臨界エゴイド

第1話「Heart Beat」

「……だからさー、好きと“推し”って何が違うの!?」

「おっ、また振られたのかい少年」

「あんまり同い年に使わないからな、それ」


 結城ゆうきイロハは購買のエクレアを2個持ちすると、うち一つを僕に投げ渡す。前方の席から飛んできた甘味爆弾は僕の机を滑り、紙パックミルクティーの容器に当たって止まる。不貞腐れる僕を慰めるのに一番有効な物が糖分だということを、彼女は経験から理解していた。


 7月の昼下がり、夏休み前の焦燥。高2にもなれば、花火大会での浴衣デートからの爽やかなアオハル的恋愛を期待する年頃だろう。

 浮き足立つ男たちを制するように、僕は3組の四方田よもださんに告白し、見事に玉砕した。体育祭の合間に撮った距離の近いツーショットの意味は、僕のSNSに率先してリアクションする感情は、好意ではなく“推し”なのだからだという。

 推し、便利な言葉だ。


「諦めなって、最初からそういう対象じゃなかったんだよ。ほら、応援したいけど付き合うのは違う、みたいな……」

「これ以上傷を抉らないで、今ふかーく傷ついてるから!」

「ホントに? 『穂村ほむらくん、憂いを帯びた顔もかわいい……』って周りに思われたいから顔作ってない?」

「うっさ……」


 それはまぁ、多少はある。廊下を通りがかった女子が微かにこちらを見たのを確認し、僕は自然に溜め息を吐く。足取りが止まり、僕の方をじっと見つめている。


「おい八方美人。浅ましいぞー」

「ヤジるな。調子狂うから席に戻りなさいよ。あっ、エクレアは感謝。今度なんか奢るね」

「マジで? 実はさ……」


 自分が“求められている”と気付いたのは、いつからだろうか。

 穂村ほむらワタル、17歳。幼い頃から頭が良かったわけでも運動ができたわけでもない、悪い意味で平凡な人生だった。強いて言えば、「昔から目鼻立ちがはっきりしてよく笑う子どもだった」と両親や親戚から聞かされたのを覚えている。

 実際、笑顔で過ごしていると好都合なことが多かった。よく笑い、素直なリアクションで接すると、周囲に集まる人の数が増えていく。気付けば、僕は人気者として扱われていた。

 そうこうしているうちに、僕は“穂村ワタル”を演じるようになった。他人から求められるキャラクター像を強調カリカチュアし、あえてそのように振る舞う。誰かの望む僕でいないと、すぐに人が離れていくかもしれない。最近読んだ太宰の主人公ほどではないが、僕は道化を演じることで安心しているのだろう。


「……というわけで、一緒に行きません? 嫌なら1人で行くんだけど」

「ごめん、大事なとこだけ聞き逃したかも」

「ウチの話をちゃんと聞けよ! だからさ、気分転換だよ。今週末、星セラの映画とコラボカフェ!」

「……僕とイロハの2人で?」

「そうだよ。傷心のホムホムのために、ウチがデートしてあげようかなって!」

「入場者特典目当てでは?」

「…………バレたかー! そうだよ、悪いか! たまに話聞いてエクレアまで買ってるんだから、これくらいは付き合ってよ」


 冗談めかして笑う彼女のカバンには、『星跨ぎのセラフ』のキャラがデフォルメされたアクリルキーホルダーが揺れている。これも“推し”なのだろうか。


「ミリしらでいいなら、行くよ。いつもお世話になってるし」

「よっしゃ! 初見勢の感想ゲット!」

「……そういう魂胆だろうと思ったよ」


 イロハには、僕の処世術は通用しない。クラス替えで一緒になった3日後に僕が演じる穂村ワタルを刺し貫き、本質を暴こうとしてくる相手だ。今では悪友というか、オタク友達というか。そんな間柄なのは確かだろう。

 それでも、学校の外で会うのは初めてかもしれない。しかも、二人で。満足げに席に戻っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、僕は先ほどの会話を必死に思い起こす。


「……デート?」


 いやいやいや、まさかまさか。イロハはただ自分の推し作品を布教したいだけだし、デート発言だって完全に冗談のトーンだ。ここでまた相手の感情を勘違いしたら、流石に笑えない。

 僕は自分の焦りを笑い飛ばすように、エクレアを一口頬張る。少し甘すぎるかもしれない。

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