」


「さあっ! ご飯にしましょうご飯に」


 何とも言えない雰囲気を誤魔化そうとしてくれているルミさんに対してとても申し訳ない気持ちになる。

 やってしまった、と。


 朝食はシーカーとして活動する俺の為に栄養価が高く、量も多いという配慮に満ちたものだ。

 このミニマムな身体に入るのか最初は疑問に思ったが、魔力を多く保有する人はそれだけで普通よりも多く食べなければ逆に痩せてしまうらしい。

 俺だけではなくルミさんも沢山食べるあたり魔力保有量が多いのかと勘繰ってしまうが、人それぞれなので考えるのも野暮だろうと思い、食べることに集中した。


 朝食を食べ終えた後、小休憩をしてから日課を開始する。


「ヤタさん、始めますよー」

「はーい」


 魔力が込められた糸でできているトレーニングウェアを着用し、家の周りを30分程度走る。

 ルミさんからは常に強化魔法をかけながらやるように言われているので30分と言えどその距離は常人の比ではない。

 そんな俺と同じ速度どころか涼しい顔で走っているルミさんは何者なのかと思う。


「少し休憩しましょうか。あれから2週間、強化魔法をかけながらトレーニングをしていますが具合はどうです?」

「始めたての頃より馴染んでる感じがする、かな。少なくとも筋肉痛は明らかに軽減されてる」

「ダンジョンの魔素による肉体の基礎能力向上と魔力を全身に巡らせる制御鍛錬。これらは始めるのが早ければ早いほどいいんです。人の身体は思ったより劣化が早いですからね」

「30超えると一気に衰えてくる……うっ、頭が」

「以前は30代でしたね……」


 ふふっ、と上品に微笑むルミさんに癒やされる。


「今は30どころか子どもらしい言い方が板に付いてきたんじゃないですか? 今日も悪戯を見られた子どものような反応でしたし」

「それはルミさんが子どもの身体だから丁寧な口調は怪しまれやすいって言った……むっ」


 人差し指が唇に押し当てられ、言葉を止められてしまう。


「はい、トレーニング再開しますよ」

「……はい」


 笑顔の圧力が重い。

 思わず身体が強張ってしまった。


 次のトレーニングは前の配信で初披露した"魔力剛拳"、の元となる魔力そのものの実体化と制御だ。

 極めれば手だけでなく、阿修羅の如く何本も腕を作り、それぞれ別々の生物のように動かせるようになるらしい。らしい、というのもこれを完全に極めた人は全世界過去から現在においてただ1人のSSSランクシーカーだというのだから気の遠い話である。

 よって極めるのは人外級の人間くらいなので、俺はせいぜい腕2本までといったところであろうことは想像に難くない。


「ふっ、むうう……」


 魔力の実体化。

 正直これは魔力量に任せたゴリ押しだ。


「まだ力技で制御しようとしてますね。魔力は最小限に、まずは人差し指から少しずつ形作って……そう、そうです。落ち着いてください」


 ルミさんの言葉に合わせ、なるべく魔力量を少なくし、強いイメージをしながら魔力を操作する。

 イメージするのは昔プレイしたRPGに登場したゴーレムの太い腕と岩のように硬い手だ。


「ふーっ! ふーっ! ……もう少し、もう少しだ」


 拳だけなら早く形成することができる。だが、腕ごととなると難易度は跳ね上がる。

 拳は細かな関節制御を捨てた魔力の塊だ。

 手と腕は細かな関節制御を常に維持しなければならず、ファンタジーだが、そう簡単に実現することはできない涙と汗と努力の結晶。

 過程はもはやスポ根のそれである。


「よし、できた」


 手首を動かしてみる。


 ぐるん。


「あれ?」

「回っちゃいましたね。回転させながら使う手もありますが……」


 手首を曲げようとすると回ってしまう。手のひらドリルというやつだ。


「指は……こっちのほうが難しいはずなのにスムーズだな……」

「なんだかちぐはぐですね。今日のところはこの辺にして、また明日チャレンジしましょうか」


 維持していた魔力制御を解き、周囲に魔力を霧散させる。

 今日のトレーニングはここで切り上げ、午後から配信をするために昼間で休憩だ。




 ******……




「どうも、ヤタです。美少女です」


【どうも】

【どうも、びしょ、ん?】

【の、のうき、美少女だ】

【力を追い求める幼女(物理)】


「誰が脳筋ですかっ! 怒るからこっちに来なさい!」


【怒るじゃん……】

【でもちょっと怒られたい】

【お姉さん全身全霊で怒られに行くねっ!】


「ヒェッ、お姉さんは来ないで」


 このお姉さんリスナーどこまでガチなのか分からない。

 ネタであってくれ。


【チーン……おねえさんおうちかえる】

【幼児退行】

【拗ねちゃった】

【ところで今日はどこまで行くん?】

【急な話題転換】


「お姉さんごめんね、冗談だよ……今日は中層の真ん中辺りかなっ。デミスラは狩りすぎちゃって少ないし」


【哀れデミスラ】

【いやあ蹂躙でしたね】


 デミスライムを調子に乗って狩って狩って狩りまくったために次のリポップまで会えない。まあ全面的に自業自得ではあるのだが。


【次はドラゴン系か】

【ドラゴンとは名ばかりのトカゲ】

【所詮はビギナーのドラゴン】

【ビギナーにとっちゃ関門だけどな】

【ガチ引退ゾーンだから気をつけろよー】


「はえー、ガイドブックにも書いてたけど引退者が出る最初の関門なんだねえー」


【お口は閉じてね】

【開けてていいぞ】

【シンプルに火を吹いてくるからな】

【近接系の人はつらいかもね】


 中層に潜む最初に出会うドラゴン。

 ティンダードラゴンと呼ばれるそれの図体は俺の2倍。

 魔法が無い世界であればかなり危険だが、魔素による身体強化と魔法による強化の恩恵を受けられるこの世界であれば致命傷には至りにくい。


 リスナーと他愛無い話をしながら、中層を歩いていると前方に3人組のシーカーを発見。3人の目線の先にはティンダードラゴンが火を吹きながら威嚇しているのが見て取れる。


「あの3人組は協会で見たことありますね。あ、モザイク処理しときます」


 配信用魔道具にインストールされている魔法を遠隔起動し、自分以外の顔にモザイク処理を施す。


【えらい】

【よしよしえらいねー】

【苦戦してるな】

【いうて3人なら行けるっしょ】


「少し後ろで見学しますか。幸い他のモンスターはいないようですし」


 距離をとり、彼らの動きに視線を向ける。


 片手剣に盾を構える男性騎士。

 大きな両手杖を持つ女性魔法士。

 メイスを片手に横合いから殴り込みを入れる女性治癒士。


 おのれハーレムか許せん。


「おのれハーレムか許せん」


【お口からダダ漏れ】

【お、おっさん】

【分かる、分かるけど】

【怒るとこそこなのか】

【自分が美少女兼美幼女であることを忘れた子ども】


「おっと口はチャックですね」


 指で口の端から横へ、スッと動かしてチャックの真似事をする。


【チャック助かる】

【かわいいからオッケー】


 相変わらずノリが良くてこっちも助かる。


 戦いは……あれ? なんかまずくない?


「あれ、大丈夫なんですかね?」


【押されてる】

【よく見たら目え赤い】

【強化種か?】

【は? ビギナーだぞここ】

【でもあれは間違いなく強化種だろ】

【まずいあいつら下手すりゃ死ぬぞ】


 リスナーの反応を見るとやはり様子がおかしい。

 茶化すような雰囲気は微塵も感じられない。


「私、行ってきます!」


【ちょっ、おま】

【落ち着けっ!】

【バカ止まれっ!】


 俺はリスナーの静止のコメントを申し訳ない感情を抱きつつ、全力疾走で3人の元へ向かった。


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