第17話 私の推しへ

 栄典授与も終わると、皆で別のホールに移動して立食パーティーになった。

 こういう場に慣れている貴族の方々はワイングラス片手におしゃべりをしたりしているけれど、私は貴族ではないのでここにいても場違いだ。


「……ねえ、さっき男爵位を授与された騎士様、素敵だったわね」


 こっそりはけようかと思っていたら、令嬢たちの声が聞こえてきた。私より年下だろう彼女らが話題に挙げているのがフィルだとすぐに分かり、つい耳をでかくして立ち聞きをしてしまう。


「平民出身とのことだけれど、思っていたよりも顔もよかったわね。お父様にお願いしたら、縁談を持って行ってくれるかしら」

「でも、いくら爵位授与されても平民でしょう?」

「それがいいのよ。自分が平民上がりだと分かっているから妻に対して弁えて、浮気などをせずに奉仕してくれるはずだもの。絶対に彼、優良物件よ」


 う、うーん……婚活に熱心なお嬢さんたちみたいだけど、ものすごくあけすけだな……。

 そりゃあ確かに結婚するなら偉そうな人よりは物腰が柔らかくて尽くしてくれる人がいいけれど、彼女たちはフィルの見た目と地位だけを見て彼本人を無視しているようで、聞いていてちょっと複雑だな。


 令嬢たちはどうやらフィルからダンスに誘ってもらいたがっているようで、「どこにいるのかしら?」と目を皿のようにして優良物件探しをしている。……フィルのことだから、こういう人たちをうまくかわしていそうだけど、そうだったら私も彼を探しにくくなってしまう。


 さて、どうしようか……と思っていたらにわかに、左の手首あたりがひんやりとした。近くのテーブルにアイスクリームでも置いていたのだろうかと思ってそちらを見るけれど、何もない。


 ……よく見ると、私の左手首にうっすらと青白いモヤのようなものがかかっていた。これ、氷属性魔法だ……!


 慌ててあたりを見ると、私の左手のモヤが人混みを掻き分けてどこかにつながっていた。急ぎそれを追うと、モヤは会場の外に続いていた。


「フィル?」


 ドアを開けて廊下に出ると、シッという音が。横を見ると、柱にもたれかかるような格好のフィルが。


「来てくれてありがとうございます。あの人混みの中だと、探すにも探せなくて……」

「フィル! よかった、やっぱりあなただったのね!」


 氷属性魔法だからきっとフィルだろうとは思っていたけれど、実際に彼の姿を見られてほっとした。


 さっきは斜め後ろから見ていたから分からなかったけれど、今日のフィルはめいっぱいおめかししていた。

 暗がりの中でも白銀色の鎧がきらきらしていて、とてもきれいだ。なるほど、ご令嬢たちが一目惚れするのもよく分かる美男子っぷりだ。


 フィルは右手で払うような仕草をしてモヤを消すと、自分の胸に手を当てる騎士のお辞儀をした。


「……約束どおり、帰還しました。諸々のことがあって、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「っ……いいのよ。あなたたちが全員無事だったってのは聞いていたのだから」


 近くでフィルを見て、声を聞いて改めて、彼が無事に帰ってきたのだと実感させられるので、喉の奥がひりつくような感覚になった。


「魔物討伐遠征もそうだし、元王太子のことも……全部、終わったのね」

「はい。僕も即位したカイ陛下の姿を見て、ああ、ちゃんとできたんだなってほっとしました」

「何を言っているの。遠征先で参謀騎士として大活躍したって噂じゃないの」

「いろいろな作戦が、偶然うまくいっただけですよ。別に、僕一人の力じゃないです」


 謙遜しているのか本気で思っているのかフィルはそう言うけれど……私は、知っている。

 漫画の展開よりもずっといい形で物語を締めくくれそうなのは、フィルがいたからなのだと。


 フィルは静かに微笑んで、そっと私の手を取った。


「……あなたの着飾った姿、初めて見ました。とてもお美しいです」

「あ、ありがとう。あなたも、その……すごく素敵だなって、式典のときから思っていたわ」

「そう言っていただけるなら、このガチャガチャした鎧を着た甲斐があったというものです」


 フィルの言い方からして、彼はこのきらきらしい鎧があまり好きではないようだ。どちらかというと質素堅実な人だから、実用性より見栄え重視の鎧はお気に召さないのかもしれない。


 フィルに手を取られて、私たちは庭園に出た。歩きながら行く先がだいたい読めていたので、つい噴き出してしまう。


「やっぱり、ここに連れて行かれると思ったわ」

「おや、僕の考えていることなんて筒抜けでしたか」


 フィルは笑い、出征式典の日にも訪れた庭園を見渡した。今日も、あたりに人影はない。


「……不思議な気持ちです。家族を養うためだけに騎士になった僕が男爵になり、騎士団長になるなんて」

「すごいことじゃない。やっぱり、カイ陛下の推薦なの?」


 フィルがつぶやいたので尋ねると、彼ははにかんでうなずいた。


「それに、魔物討伐遠征に一緒に行った者たちからも推されてしまいました。前の騎士団は元王太子の息がかかっていたので、僕が旗頭になって新しい騎士団を作ってほしい、と言われました」

「素敵な話ね。あなたならきっと、リール王国の新しい騎士団を作っていけるわ」


 フィルに任せれば間違いなしと分かっているので太鼓判を押すと、フィルは苦笑した。


「そうだといいですけれどね。……カイ陛下も皆も知らないでしょうが、僕は国のためとかといった大義を掲げているわけじゃなくて、私欲のためにがむしゃらに走っただけなのです」

「私欲?」

「この遠征で少しでも手柄を立てて、あなたに捧げる勲章にしたい、という欲です」


 フィルのグレーの目が真剣に見つめてきたので、急に心臓が高鳴り始めた。


 ……そ、そうだ。フィルには遠征の後で返事をするって言ったし、フィルはフィルで皆の前であんなことを言っていたし――


 一気に頬が熱くなってきたのでフィルから視線をそらすけれど、「そういうことで」と逃げ道を阻まれた。


「男爵位と、騎士団長の座。あなたにアピールするための材料は十分に集められたと思うのですが……まだ足りないでしょうか」

「もう十分よ! これ以上何を集めるつもり?」

「そうですね……必要であれば、最近ちまちまとした嫌がらせをしてきているという隣国を潰しましょうか」

「やめてね!?」


 今のフィルなら、私が「隣国の王様を倒してちょうだーい」と言えばマジで寝首を掻いてきそうな勢いだ。

 彼の前では冗談でも、過激なことは言わないようにしよう。


「あの、フィルはもう十分すぎるくらい頑張ったわ。辛いこととかもあっただろうけれどそれも乗り越えて、自分の手で勲章を得てきた。他の人には簡単には真似できない、素晴らしい業績よ」

「ありがとうございます。……では、これで僕のことがちょっとは魅力的に見えたでしょうか?」


 おどけるような口調で言うものだから、つい私も笑ってしまう。


「……ええ、魅力的よ。とても、素敵」

「アレクシアさん……」

「でも、困ったわ。最初は魔法師団員と年下の騎士として出会ったのに、たった二年の間に立場とか地位とかが全部逆転してしまうなんて」


 私も生まれは貴族ではないから、男爵のフィルよりも身分が下になってしまう。これまでは年上ぶっていられたけれど、それもここまでかもしれない。


 でもフィルは、何やら不満げに目を細めた。


「そんなの関係ありません。僕の地位が多少上がろうと、あなたが僕にとって何よりも大切な人であることに変わりはありませんから」

「フィル……」

「だから、アレクシアさん。僕の気持ち、受け取ってくれませんか」


 フィルに尋ねられて、私が迷ったのはほんの数秒のこと。


 私は、彼を助けたかった。

 友情と劣等感に板挟みになり苦しんだ、漫画原作のフィル。自分を見てほしい、というささやかな願いが叶うことなく、全てを壊すことでしか気持ちを発散させることができなかった彼。


 そんな彼を、助けたいと思った。

 漫画版よりもずっといいエンディングを迎えたいと思った。


 ……そんな彼の、隣にいられるのなら。


「……ありがとう、フィル。私も……あなたのことが、好きです」

「アレクシアさん……! ああ、ありがとうございます!」


 私の返事を聞いた途端、フィルはぱっと喜色満面になって私の両手を握った。


「僕、あなたのことを絶対に幸せにします! 今の僕には力も、権力もある。全てをかけて、あなたをお守りします! ……だから、その」

「うん?」

「……これからも僕のこと、見ていてくれませんか?」


 笑顔で問われた私の返事は、決まっている。


「……ええ、もちろんよ!」


 これからも、私は彼の自己肯定感上げ上げでいくに決まっている!

 だってあなたは私の、人生初めての推しなのだから!

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