第29話 卑劣な行為


「良いことですね。私の母も父のために普段から手料理をふるまっていますよ。私も乳母ではなく母に育てられましたし」


「あ、そうなんですか……優しいお母様なんですね」


「そうなんです。母は父よりも高位の家から嫁いできたんですが、ちゃんと夫を立てることを忘れない妻の鑑のような人なんです」


「……」


 話の内容がなんだかおかしい気がして、エリザは相槌を返さず首をかしげる。

 これまでこんな風に個人的なことを話したことがなかったから分からなかったが、クロストは意外と空気を読まず喋りたいことを勝手にしゃべるタイプなのかもしれないなと、こっそり苦笑する。


 そんなエリザの微妙な表情に気付くことなくクロストは勝手に女性の役割だとか責務だとかをペラペラと語っている。


「貴族の女性はこうあるべきだと母を見ていると思うんです。なによりも尊い責務を女性は追っているわけですからね」


 ここまで言われて、そういえば、この人は元から女が魔法師団に所属していることを快く思っていなかったんだったと思い出した。

 この脈絡のない話は結局ここにつなげるつもりで話していたのかと気づいて一気に気持ちが暗くなる

 エリザにも何度となく辞めるよう言われていたのに、態度が軟化していたから油断していた。


「エリザさんはもうお金を稼ぐ必要はなくなりましたよね? 今回の件でさすがに懲りたのではないですか? これを機に、師団を辞めて貴族令嬢としての責務を果たしては?」


「……クロスト補佐官の言う、責務とは結婚と出産のことですか?」


「当たり前でしょう! 優れた魔力を持つ女性は、より多くの子を産み、その才能を次世代に引き継がねばなりません」


「それは補佐官の考えであって、私はそうは思いません。魔力の強さは必ずしも子に引き継がれるものではないし、魔力のために結婚する貴族の価値観は、私には受け入れがたいです」


 魔力を持たない貴族の子がどのような扱いを受けるのかは、フィルを見て嫌と言うほど知っている。

 魔力がなければ家の子と認めない貴族の風潮をエリザは忌み嫌っていた。

 だからきっぱりとクロストの意見を突っぱねる。

 きっと言い返したら激高するだろうなと分かっていたが、案の定彼の表情が一変した。


「まだそんなことを言っているんですか!? そうやって意地を張って師団で働き続けた結果が、恋人の裏切りと冤罪でしょう! 疑いは晴れても一度広まった悪い噂を消すのは不可能です。あなたは魔法師団で働き続ける限り、誰とでもすぐ寝る女で地下組織に情報を売った犯罪者だと言われ続けるんですよ。だからこの期にすっぱり辞めるべきだ!」


「噂は事実無根だと証明されています! それでも信じると言う人は、理解力が乏しいとしか私は思いません!」


 だから辞めるつもりはありません、と言いクロストを睨みつける。

 彼がどのような主義主張をしていても構わないが、それを他人に押し付けないでほしい。しかも辞めろなどと言われる筋合いはない。

 コーヒーはまだカップにだいぶ残っていたが、これ以上不毛な言い争いをしたくないので、「ごちそうさまでした!」と言い捨ててカップを持って椅子から立ち上がった。


「……っ!?」


 視界がぐるんと回って膝から崩れ落ちた。立ち上がろうとしても手足がぐにゃりと溶けたみたいで力が入らない。

 もがいているうちに息があがってきて、胸を押さえてうずくまった。


 貧血や過労などではない。明らかに異常な状態だ。

 床に転がるカップが目に入る。


 半分ほど飲んだコーヒー。

 クロストが手ずから淹れてくれたもの……。


「……っなにか、盛りました?」


 補佐官が自分に毒を盛る理由なんてないはずだ。けれど、今のこの全ての状況がそうであると告げている。

 グラグラと揺れる頭を気力で持ち上げ、クロストを睨みつける。

 彼は無表情で微動だにせずエリザを見下ろしている。


「少量でよく効くというのは本当のようですね。体に力が入らなくなるのですか? 息が上がっていますが、興奮が高まっている感じはありますか?」


「な、なにを……」


「地下組織から押収した例の薬物ですよ。コーヒーに少量混ぜてみました」


「……!」


 押収品を勝手に持ち出した上に、危険なものだと知りながら騙して人に飲ませるなんて、一発で懲戒処分になりかねない違法行為だ。どうしてクロストがそのような暴挙に及んだのか。


「貴族たちが危険を冒してでも手に入れようとしていたのは、この薬を少量接種しただけで、意識が朦朧とし性的な興奮が高まる作用があるからだそうです。薬が効いているあいだは記憶が曖昧になるため、貴族の夜会で『そういう目的』のために使われていたようですね」


 エリザも調書で読んだので知っている。

 お互い同意の下使うのではなく、何も知らない女性を夜会に連れてきて、薬で酩酊させて凌辱するという行為が一部の貴族のあいだで行われていたらしい。記憶が曖昧になるため被害を訴える者がほとんどいなかったため、これまでずっと野放しにされていた。


「そ、んな、危険なものを……私に飲ませるなんて、どういうつもり、ですか」


 それをわざわざ告げてくるクロストの異常さに、危機感が高まってくる。

 まさか……とこれから起こり得る可能性が頭に浮かんで考えて背筋に冷たいものが走る。自分がそういう対象に見られているとはこれまで感じたことがなかったため、この期に及んでまだ何か別の理由を探そうとしていた。

 だが、クロストが愉悦を抑えきれないような笑みを浮かべているのを見て、一気に恐怖心が襲ってきた。

 死の恐怖よりも気色悪く恐ろしい。這うようにして必死に逃げようともがくが、その前にクロストに腕を取られた。


「私だって本当はこんな手を使いたくなかったんです。でもあなたはどうしても魔法師団を辞めないと言う。あなたがもっと素直になってくれたら、もっと優しくできたのに」


 つかんだ腕を床に押し付け、のしかかってくる。

 ここまでくればもう否定しようもない。クロストは、エリザを凌辱しようとしている。

 そしてそれがエリザを魔法師団から追い出すための手段だとするのなら、これ以上ないほど最低なやり口だ。


 もしエリザが被害を訴えても、すでに男性関係の悪い噂があるため不利になる可能性が大きい。ただでさえ地下組織との関係を疑われ問題を起こしていた自分と、師団長の右腕として信頼も厚いクロストとでは、彼のほうに分がある。

 下手をすれば、上官相手に揉め事を起こした責任をエリザが問われる可能性だってある。

 だからと言って自分を凌辱した相手と同じ職場で働き続けられるわけもない。

 泣き寝入りして逃げ出す以外道がないと分かって、そうまでして自分を辞めさせたいのかと怒りがこみ上げる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る