伊勢志摩の人魚
伊藤東京
第1話
鼓動が聞こえる。全ての生命の源である海の中で、私は膝を抱えて丸くなりながら浮いていた。波が寄せる度に近くの岩場で波が崩れるのが伝わって、まるで母体の鼓動を聞いている胎児のような気分だ。
目を開けると、楕円形の水中眼鏡越しに光の矢がいくつも水中に突き刺さっているのが見えた。水面が青空を宝石の輝きのように映しているのを見て、私は膝を抱えるのをやめ、自分の体の上で踊る光の波紋を見る。
辺りを見渡せば岩肌から深緑色の海藻が水面へと手を伸ばしている。
下を見るとカラフルな岩のタイルが段差を作って、その隙間に豊潤な海の宝を蓄えている。
私はその宝を見つけるべく、足ひれで力強く水を蹴って深く潜る。水圧で肺の中に残った空気が口から出そうになる。岩に手をかけて自分の体を引き寄せ、岩の割れ目を覗くが何も見つからなかった。
水面に向って足を動かし、自分の体で水を割くのを感じ取る。水面から顔を出すと、太陽の光が一気に注がれ眩しかった。
鼻から息を吸ってヒュッと音がするように息を吐き、呼吸が落ち着くのを待つ。
水面には海女の黄色い浮き輪が浮かんでいる。私の浮き輪には昆布などの海藻ばかりが入っている。
私の浮き輪より陸から遠い方に姉の黄色い浮き輪が浮かんでいる。ぎらぎらと光っている水面の反射と、夏の空を眺めていたら、私と同じように海の中に潜っていた姉が水面に上がってきた。
姉が帰ろうと片腕を振って合図をしたので、私は陸に向って泳ぐ。
水から這い上がると、私は足ひれを脱ぎ、浮き輪を担いで、ウェットスーツのまま家に向って歩いた。
私の家は伊勢志摩で旅館をしている。小さい旅館だけれど、お客さんとの縁に恵まれ繁盛している。父が主に経営し、母はおもてなしの面でアルバイトの人たちに指導をしたり、一緒に旅館を居心地の良い状態に保っている。高校三年生の私は海女の見習いで、私より三つ年上の姉は新人海女だ。町のベテラン海女と一緒に時々海女漁に行かせてもらい、その技術を勉強させてもらっている。
旅館の売りは海女が採ってきたばかりの海鮮物を夕食に提供することで、それを求めてわざわざ足を運んでくれるお客さんも少なくない。その夕食の中に時々、自分が採ってきたものを並べて貰えることがある。それが海女見習いの私にとって功績を讃えられたように感じられる嬉しい時だ。
けれど私が海女見習いをしているのは、皆に伊勢志摩の海鮮物を堪能してもらいたいからではない。ただ海に潜ることが楽しいからだ。
子供の時、湯船に頭まで入って人魚のふりをして遊んだ。その時からずっと、ただ海の中に潜ることが好きだ。なので、海女の見習いになることは私にとって自然な流れだった。
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