第27話 諜報員


 夕食のメニューを当てるくらいの気軽さでエリックの秘密を口にすると、彼は一瞬目を見開いたように見えたが、動揺は見せず薄く笑うだけだった。


 魔法師団の諜報員。特殊工作部隊、通称『赤狗』


 表の部隊とは別に、秘密裏に動く部隊が存在する。

 赤狗は魔法師団のなかでも隠された部隊で、同じ師団員であっても関わることはない。顔を知らないのはもちろん、赤狗が何人存在しているかというのすら、通常の団員は知らされていない。その理由は、彼らが潜入捜査官であり、その捜査対象は身内である魔法師団も含まれるためである。

 先ほどの師団長の話と状況的に、エリザに監視が付けられていたのは間違いない。それに気づいた時、ようやくエリックの存在が腑に落ちたのだった。


 エリックは無表情でそれを聞いていたが、ふっと苦く笑うと肩をすくめていつもの軽い口調でエリザの言葉を肯定した。


「あーあ、ばれてしまったか。ただのヒモ男が、侵入者を簡単に捕まえてしまうのはさすがに不自然だったかな。でもいい証拠だから侵入者は捕まえておきたくてね。最後まで騙し通したかったんだけど、失敗したな」


「いえ……最初から不自然さはありました。その理由が今分かっただけです」


「なんだ、最初から疑っていたのかい? 驚いた、ホームレスになったヒモ男を上手く演じられたと思ったんだがな」


 確かに彼の演技は完璧だった。やる気のないヒモ男という設定に違和感はなかった。あれが演技だなんて疑う理由は少しもなかった。


「演じているとは思いませんでした。でも、見た目の汚れ具合に対し、あなたからは体臭がほとんどしなかった。だからわざと服を汚してホームレスらしく見せているのではないかと、あの時思ったんです」


 汚れた衣服とすり減った靴。爪先が真っ黒に汚れているのを見て、最初は本当に公園で寝泊まりしている浮浪者なのだと思った。

 だが、エリザも任務で野営をして何日も風呂に入れないこともあるから分かるのだが、数日風呂に入らないだけで人は臭うのだ。だからあれだけ服や手足が汚れているのに体臭がしないなんてことはありえない。

 必要以上に服や手足を汚しているだけで、本当は路上生活をしていないのではとあの時点で疑いを持っていた。


「最初から疑っていたのに、どうして僕の話に乗ったんだい?」

「どういう目的で近づいて来たのか確かめたかったというのもありますが……まあ少々捨て鉢になっていたから、どうにでもなれっていう気分だったんです」


「どうにでもなれと言う割には、居室のドアに守護魔法を常にかけて警戒していたよね。不在時に僕がカギを壊して侵入するのを警戒していたんだろう?」


「そうですね。でも魔術師のあなたには無意味でしたね。破ってもかけ直せますから、私には気づかれないでしょう」


 さすがに魔術師だとは思っていなかったから、彼の意図を探るため色々な術を室内に駆けていたのだ。結局それも全て彼の手のひらだったかと思うと自分が情けない。


「……騙すような真似をして悪かった、と思っているよ」


 少しうつむいてエリックは謝罪を口にした。

 謝られるとは思っていなかったため正直驚いたが、どう返答すべきか分からなくて黙って目を逸らした。彼は任務を遂行しただけで、本来謝る必要などないのだ。だから謝る必要などないと言うべきなのに、彼と過ごした日々が思いだされて受け流すことができずにいる。


 最初から、不自然で疑惑を持ったまま始まった関係だった。

 けれど一緒にいる時間が増えるほど、彼を信じたい気持ちになっていた。最初に感じた違和感はずっと心の中で引っかかっていたのに、本当に住むところを求めて転がり込んできたダメ男だったらいいのにと願ってしまっていた。

 フィルにこっぴどく振られたあの夜、疑わしくても受け入れたのは、本当のおかげで最低な気分から救われたからだ。

 厳しい言葉も、温かい食事も、全部彼の優しさのように感じていたが、潜入捜査なのだから人の心を掴んで油断させるための人心掌握術に過ぎなかったのだろう。

 当たり前のことなのに、あれが全て偽りだったと知ってひどく絶望する自分がいた。それほどまでにこの人に心を寄せてしまっていたことに気づいてしまって、胸が苦しくなる。


「……仕事であれば、仕方ありませんよ。それで、まだ私の調査は必要ですか?」


「いや、もう完全に君の潔白は証明されている。だからこそ、あちらがエリザさんに仕掛けてくるのを予測できたんだ。決め手はあの香水だよ。あれがあったから、今回あちらの動きをつかめた」


 以前にフィルが渡してきた香水が、実は例の薬物が含まれている商品だったと言われ驚く。エリックはあの時、市販品のように言っていたが、一般的には出回らず一部の貴族のあいだだけで流通していたものだと一目見て気づいたらしい。


「最初の計画ではあれを証拠として見つけさせるつもりだったんだろう。でも僕が古物店に売りに出したんだよ。すぐに組織の人間がそれを見つけて買い取っていったから、そこから彼らの足取りを追ってアジトを特定することができたんだ」


 潜入捜査した甲斐があったよと言われ、あいまいに頷く。

 

 エリザにかけられている疑いの全ては、組織が捏造したものだと今回の捕り物で証明されたので、完全に潔白だと証明されているとエリックに言われるが内心は複雑だった。


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