第9話  だから信じていたかった


「さあ食べましょう。僕ね、割と料理は得意なんだ。何故だか分かります? 料理ができるヒモは重宝がられるんですよ」


 得意げにヒモ論を語る男にあきれるばかりだが、料理はそれなりに美味しそうだ。保冷庫にろくな在庫がなかったはずなのに、目の前のテーブルには干し鱈のトマト煮込みやえんどう豆のサラダが並び、美味しそうな匂いを漂わせている。


「酒も出しましょうか?」


 どこからか探し出してきたサクランボのリキュールを手に持っている。


「いえ、私お酒は飲まないので。でもエリックさんが飲みたいならどうぞ」


 菓子作りに使うために買ってあっただけで飲むためのものではない。そう答えると男は意外そうな顔をしたが、それ以上は何も言わずに酒瓶を片づけていた。勝手に飲むかと思ったら家主の趣向に合わせるのかと、ちょっと男を見直した。


「いただきます」


 スプーンで煮込み料理を口に運ぶと、素朴な味付けでとても美味しい。大鍋で作る家庭料理といった味で、確かにこういう普通の料理が作れるのであればそれなりに重宝されるだろう。

 飼ってみて損はさせないと売り込んできただけのことはある。

 そんなエリザの考えが透けていたようで、男はこちらを見て得意げに笑っている。


「お望みなら毎日エリザさんのために料理を作って帰りをお待ちしておりますよ。どうです? ちょっと食い扶持が増えますが、金をせびるだけのクズよりよっぽど養い甲斐があるでしょう」


「そうね……教科書代だの研修だのと言ってだんだん請求額が増えていく人よりよっぽどお金がかからないわ」


 エリザが自嘲気味に言うと、男はハハハと可笑しそうに笑う。


「それにしても、あなたのように聡明な女性がどうして甘んじてクズ男の金蔓に成り下がったのか疑問です。最初はともかく、請求額が増えていく不自然さに気付かなかったわけじゃないでしょう」


ちょっと調べればそんな金が必要か否か分かるだろうと言われ、エリザは図星を突かれてうぐ、と変な声が漏れる。


「おかしいな、って思わないわけじゃなかったけど、フィルを信じていたかったのよね。小さい頃から知っている間柄で、お互い信頼関係で結ばれていると思っていたから」


 フィルは自分には魔力がないと鑑定された時から、不遇の時を過ごしてきた。それでも己にできることを模索し未来を切り開こうと努力し続けていた姿を知っているからこそ、エリザも彼の力になろうと協力してきた。


 だから信じていた……と言えば聞こえはいいが、実際のところは目を逸らしていたにすぎない。

 随分前からおかしいと感じてはいた。

 フィルからの手紙が途絶えがちになってきた頃から、会うたびにフィルの服装がだらしなくなり、家に行くと室内が酷く散らかって酒と葉巻の匂いがこびりついている。勉強道具はいつの間にか部屋の隅に追いやられ埃をかぶっている有様。

 とても士官を目指す者の生活には見えない。


 魔力が無く、貴族籍も失ったフィルが身を立てるにはもう士官の道しか残っていないと本人が一番分かっているはずだ。だからこそ、フィルの変わりようを見ても、一時の気の迷いだろうと考え、問い詰めるようなことはしなかった。


 その結果が『お前は金蔓』発言につながるのだから笑えない。

士官学校を辞めて金蔓を捨てた時点でもう彼は人生終了したも同然のはずなのに、どうしてあんなに余裕の表情をしていたのか分からない。


「それにしても、ずいぶんと言われ放題にさせたんですねえ。強いと自称しているのに暴言を吐かれて突き飛ばされても抵抗しないなんておかしいな。どうしてあなたはそんなに言いなりなんです? 何か弱みでも握られているのかな」


「弱みって、そんなものないですけど。いや、しいて言えば惚れた弱みでしょうね。反論も抵抗もできなかったのは、私、彼の前では普通の女の子でいたかったから、あんな場面でもまだ見栄を捨てられなかったんでしょうね」


 素直に、惚れた弱みだと白状すると、男は答えが分かっていたと言わんばかりに鷹揚に頷く。『普通の』と言葉を濁したが、フィルの前では無理にか弱い女の子の振りをしていた自覚はある。師団長が見たら、何を可愛い子ぶってるんだ気持ち悪いと言われただろう。

恥ずかしい真似をしていたなと改めて思い、ひっそりと羞恥に悶えた。




 魔法師団に入団してから、エリザの生活は180度変わった。


 魔術だけで戦うものかと思っていたが、肉弾戦になっても対応できるようにとあらゆる格闘技を叩き込まれた。現場に出るようになれば、敵と命のやり取りをする戦いになることもしばしばで、日常というものを忘れてしまいそうになる。

荒事の任務が続くほど、どんどん自分から女性らしさが失われていくことに危機感を覚えていたから、恋人には昔のままの姿でいたかった。


「どうかな。君は自分の見栄だと言うけれど、本当は彼のプライドを傷つけないように『普通』を演じていたんでしょう? 魔力無しで捨てられた彼に対し、君は魔法師団のほうからスカウトされるほど有能だ。彼のコンプレックスを刺激しないようにそう振る舞っていたのでは?」


 エリックからの指摘に、熱かった頬がすっと冷えていく。

 確かにフィルは昔からエリザが仕事の話をするのを嫌がった。でも失敗談や怒られた話は積極的に聞きたがったので、きっと彼はエリザが昔のまま何もできないか弱い女の子のままでいてほしいのかなと勝手に予測して、そのように振舞っていた面がある。


「……本当に痛いところを突くのね。でも別にフィル自身は魔力がないことを受け入れて前向きに頑張っていたわ。私が勝手に気を回していただけ。ああ、でもそれが逆に彼のプライドを傷つけていたのかしら」


 空になった皿をつつきながら考える。


 

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