恋とか愛の話(短編まとめ)

No.37

不毛な幻だったから

騒々しい、カフェの喧騒。

マルチの商談からマッチングアプリの初回デート、大学生の勉強会。

様々な人が、それぞれの会話を交わしている。

明るいスタイリッシュな、喫茶店というよりはカジュアルなカフェで、男女のたった1組の静まり返った席があった。


向かい合って座り、数分、女性が言葉を切り出す。


「既婚者ですよね」

「・・・なんで?」


男はひどく動揺して、目を泳がせている。

いつもシワのないシャツとスーツ、今日も整った”清潔な”身だしなみ。


『柔軟剤の香り、ですよ

ご家族がいるんだろうなって』


ありふれた香りだと思うけど。

微かに香る、女の主張。


『ご家族を悲しませるのは、愛ではないから』


まあ、そんなこと、言わないけど。


「私ってそんなに、騙しやすく見えましたか?」

「騙したつもりは、ないけど」


確かに。

男は好きだとは言ったけど、付き合おうとは言わなかった。

どこへいくにもお金を負担してくれて、一時は理想的な恋人だと思ったこともあった。

男の懇願するような視線から、いまだに私を諦めきれない劣情が窺える。

でもーー


「嘘を言わないことは、正直でも誠実でもないですよ」


朝を待たずに帰るあなた。

仕事で忙しいという言葉には、似つかない健全な生活感。

鼻につく、柔軟剤の満開の花の香り。


「・・・もう会わないってこと?」


外は春の雨が降っている。

寒さを上書きするように、ぬるい風が吹いている。


「会わないんじゃなくて、会えないんです」


わからないよ、と男は呟いだけど、私は聞こえないふりをした。

嫌だと言わないあなただから、きっとこれで最後にできるだろう。


男の目に浮かんだ涙から逃げるように、窓の外に視線を向ける。

傘を差す人々は感情のない顔を貼り付けて、道を行き交っていく。

きっとこの雨で、残った桜は全て散るんだろう。

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