第35話 広忠説得

「た……竹千代……なのか? 本当に?」

 

 広忠は目の前の光景が信じきれていないようで、フラフラとしながら立上がる。

 そして、その足取りのまま、竹千代に近付く。

 

「父上。私は本当に、竹千代ですよ。……本当に、お会いしとう御座いました……」

「お……おお! 竹千代! 竹千代!」

 

 広忠は竹千代に抱きつく。

 史実では広忠はもうすぐ死ぬ。

 つまり、わずか六歳で人質にやられてから一度も竹千代と再会することは出来ずにその生涯を閉じたのだ。

 死因は、暗殺とも病死とも言われており、確かなことはわかっていない。

 しかしこの年、死亡していることはわかっている。

 

「ち、父上……いたいです」

「お、おお、すまぬな」

 

 時田は仲睦まじく抱き合う二人を見守る。

 広忠はそんな視線に気が付き、我に返り、竹千代から離れる。

 

「……ふぅ、さて、たき殿。事情を説明してもらおうか」

「ええ。もちろんでございます」

 

 時田は頭を下げると、改めて自己紹介を始めた。

 

「私、斎藤家家臣、明智家に仕える侍女、時田光と申します。明智家の遠縁にも当たる帰蝶様の輿入れに際し、私も織田家に参りました。美濃国の国主、斎藤利政様より帰蝶様を守り、織田信長がどのような男か見極めよと、美濃国に送られた只の侍女でございます」

「その風貌……只の侍女には見えぬが……その見た目ならば、戦災で全てを失った商人の方が納得が行くぞ」

 

 その広忠の言葉に時田は笑う。

 

「ふふ、はい。私もそう思います。ですが、戦でこの体になってしまったのも事実。そして、何故か利政様に気に入られてしまい、その事を聞いた帰蝶様の嫁ぎ先の信長様からも気に入られました。更に信秀様からも何故か注目され、広忠様の暗殺を命じられました」

「……何? 暗殺だと?」

 

 広忠は目で刀の場所を確認する。

 それを理解した時田は敵意は無いことを伝える。

 

「いえ、ご安心下さい。暗殺するつもりなら、竹千代様を連れてきてはいません。これは、私の独断です」

「……それもそうだな。詳しく聞かせてもらうぞ」

「無論にございます」

 

 時田は続ける。

 

「信秀様から、広忠様暗殺の命を下されるよりも前に竹千代様と知り合い、不思議と仲良くなりました。私は、出来れば人を殺したくないのです。それ故独断でこの行動を取りました」

「……何故、信秀殿が侍女であるお主を使ったのかは気になるが……お主は結局何をしたいのだ? 松平家に寝返ろうという訳ではあるまい?」

 

 時田の所属はあくまで斎藤家である。

 今は織田家にいようとも、時田はそのつもりであった。

 事実、時田が竹千代を連れて松平家に寝返れば織田家と斎藤家との同盟関係が揺らぎかねないのだ。

 

「はい。実のところを申しますと、信長様も全面協力してくださっております。それに、於大の方様のいる久松家、それに加えて酒井忠尚様がご協力を約束してくださっております。私は広忠様には、表向きには死んだ事にし、どこかに隠れ住んでもらいたいと思っております」

「……それは出来ぬな。儂がいなくなれば、松平家はどうなる。家臣達は? 見捨てることは出来ぬ」

 

 広忠のその返しは、時田にとっては予測済みであった。

 

「しかし、私の暗殺が失敗したとあれば、信秀様は広忠様が死ぬまで刺客を送り続けるでしょう。そうなっては、残されるのは幼き竹千代様のみ。それこそ、松平家の存亡の危機です」

「……しかし儂がいなくなった後の松平家はどうなる? 誰かがまとめねば……」

 

 広忠は考えを巡らせる。

 時田はしばらく考えると、竹千代に聞こえないように広忠に近付き、呟く。

 

「……支配者を失った三河の主の座を巡って争いが起こるでしょう。しかし現状、松平家は今川に組しています。三河の主権は今川の手に渡るでしょう。ですが必ずや竹千代様が三河に戻り、今川の支配を脱します」

「……何故わかる?」

「……分かります。広忠様。今川が直接主導し、大軍を投じれば西三河の織田家は為す術無く敗退するでしょう。今川はその場で得た人質を使って竹千代様と交換し、松平家臣団をそのまま勢力下に収めようとするでしょう。そうすれば、松平家は取り敢えずは安泰です。しかし、これは只の侍女の戯言。その結末にする為にも、誰か、自由に動ける者が竹千代様を陰ながら支えなければなりません。私はいつまでも竹千代様の側いることは出来ません……」

「……」

 

 広忠はしばらく考える。

 そして、口を開いた。

 

「暫く、考えさせてくれ」

「……分かりました。竹千代様。暫くお父上と共に居て下さい。家族の時間を、どうぞ」

「……ありがとうございます。尾張からここまで、本当に感謝しております」

 

 竹千代は頭を下げると、広忠の下に駆け寄る。

 広忠も眉間にシワを寄せ、頭を悩ませつつも竹千代の頭を撫でていた。

 

「……広忠様。分かっているとは思いますが、竹千代様をこのまま松平家にお返しするわけには行きません。広忠様の選択が、今後竹千代様と過ごせるかどうかかかっています。では」

 

 時田は頭を下げ、その場を後にしようとする。

 

「待て」

 

 すると、広忠に呼び止められる。

 振り向くと、広忠は頭を下げていた。

 

「……お主の申し出、未だに結論は出ぬ。が、竹千代をここまで連れてきてくれた事、誠に感謝申し上げる。本当に、ありがとう」

「……いえ、暫くは親子の時間を過ごしてください」

 

 時田は今度こそ、その場を後にする。

 部屋の外には大須賀康高と榊原長政が待機していた。

 

「で、結果は?」

「……まだ何とも」

 

 康高の問いに時田は答える。

 時田は二人がいる部屋を見つつ、口を開いた。

 

「……では予定通り、広忠殿が拒んだ場合は……」

「ええ、無論……」

 

 長政が冷たい眼差しを二人の部屋へ向ける。

 

「迷わず、広忠を殺します」

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