第5話 私は強いから



「へえ、立派な家ですね。使用人部屋があるわけだ」


 男は立派だと言ったが、一人で住むには広いというだけで、屋敷とも言えない普通の家だ。親が王都滞在の際に使う別宅で、今はエリザがひとりで使わせてもらっている。


「部屋に入る前に、そちらのバスルームで汚れを落として。着替えは使用人用のお仕着せがあるはずだから」


 泥がこびりついた服で家の中をウロウロされてはたまらない。男をすぐに使用人部屋の浴室へ押し込んだ。

 長らく使用していない使用人部屋は、うっすらとほこりが積もっていたが、これはもう本人に掃除してもらうしかないだろう。


 使用人部屋のリネンを引っ張り出していると、浴室から男がサッパリした様子で出てきた。


「……誰?」


 ひげを剃って洗った髪を後ろになでつけている男は、さきほどまでの浮浪者とはまるで別人だった。薄汚れすぎて年齢不詳だったが、ひげを剃ると思った以上に若く見え、整った容姿をしていた。


「ああ、久しぶりに風呂に入ったらすっきりした」


 月明かりの中だったし、無精ひげと汚れのせいで年齢が分からずにいたエリザは、勝手に中年男性くらいを想像していたため、思いのほか若い男性だったことに戸惑いを覚える。

 


「あなた……そんなに若いのにどうして物乞いのような真似をして路上生活をしていたの? その年で健康なら定職につくのも難しくないでしょう」


「そんなの、働きたくないからに決まっているでしょう。何を言っているのやら。それにずっと公園住みしていたわけじゃないさ。ちょっと前まで寄生先があったんだけどね、勝手に飼い主様のおやつを食べたら怒って追い出されてしまったんだ」


 確かにこの容姿ならヒモとして生きていたと言われても納得である。

 しかし、その飼い主のところも追い出されて路上生活を余儀なくされていたのだから、プロのヒモだのなんだのと言ってもやっぱりろくでなしなんだろう。以前もどこかに寄生して生きていたらしいと聞いてエリザは鼻白む。


「ところで、あなたの名前すら聞いていなかったわね」


「名前? えーっと、どうしようね。じゃあエリックとかにしようかな。うん、僕はエリックと申します。以後、お見知りおきを」


「しようかなと言っている時点で偽名なんでしょうけど、まあいいわ。よろしくエリック。私はエリザよ」


 それだけ言って男にリネンを渡して、エリザは使用人部屋を後にした。


 部屋で一人になると、今更ながらどうしてあんな不審者を拾ってしまったのだろうと後悔の念が襲ってくるが、それでもきっとあのまま一人ぼっちで家に帰ったら、きっと孤独に耐えられなかった。

 間違ったかたちでの現実逃避かもしれないが、今はフィルのこと考えたくなくない。

 堂々とクズを自称するおかしな浮浪者に煩わされているほうが、辛い気持ちを忘れていられるような気がした。


 実家の持ち家であるため造りは立派だが、王都滞在中に使うだけの別宅であるから絵画や美術品の類はひとつも無いし、エリザ自身は給金のほとんどをフィルに渡してしまっているので、お金は日々の生活費が手元にあるくらいだ。

 男は当てが外れたと思っているだろうか。いや、衣食住が与えられるならどこでもよいと考えていそうだ。

 使用人部屋から家人の主寝室へは鍵をかけられる扉があるし、身の危険は心配していない。あのクズを自称する男は、飼ってみて後悔させないなどと嘯いていたが、どのようなメリットを示してくれるのか、少し興味深く思っていた。



 ***



 あんなことがあって眠れるわけがない。

 そう思いながらベッドに入ったはずだったが、翌朝朝日と共にすっきりと目が覚めたエリザは、己の図太さに少しだけ落胆しながらベッドから這い出た。

 職務上、どんな場所でも休息を取れと言われれば短時間眠って体力を回復させられるよう訓練をしているせいか、こんな時でもちゃんと眠れてしまう自分がちょっと嫌だなと思ってしまう。


「今日も休みにしたけど、無駄になっちゃったわね」


 フィルの誕生日の翌日も休みを取ったが、全くの無駄であった。無理を言って連休を取らせてもらったのに、こうして何もすることが無くなって虚しさばかりがこみ上げる。

 

「仕事に行こうかしら……」


 報告書など事務仕事は後回しにしていたため、溜まった書類があることを思い出した。

 どうせ暇を持て余していても嫌なことを考えてしまうだけだ。

 そう考えたエリザは仕事に行くことにした。

 隊服に着替え、厨房で林檎を齧っていると使用人のお仕着せを着たエリックが起きてきた。


「エリザさん、おはよう。ずいぶん早いんだね。おや? その制服は……」


 男が隊服を見て、男が眉をひそめた。それはそうだろう。これは陸軍のなかでも特殊な部隊、魔法師団が着る特殊な隊服である。

 陸軍に所属する女性は男性に比べて圧倒的に少ない。その上、魔法師団となれば更に珍しい。少なくとも、昨日は可愛らしいワンピースを着ていた女が隊服を着て現れれば誰でも驚くだろう。


「ああ、私、魔法師団で働いているの。仕事に行ってくるので、エリックさんは自由にしていて。保冷庫とパントリーの中のものは勝手に食べていいから」


「ははあ、なるほど。だから『私は強い』ということですか。それは納得だ」


 魔法師団に勤めているからには、魔術が使えるのは当然で、他の軍人と同じく特殊な体術も仕込まれているから物理的にそこらの男よりも強い。

 エリザは細身で童顔のため、ぱっと見強そうには見えないから、職務ではその見た目を生かして覆面捜査や潜入捜査などに駆り出されることも少なくない。


「そういうこと。だからエリックさんも我が家で悪いことできないわね。軍には諜報部もあるから」


 私用で諜報部員を使えるわけはないが、冗談のつもりで口にすると男は肩をすくめて怖いねえと笑ってみせた。

 悪いことをするつもりはないのか、ただ肝が太いのか分からないが、師団の人間だと知っても諜報部の話をしても男は怯える様子もない。


 そのことに少し違和感を覚えつつ、エリザは家を出て職場へ向かった。

 




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